不器用
人が殺される時はきっとこんな感じか。
自身でも驚くほど、椋伍はすっきりとした胸のままそんな感想を抱いた。
本来ならば鬱々とした思いで、流し込まれるままにこの怨霊の断末魔を聞いていただろう。
アレにはそれだけの恨みが篭っている。
現に今、爪痕を残さんと塩山から黒い稲妻が幾筋も飛び出して照明を割り、壁を切り、卓上の料理をひっくり返し、椋伍の胸を貫いた。
なんつー悪あがき。文句を口にするよりも前に、ぐらりと彼の体は傾く。
――アンタのこと、好きにしていいって。友達思いの旦那でアンタ幸せだね。
知らない男が数人取り囲んで見下ろす映像が、椋伍の瞼の裏で流れた。
口々に好き勝手に言う
「違う、オレのじゃない」
四つん這いになって嘔吐く。
それを搔き消そうとするかのように低く高く、耳の後ろで「殺してやる」と繰り返し囁くのに、身動きが取れなくなる。
ぐあんぐあんと響く怨霊の恨み言が、横断歩道の歌が、混ざり混ざってしつこく椋伍の頭の中で流れて感情を掻き回していく。
――恨んだら楽になる。吐き出したら楽になる。殺したらもっと、楽になる。
誰の言葉だろう。
囁かれたのか、心の中で生まれたのか分からないまま、彼は奥歯を食いしばって声を荒らげた。
「勝手言ってんじゃねえ!! 一緒にすんな……ッ一緒にすんな!! オレの中で終わった話、蒸し返してんじゃねーよ!!」
「ハハッ!」
離れた所で少女が可笑しそうに笑っている。
いつの間にか扇子を手にしていた。口を隠して、ついっと細めた赤を捉えた途端、椋伍は呼吸を思い出す。きゅっと喉が細い音を出し、激しく咳き込んで、息も絶え絶えに彼はその名を呼んだ。
「ユリカさん」
「情けない顔だな。それだけの啖呵が切れるのなら、そっちもお揃いにしておけ」
後は任せろ。
扇子が空を切る間際、少女の口がそう動いた。
ごう、と風が巻き起こる。
家中に犇めいていた胸糞の悪い澱みが綺麗に霧散していき、風の通りを椋伍の目にはっきり示す。
くい、くい、と細い手首で踊らされる扇子で操られた風は、余計に家を滅茶苦茶にしていく。もう椋伍の耳には嫌なものは聞こえなかった。
出来事としてはものの数秒。
最後に少女がぐん、と扇子を目の高さに掲げ、下から上へ空気を舞いあげる。ドッと塩の山が噴水のように柱を作って天井にぶつかり、砕けた。
パチン。
シンクの上の電気がいくつか瞬いた後についた。
塩の粒が輝いて全て落ち切ってしまう前に、カシャンと音を立ててポケベルが少女のつま先の傍に落下する。
画面も操作キーも、何もかもがひび割れてしまったそれは、今度こそ使い物にならないだろうに、彼女は確実に息の根を止めるかのように執拗にスリッパを履いた足で踏み潰し、ガチ、ギチと鳴らした。
「それ、もう使えませんね」
シンクを頼りにゆっくりと立ち上がり、近づきながら椋伍はぽつりと呟く。少女は足を止めて、呆れたように口を曲げた。
「そんな予定があったのか」
「家庭訪問とか、友達が来た時とか」
「……ああ、そっちか。弁償する」
言いながらぐりぐりと履物の下の物をすり潰し、ようやく彼女は足を退けた。
「悪かった」
静かな声に椋伍の目線が上がり、その先で彼女の目が僅かに揺れていることに気づく。
取り返しのつかない事をしたかのような様子に「え」と椋伍の喉から声が出るも、変に力が入って濁った。
「いや、あの、スリッパ他にもあるからそんな深刻にならなくていいんですけど……あ、物を大事に出来るタイプでした? なんだったらそれ持って帰ってやってください。オレきっと怯えるあまり捨てちゃうし」
「私もいらない」
「ア、そうですか」
「いらないけれど貰う」
「どっち?」
彼女の言いたいことが分からず困惑する椋伍に「蒸し返しただろう」と小さく返事がなされる。
「思い出さなくてもいい所で思い出させた。触れてはいけない古傷を抉った」
「……」
「悪かった」
「……そっちかぁー」
一気に脱力してしゃがみこむ。それに合わせるように、そろりと少女もしゃがみ目の前のつむじを見つめ続ける。
「ユリカさん」
くぐもった声に「ああ」と彼女が応じる。
「忘れないでくださいね。MD買うの」
「一番高いのをやる」
「あの、値段じゃなくて性能で選びたいんで指定していいですか」
「一番いいのをやる」
「お母さんびっくりするからマジでやめて」
「敬語」
「ここでそういうこと言う?」
静かに驚き顔を上げた椋伍は、未だに気まずそうにしている少女に気づいて「大丈夫ですってば」とおかしそうに笑った。
「手ぇ出してきたのはユリカさんじゃないし。まあ、ウチの片付け少ーし手伝ってもらえると、その、ありがたいなぁとは」
「焼肉に行こう」
「うぅん? なァんでぇえ?」
「片付けは手配しているから、気にしなくていい。ここにいても邪魔になるから、焼肉に行くぞ」
「……」
「帰ってくる頃には元通りだ」
「しょうがないなァー」
立ち上がって見回せば、酷い散らかりようにさらに椋伍は笑う。同じように立ち上がる彼女は椋伍を真っ直ぐに見上げて、真面目な顔をしていた。
「行きましょっか」
「……奢る」
「オレめっちゃ食べますよ」
「ああ。好きなだけ頼め」
「やった。上着取ってきます」
「車を下に呼んでいるからそのまま来い。店が閉まる」
「あー……それ焼肉ムリじゃないですか?」
「そっちは問題ない。他が閉まるから急いでいるんだ」
「え、手帳にわざわざ書いてんの? 食べることに関する熱量ヤバ……」
話しつつ廊下へ足を踏み出したが、すぐに椋伍は戻った。先程の騒動で床に落ちていた神隠市ノートを拾い上げ「おい」という呼び掛けに「今行きまーす」と声を張って応じる。
玄関では彼女はもう靴を履いて、ドアノブに手をかけていた。
椋伍が靴を履き終えるのを見届けて、先に外へ出てしまう。
「行ってくるね」
見計らったように廊下を振り返り、短く椋伍はそう言った。
誰もいない。
真っ直ぐ伸びた廊下の先にあるどこかへ投げた言葉に、返事もない。
それでも彼は満足気に頬をゆるめると、ガンガンとドアを叩き始めた人に軽く謝りながら、今度こそ我が家を後にした。
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