死者には持ちえぬ

ッ――!?」


 ボウルをひっくり返した途端、ざらざらと音を立てて塩が落ちた。それと同時に逆さになったボウルの底を拳で突き上げるような衝撃が椋伍を襲い、息を詰まらせた彼は両手を弾かれるままにテーブルから距離をとる。


 ポケベルは塩に埋もれている。

 怨嗟による轟音は未だに止まない。

 それどころかバチンッバチンッと家鳴りが加わり、嵐のように風が吹き荒れ、キッチンにあるものが空を舞い床に転がる頃には塩の山はズズズ、と麓の方から黒ずみ始めていた。

 

「悪化してますよね?」


 椋伍がよろめいてシンクに激突した体勢でしがみついたまま呆然として問いかけるも、彼女の表情は終始涼しいもので「心配するな」と返し、テーブルから手を離す。

 よろめきもせず、物が当たりもしない。

 むしろ、飛んできたものは彼女に当たるよりも前に、軌道を僅かに変えて通り過ぎて行ってしまう。


「この塩は優秀だよ。信じてやれ」

「ムリムリムリこんな凶悪なの遭遇したことないし、体幹すらユリカさんに負けてンですよ!?」

「気の持ちようだろう」

「気の持ちようで投げられたモンは逸らせないんだよなァーーーッほらナイフナイフ包丁も行ってるウワァアアアアアア!!」

「お前学校にいる時より喧しいな。マンションの掲示板に貼り出されたことないか? 騒音問題について」

「こんな状況じゃこうなりますよ!!」

「まあ確かにこれ煩いな」

「そっちじゃねーよぉ」


 これ、と塩山を指さされて、くうっと泣くのを耐えるように彼は口を歪める。


「……。赤の他人よりも、遥かに信用できるだろう。それともそんなに仲が悪かったのか」


 唐突に何かが引き合いに出された。

 きょとんとして椋伍が見つめる先には、やはり落ち着き払った少女の真紅があって、先程までのふざけた様な、投げやりさは欠片もない。

 一体何事か。


「お姉さんのことはそんなに信じられないか」


 情報過多で現実から乖離しかけた彼の意識は、その続いた言葉により強く引き戻された。


「……は?」

「お前にその塩の作り方を教えたのは、お前のお姉さんだろう。それは私には作れないし触れない。もっと頼りにしていいんじゃないか」

「ちょっと、待って、まずなんで知ってんの」

「は? さっき大声で叫んでいただろう? 換気扇からダダ漏れだったぞ」

「嘘ォ!? そっち!?」


 フライパンを振るっていた時の事が急速に椋伍の頭に蘇り、絶叫する。

 少女が「どっちだ」と呆れたように言えば「ご実家の力を使って調べあげたのかと」と気まずそうに目を泳がせて返される。

 「想像力が逞しいな」とため息をつかれて、とうとう椋伍はいたたまれなさにシンク下の棚に引っ掛けているタオルで顔を覆った。

 繰り返すが、こんなに気の抜けた会話をしているものの、家の中は現在進行形で滅茶苦茶だ。

 

「ヤダ!! 恥ずかしい!! オレもう自分のこと信じるの辞める!!」

「それは構わないけれど、どうする? ちょっと話している間に持ち直してきたぞ」

「……塩が? ポケベルが?」

「塩」

「なんで?」

「お前の気分が明るくなったからだろう」

「解説の雑さを声色に滲ますのやめてもらいたいです」

「その前にもうちょっと明るい気持ちになれないか? 好きな食べ物のこととか考えて」

「マジでオレの気分次第でソレの強さが変わるの?」

「ああ。塩の黒ずみがスペクトラムアナライザみたくなっている」

「え? 何? なんか今強めのお経みたいなの喋りました?」

「……どうしてここで白が増すんだ」


 黒ずみがもうあと一押しで完全に消し飛びかけている。

 唸るように少女が呟けば「スペ、スペ」と記憶を頼りに復唱せんと奮闘する椋伍の声が、家屋の騒音の狭間で少女の元へ漏れ伝わる。


「それはどうでもいいから、ちょっと本気で元気を出してくれ。お前の成果しだいで私の今後が劇的に変わる」

「そう言えば焼肉食べたいんでしたね……大変ですね……」

「貴様……!」


 オーダーストップはきっともう過ぎているだろう。時計は暗がりでよく見えなくなってしまっているが、椋伍はタオルから顔を上げ、哀れみを込めて鬼気迫る表情の彼女を見遣り「その目を辞めろ」と凄まれた。


「ゆっても、怨霊を前に元気を出すって簡単じゃないんですよ」

「こっちは死んでいるんだから生きているお前より元気じゃない。自信を持て」

「神社の人、恐れるものなさすぎてこっちが怖い」

「構うな。やれ」

「ええ……会話戻っちゃったよ……」


 塩をポケベルにかける前と眼光が同じだ、と椋伍は嘆く。それでも彼が愚図る寸前で、


「お前が元気になるのなら、欲しい玩具をひとつ買ってやるから」


 と彼女は真剣な表情で告げた。

 ぱちりと椋伍が目を丸くする。


「……。マジ? それってMDプレイヤーでもイイ感じですか?」


 問われた少女はギョッとした後、


「若干古くないか? もっと小さいのがあるだろう」

ウチパソコンないからそっちのがいいです」

「なら、持ち歩くやつなんだな。欲しいのは」

「ハイ!!」

「分かった」

「ヤッタァアアアアアッ!!」


 力強い歓声が上がる。

 刹那、カッ!! と塩山が白く光線し、キッチン中を目が眩むほどに染め上げた。


 だから言っただろう。


 咄嗟に目を瞑った椋伍の耳にそんな声が届く。

 ホントそうですね。

 断末魔が家を荒らし回る中、雑談の続きのように椋伍は口の中でそう転がした。

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