無問題

「仮にもご実家が神職やってる人が、殺すとか言うのヤバくないですか?」


 椋伍から顔を顰められても痛くも痒くもないのだろう。気を悪くした様子はなく、少女は肩を竦め、


「本当なんだから仕方がないだろう。それよりもやれ。手早くやれ」


 そう言って顎で指示した。


「いやいやいやいや壁の時計めっちゃ見てますけどラストオーダー気にしてません? え、この状況で?」

「……。やれ」

「……」


 テーブルの上にはポケベル。隣には「やれ」と繰り返す目を見開いた危ない女。

 椋伍は塩を持ったままきゅっと唇をかみ締めた。


――あれ? オレ何やらされそうになってるんだっけ? 殺人?


 そう錯覚してしまいそうな程、彼女の最後の囁きは端的で冷ややかだった。

 じんわりと手汗が滲んでボウルに筋が残る。

 それをちらりと一瞥すると、ため息をついて彼女はテーブルに右手をそっと突いた。


「やらずに後悔するよりやって死んだ方がマシなんだろう?」

「なんか違うなんか違う!! オレはなるだけ死にたくは無い派です!!」

「ならそうすればいい」

「簡単に言うけどオレ一般人!!」

「敬語」

「なのです!!」

「そうは言うけれどお前、こういう事は初めてではないんだろう? ご大層な浄め塩なんて持っているし、その道の指導者が居るんじゃ」


 ないのか。

 続くはずの言葉は、ヴヴッという振動音によって遮られた。

 椋伍は息を止め、少女は自らの唇の前に人差し指を立て、コクコクと頷いて応じた彼を確認するとそっと手を戻す。

 

 ポケベルの細い画面が緑色に光っている。

 なにやら数字が表示されているが、画面が劣化して見えづらい。遠目ではまず解読できないだろう。


「理解しようとするなよ」

「それすらアウト……?」

「死ぬ時期を遅らせたかったらやめておけ」

「ハイ。……そういえばユリカさん」


 すう、と画面が暗くなったのと、少女が普通に話し始めたからだろう。ふと思い立ったように彼は問う。


「元々これ持ってた子、家にあったよく分かんないオモチャだって言ってくれたんですけど。コイツが勝手に家に紛れ込んで転々としてたってことありえます?」

「ないわけないだろう」

「やっぱり……っうわ」


 バチン!

 キッチンの照明がひとつ鳴る。

 バチバチと繰り返される明滅に、たまらず椋伍はチカつく目に手を持ち上げ、


「隙を見せたら人生終わるぞ」


 彼女の低く響かせた忠告に動きを止めた。


「そんなヤバい?」

「さあ」

「ヤバいっすよねえ。ねえ、やっぱり塩、ユリカさんがぶっかけてくださいよ」

「溶けるから嫌だ」

「溶けませんけど!? アンタ何で出来てるぅうおああああ!?」


 泣きそうになりながら言い縋る最中、ヴヴヴ、とポケベルが震え情けない悲鳴が上がった。


――ヴヴヴ、ヴゥ、ヴゥウッウウウウウ


 何度も、何度も、何度も。小刻みに強く揺れて次第に、それは振動を長くしていく。


――ヴゥウウウウウウ


「ちょっと、これ」


――ウ゛ゥウウウウうううううううぁ゛ああああああああ゛ぁあああああああああ゛


 ヒロくん


 堰を切ったように止まらなくなった振動音が怨嗟の絶叫に変わり、延々と続くかと思われた矢先にブツンと途切れた。

 差し変わるように柔らかな女性の声がその場に落ちる。

 屋内は不気味なほど静かで、まるで二人に向けて話しかけているかのような声音も、気色の悪い身近さを強めた。


――おかえりなさい。ねえ、お願いだから帰ってくるなら連絡してちょうだいよ。せっかくお揃いのを買ったんですから……え、何、なにっなになにな、誰、ヒッィア゛ァアアッ


 椋伍の頬の産毛が逆立つ。

 殴打音と物がなぎ倒されて、人が揉み合うような騒音が突如として始まった。

 部屋のものは何も動いていないことが何よりもおぞましく、想像力を働かせる。

 ドクドクと脈が早まり、椋伍が喉を引き絞って悲鳴を耐えていると「おい」と天龍の女から声がかかった。


「これに塩を掛けたら焼肉奢ってやるぞ」

「……なんで?」


 今日一番の緊張感はどこへ行ってしまったのか。

 今や家全体が、まるで罵詈雑言を浴びせているかのように、叫びはぐわん、ぐわんと反響していた。怨嗟の波は二人に絶え間なく押し寄せ、轟音となって駆け巡っている有り様だ。

 にも関わらず、強制的に脱力させられた椋伍は唖然とし、


「そんな空気じゃなかったじゃん?」

「そういう話ではあっただろう。急げ。一件目があと三十分でラストオーダーになる」

「梯子すんの!?」

「焼き鳥とラーメンと鮭雑炊と」

「あ、そういうバイキングがあるんですか?」

「馬鹿言うな全て別店舗だ」

「がっつり一人前かよ」

「早く塩をかけてくれ」

「自由だなァもう!! オレどーなっても知りませんからね!!」


 終いにはテーブルを人差し指でトントンと鳴らし急かし始めた彼女に、ヤケクソになった彼はボウルをポケベルの真上でひっくり返した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る