入口と出口について

palomino4th

入口について


 半分切り離された券を指先に挟み、映画館に入場する。

 霧に霞むようなロビーには旅行者のような人々が行き交い、はっきりした顔を見せないまま私の前を行き過ぎてゆく。

 これから上映する古い外国作品のポスターが貼ってあるのだが、おそらくオリジナル・デザインのままで、書かれている文字は私の知らない言葉だ。


 一つの重い扉を押し開き、更にもう一つの扉を開けると、大きなスクリーンを持つ劇場の箱の中にいた。

 広く深いなだらかな斜面の座席の隙間を歩く。

 上方、少し左よりの座席を選び腰掛けて、まだ少し明るさの残る場内を見渡す。

 自分の前方、目よりも下の座席にまばらに客がいて、私と同じく映画の上映を待っている。

 きっと十人もいない。


 映画の本編が始まる前に、場内が薄明かりのまま広告とも短編とも言えないドキュメンタリーが流れている。

 川と海の境目について。

 汽水域のことだろうか。

 水中に潜り込んだカメラが捕らえた海水と淡水のあわいに生きる魚や蝦、蟹、貝などの生物たちが映されている。

 音楽だけが流れ、ナレーションもなく画面の下方にキャンプションが出ている、しかし私はそれを読まない。


 私の日常はこの劇場の外側に置いて来た。

 様々な出来事と暮らし、記憶、もちろん時間も。

 私が私として世の中にあるすべてを、もうじき忘れることができる。

 照明が完全に落ちて暗闇の時間になり、スクリーンが輝き夢が始まる。

 私はそこで冒険者になるのか犯罪者か、大富豪か貧者か、善人か悪党か、男か女か。

 それとも人間以外の何者かになるのか。

 淡水と海水の交わる汽水をくぐり抜け、私は侵入をやりおおせた。

 私が私であることを忘れ、肉体も声も闇に溶かして、まったく別の人生の人物となる。


 ここははるか昔の映画館だ。

 ほら、フィルムが走り出す。

 銀幕に色彩が散らばり、音楽は左右から満ち湧き出してくる。

 私はもういない。

 入り口を超えて私は別の誰かとなってゆく。


 ……でも「これ」を見ているまなざしは誰なのだろう?


[2022年(令和04)07月21日(木)]

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