グラッジ・アイスクリーム

山駆ける猫

第一章

第1話 prologue――きらきら星

 窓から射す朧げな月光を頼りに、彼女は暗き廊下を走る。

 

 手入れがされず灰にくすんだ壁、ひび割れた窓の先に見える針葉樹はまるで鉄の檻のように逃がすまいと不気味に生え揃う。


 彼女の艶やかだった栗色の髪は今や乱れ、身に纏う橙のシャツにジーンズはあちこち裂けて、快活で整った顔は悲壮に歪み、頬にできた裂傷から真っ赤な血が滲んでいた。

 既に息も絶え絶え、恐怖で心臓が凍り付くような錯覚に陥りながら必死に足を動かし、何かから……から逃げ続ける。


 何人死んだ? 知人もクラスメイトも教師も、見知ったことも無い赤の他人も、一体どれだけの命があの子の手によって惨たらしく奪われたのだろう。


 もう何処にも安息の場はない。

 大学、友人宅、病院、警察署……自身の家さえも。

 平和を謳歌する閑散な田舎町が今や鮮血に濡れた惨劇の舞台へと変貌した。


 続く惨劇を終わらせる為、友人たちと共に元凶が宿るこの館に乗り込んだが幾度もあの子の殺意に襲われ、気づけば彼女一人ぼっち。外観よりも明らかに長い異常空間を走り続け、ナイフのように心を刺す恐怖に何度泣いたか分からない。


「!!??」


 突然続いていた廊下が終わり、彼女は侵入してきた玄関ホールに躍り出た。ホールには二階へ続く大きな階段があり、途中でTの字で分かれている。

 彼女は呼吸を整え大きな玄関扉を見上げた、ここから逃げる訳にはいかない。別れた友人達の安否が気になる上にここで逃げても現状は解決しない。


『――Twinkle twinkle little star』


 歌。

 無音だったホールに流れる掠れた魔声、無感情に……なのに芯の奥まで響き渡る子守歌が潤沢な恐怖を送り届けた。びくりと跳ねた彼女は右往左往と首を動かし歌の元を探る。


『How i wonder what you are……』


 続けて聞こえる地面を叩く鈍い音。それは階段の先二階から聞こえた。身構えながら振り返ると、闇で隠れた丸い物体が二段飛びでこちらへと降りて来る。

 ボール?

 二段、また二段。誰も触れていない筈のボールは均等の高さで跳ねながら玄関に近づく。そして残り五段の所で大きく跳ねて彼女の足元に転がり落ちる。


 至近距離でようやく闇から晴れた、まーるいボール。

 でこぼこで金髪が生え揃い様々なパーツが付いたボール、と思っていた物体。


 共にこの館に侵入してはぐれた、クラスメイトである……青年の生首と目が合った。


 たまらず彼女は悲鳴を上げた。また一人失った恐怖と絶望、両手を口元の傍で震わせ青年から後ずさる。


『Up above the world so high』


 歌が至近距離で聞こえた、聞こえてしまった。

 彼女は青い目を見開きカタカタと歯を鳴らしながら、自分の左隣の腰元付近へ視線を下ろすと――。

 

 銀髪の少女が悪魔の笑みを浮かべ、彼女を見上げていた。


 途端、何かの力により彼女は後方に吹き飛ばされる。宙を舞う体は階段手すりに叩きつけられ、衝撃で手すりの一部がひび割れた。


 痛みに苦悶の表情を浮かべる彼女、その様子をみて笑みを深めた少女は歌を続ける。

『Like a diamond in the sky』

 叩きつけられた彼女は悲鳴を上げる体を起こし、二階へ逃げようと階段を上り始める。そんな獲物を追ってゆっくりと歩く少女、小さな足を一歩一歩踏み出す度に館内から甲高いラップ音が鳴り、鮮血のような真っ赤な瞳が逃げる背を射竦める。


 僅かに透けた体が少女がこの世の者でない事を示す、この者こそが町を惨劇の舞台に変えた元凶なのだ。

 

 少女は近くに転がる青年の首を見た、すると髪が発火して瞬く間に火の玉が出来上がる。燃える首は少女の意志に従って宙に浮きあがり、逃げる彼女目掛けて飛翔した。気づいた彼女は反射的に頭を伏せ紙一重で衝突を避ける、首は先の階段に激しくぶつかり炎をまき散らしながら砕け散った。


 血肉の混じった炎が退路を断つ、膝をついた彼女は辛うじて残る反抗心から少女を睨んだ。意も返さず元凶の少女は真っ赤な瞳を細めクスクスと笑い、今度は自らの体を浮かせた。

『Twinkle twinkle little star』

 天井近くまで浮いた体、そして逃げ場のない彼女の首をむしり取ろうと襲い掛かる。両腕で顔を覆い身構える彼女に凄まじい速さで接近する少女。


 その接触間近、激しい雷鳴が轟き落雷の閃光が館内を紅く染め上げた。


『――what?』

 轟音の最中で聞こえた素っ頓狂な声、それは逃げていた彼女のものではなく……。

 今まさに襲い掛かろうとした少女が発したものだった。

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