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「……うん、こんなものでしょうかね〜」
冷房の効いた一室にて、詩子は暢気な声で独りごちた。
詩子の前にあるパソコンの画面には、『鱗毛人の生態記録及び所感』と表示されている。
これは詩子が書き上げた、政府に向けたレポートだ。鱗毛人である一家と接触してから一週間。研究のスポンサーである日本国政府から一次報告を求められている。一週間で知れる事なんてたかが知れてるじゃないですか〜と詩子は思うが、スポンサーの意向には逆らえない。一時的に青木ヶ原樹海から離れ、近くの自衛隊基地にてこれをパパっと作り上げた。
ページ数はざっと五十。これまでの観察で得られたデータの中から、政府が知りたいであろう項目をピックアップし、そこに詳細や説明を付け加える形で記載されている。
そして詩子の意見……彼等に人権を与えるべきかどうかについても、詩子自身の見解をハッキリと記していた。
「政府はどのような反応をするでしょうか」
詩子の傍には、護衛……というよりお目付け役染みてきた洋介がいる。彼からの問いに、詩子はけらけらと無感情に笑う。
「まぁ、それなりに混乱はするかと〜。特に防衛大臣さんは苦虫を噛み潰したような顔になりそうですね〜」
「教授、ハッキリと書きましたからね。彼等はヒトと同等の知性を持つ存在であり、人権を与えるに相応しい生物だと」
「事実ですから〜」
洋介の問いに詩子は迷わず答える。
詩子に人権意識などない。客観的に考えて人権を与える必要がない……ヒトとの相互理解が絶対に出来ないような存在なら、ヒト属だろうがヒト型だろうが関係なく、そう記載する。
逆に、ヒトと理解し合う事が出来、ヒトとコミュニケーションが行える相手なら、詩子は人権を与えても良いと考える。
むしろこれでも厳しい判断基準だと詩子自身は思っているぐらいだ。ヒト同士ですら分かり合えない事は多い。だがそれでもヒトはヒトに人権があると考える。相手の思想で人権を切り分けすれば、それは思想統制と変わらないのだから。
ただしこれはあくまで詩子の考え。政府がどう判断するかは分からない。特にあの総理は中々の食わせ者のような気がするため、どう事態が転ぶか分かったものじゃない。尤も、事の顛末そのものに詩子は興味などないが。
「そういえば〜最近の自衛隊は、鱗毛人達に対してどんな感じなのですか〜? 最初の時は、それなりに警戒していたと思いますけど〜」
「……自分含めてですが、少なくともあなたと共に研究に参加している隊員は、今あの家族を敵だとは思っていません。命令上銃は所持していますが、殆どの隊員は安全装置を掛けていますね。事故で発砲しないように」
「あらあら〜。わたし的には良いと思いますけど、それは立場的に大丈夫なんですか〜?」
「バレたら全員始末書どころではないでしょうが、バレなければ違反ではありません。それに」
「それに?」
「我々も人間ですから、偶にはうっかり安全装置を掛けっぱなしにしてしまう事もありますよ。うっかりミスなら流石に除隊とはならないでしょう」
いけしゃあしゃあと抜け道を語る洋介。ああ、これが本性なのですね〜と詩子は思った。無論研究対象である鱗毛人達に万一の事があっては困るので、詩子としては大変喜ばしい抜け道であるが。
「それは何より〜。折角いい関係を築けているのに、ここで隊員が入れ替わったら、関係構築をやり直さないといけませんからね〜」
「今では彼等もすっかり打ち解けましたからね。生の肉をプレゼントのように渡されるのは、ちょっとばかり困るのですが」
「歓迎されているのは良いのですが、あまり断るのも心象に良くなさそうなんですよね〜。言葉の解析を急いでもらった方が良いかも知れませんね〜」
鱗毛人が話す言葉については、現在も研究が進められている。
言語学についても詩子は多少なりと心得がある。とはいえヒトが用いていた言語を解読するなら兎も角、ヒト属とはいえ別種の生物が用いる言語の解読は流石に困難だった。そのため政府を経由して言語学の精鋭及び暗号解析のプロに依頼し、鱗毛人の言葉を解析している。
鱗毛人が言葉でコミュニケーションを行う事は確認済みだ。果たしてどれだけの語彙があるかは不明だが、科学文明由来の語彙がないと考えると、数百単語ぐらいで済むかも知れない。発声能力の低さを考えれば十分あり得る。これなら余程語学が苦手でない限り、彼等との会話は然程難しくないだろう。
会話が可能となれば、過去の経験を聞き出せる。彼等が今までどんな暮らしをしていたのか、どうして此処にいるのか、どのような文化や歴史を持つのか……
観察だけでは分からない彼等の内面が読み解けた時、ヒトは、より自分自身を理解出来るだろう。
「(胸が躍りますねぇ。こんなにワクワクするのは、ヒトの面白さに気付いた時以来でしょうか)」
高鳴る胸の鼓動。胸に手を当てて感じるそれは、どんどん強くなっていく。
どうやら言葉を理解した時の嬉しさを想像するあまり、また鱗毛人(を経てヒトの理解を深めるため)に会いたくなってしまったようだ。
これには流石の詩子も「子供か」と思ってしまう。思うだけで恥ずかしいとは思わないが。何時もなら衝動のまま調べに戻っただろう。
しかし今日はそういう訳にもいかない。
何故なら書き上げたレポートの『印刷』が終わっていないからだ。今時レポートのデータなどメールなりなんなりで送ってしまえば……と思わなくもないが、そうもいかない。
理由は機密保持。
現時点で、日本国政府は鱗毛人の存在を一般に公表していない。人権を与えるかどうかの判断が定まっていない、自衛隊員に犠牲者が出た事による国民意識の変化など、様々な要因が絡んでいるからだ。とはいえ何時までも隠すつもりはなく、いずれは発表するようだが……それは政府が主導して行わねばならない。
マスコミなどにこの情報をすっぱ抜かれて報道されるなら、まだマシだろう。他国政府やそれらの支援を受けた『人権団体』に気付かれたら、何をしてくるか分かったものではない。そして今時何処の国でも他国にサイバー攻撃を仕掛けているもので、ネットワークに繋がったサーバーは何時攻撃を受けてもおかしくないのだ。
よって鱗毛人に関する情報はネットワークから切り離した、スタンドアローンで管理する。これならスパイが直々に忍び込んだり、或いは関係者が漏らさない限り、情報が外に漏れ出す事はない。安心安全な作りと言えよう。
……要するに、ネットと繋がってないからメールが送れない訳だ。なので資料の提出方法はまさかの『手渡し』。勿論詩子が直接行う訳ではなく、自衛隊員数名が厳重に保管・輸送する。印刷が終わり、輸送が始まれば、詩子は現場に戻れるだろう。その間は、待たねばならないが。
「あ、そうだ。テレビでも見ましょうか」
暇な時間を潰すため、詩子はテレビを見る事にした。
別段バラエティ番組やドラマに興味はないが、しかし流行という『ヒトの好みの変化』は知りたい。テレビが世俗を映す鏡とは言わないが、ある程度は視聴者の好みを反映しているのは確かだ。そうした情報の積み重ねが、ヒトへの理解に繋がる。
また、テレビの一番良いところは無関心な情報を垂れ流す事だと詩子は思っていた。
今時、情報を得るならネットが一番という者は少なくない。確かに、様々な角度の情報を、幾らか専門的に学ぶならネットの方が良いだろう。ネットは嘘情報が多いと言うが、テレビの(専門外の者達にも伝わるよう分かり易さを重視した結果だろうが)『専門的解説』も割と間違いが多いのだから似たようなものである。
しかしネットは能動的なメディアだ。つまり自分で欲しい情報を調べ、自分でそれを取捨選択する。これではどうしても興味のある物事、そして自分にとって好都合な情報しか見ない。陰謀論を信じた者がネットを使うと、その症状が急速に『悪化』していくのはこれが理由だ。
対してテレビは受動的なメディアである。吐き出す情報はテレビ側が選び、テレビが広めたい話だけどなる。これはこれで問題も大きいが(情報操作に他ならない)、されど見る側にとっては調べもしない情報を提示されるのは有り難い。どんなに無関心でも耳に入れば少なからず記憶に残り、それが多面的な物の見方となる。
要するに、どちらにも利点と欠点がある。大事なのは情報源は一つに絞らず、複合的に使うべきという事だ。
「(さーて、どんな話題が今流行りなのてしょうね〜)」
ここ一週間はずっと鱗毛人の観察及び結果の精査に掛かりきり。夢中になるあまり、テレビもスマホも殆ど使っていない状況だ。世界の移り変わりは早いもので、この一週間で何が起きていても不思議はない。
書類に埋もれていたリモコンを探した後、詩子はテレビを点ける。流れたCMも世俗を映す鏡。スポンサーと番組の関連性から、性別と年代の好みが窺える。CMだからといってチャンネルを変える事はしない。
やがて番組が始まる。内容は、やや硬派なワイドショーだろうか。強面の解説者と、清潔感ある服装のアナウンサーが画面に映し出された。話されている話題も「他国の人権問題、どう向き合うか」というもの。明るい芸能ニュースは流れそうにない。
ゲストらしき解説者と硬派な ― しかし最終的に話し合いでの解決という結論に持ち込みたいのだろう。詩子からするとかなり強引な ― 話を繰り広げ、番組は進行していく。
【次の話題も、同じく人権問題に繋がるかも知れません】
一つの話題が終わると、そのように話を繋いでアナウンサーは次の話題を出す。
そう、さながらちょっとしたニュースのように。
「……はい?」
しかしそのニュースを聞いて、詩子は呆けてしまう。何事にも興味がないがために乱れようがない思考は、この時大いに動く。右往左往とでも言うべきほどに。
そして乱れた思考が落ち着きを取り戻すのに、長い時間を必要とする。いや、厳密には時間をどれだけ費やしても詩子の思考は平常を取り戻せていない。
「一二三教授、印刷が終わりました。内容を確認して承認印を……どうかされましたか?」
我を取り戻したのは、部屋に戻ってきた洋介の声という『ショック』を受けてからだ。
詩子はすぐに洋介の方へと振り返る。
何時もニコニコ笑みを崩さなかった詩子の、ほんの少し引き攣った顔。それは洋介に『何か』を悟らせるに十分なものだった。彼の顔にも緊張が走る。
気付いた以上、報告は必要だ。
「鱗毛人の存在がバレました。動画がネットに流出してます」
故に躊躇いなく、自分が目にした情報を伝える。
最初、洋介は呆けたように目を丸くした。
しかし流石は自衛隊員と言うべきか。即座に我を取り戻す。尤も、取り戻した後にしたのは身体を強張らせ、息を呑み、そして改めて問い質す事だったが。
「バレた……バレた!? どういう事ですか!?」
「わたしが説明するより、報道を見た方が良いかと」
詩子はそう言ってテレビを指差す。テレビでは今も繰り返し、問題の『動画』が流れていた。
動画の内容は大凡こんなもの。
森の中を散策する撮影者。しばらく歩くと、ヒトの子供らしき姿が見えた。
近付いてみると、それはヒトの子供ではない。身体のあちこちに鱗を生やした、顔も醜い異形の怪物だ。
怪物は撮影者に近付いてきたので、撮影者が逃げる。すると怪物は撮影者の後を追ってきた。それから手を伸ばして捕まえようとしてきて、撮影者の手の甲を引っ掻く。
それで諦めたようで、もう追われる事もなく……動画は終わる。
「……想像以上にがっつり映っていましたね」
「ですね。いやー、これは正直……ヤバい気がしますね〜わたしの研究的な意味でも、この国の政府的な意味でも」
何時も通りの、おっとりとした言葉遣い。
されど詩子の内面は今、かなり動揺していた。これから何が起きるのか、どう立ち振る舞うべきか、様々な可能性を検証するがパターンの多さに上手く考えが纏まらない。
ただ、ハッキリと言える事が二つある。
【動画ではこの生物を鱗毛人と呼んでいますが、果たして彼等は人間なのでしょうか。議論が起こりそうです】
一つは政府に関わる『誰か』が、彼等の情報を流した事。
そして二つ目は、犯人を捕まえたところで、漏れ出た秘密が消えてなくなりはしない事だ――――
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