いつか、あなたと…
ヤン
第1話 コンサート
学校の帰りにいつもの喫茶店の前を通ると、私に気が付いてマスターたちが手を振る。ドアを開けて中に入ると、
「ミコ。いらっしゃい。今帰り?」
マスターの娘さんのミッコさんが、笑顔で訊く。私は頷き、
「そうです。さっきクラブ活動が終わって」
「ご苦労様。演劇部の練習、大変なんでしょう。運動部に負けないくらい、なんだか体力づくりしてるでしょう」
「そうなんです」
もう閉店が近い。お客さんは二組だけだ。
「お茶飲んでいけば? 準備するよ」
そう言いながらミッコさんはもう動き始めている。マスターもお茶の準備を始める。私はカウンター席に腰を下ろしてその様子を見ていたが、ふと壁に目をやると、チラシが張り付けてあることに気が付いた。
ピアノ協奏曲の演奏会のようで、ソリストは…。
私がじっとチラシを見ていると、ミッコさんがそばに来て、
「これ、興味ある? 東京だけど、もしかして行きたい? 訊いてみてあげようか」
ミッコさんは私の肩に手をのせて、私の目を覗き込むようにした。私もまっすぐミッコさんを見て、疑問を口にした。
「えっと、このソリストさんと知り合いなんですか?」
「知り合いっていうか、元同級生だから。この前東京から帰って来た時にここに寄ってくれて、チラシを貼らせてくださいって言われたから貼ったんだけど。おとなしい子だったのに、こんなに有名なオーケストラと演奏するようになっちゃって。本当にびっくりした。相変わらず、線が細くて可愛かったけど」
もう一度チラシを見ると、今度こそソリストの名前を確認した。
聞いたことはなかった。どんな演奏をする人なんだろう。今までクラシックのコンサートにあまり行ったことはなかったが、何故だか興味を持った。
「チラシを持ってきた時にね、連絡先を聞いたから、電話してみる。チケット、都合してくれるといいな」
そう言いながら、ミッコさんは店の奥に入って行った。何か話している声が微かに聞こえてきた。
しばらくして戻ってきたミッコさんは、微笑むと、右手の親指を立てた。
「大丈夫だって。一枚ここに送ってもらうことにした。良かったね」
「本当ですか? ありがとうございます。何だかすごく嬉しいです」
どうしてこんなにどきどきしているのだろう。自分でもよくわからなかった。が、どうしても行ってみたい、という気持ちになっていた。
「そうだ。ミッコさん。私、吉隅さんの演奏を全然聞いたことないし、そんな私が行ってもいいのかしら。失礼かな、とも思うんですけど」
じゃあ、行くな、と言われたらやめるのかと言われたらそうではない。でも、訊かずにはいられなかったのだ。
ミッコさんはポスターを見ながら、
「行きたいと思えば行けばいいわよ。たとえ聞いたことがない人でも、来てほしいと思うんじゃないかな。わかんないけど。
あ、そうだ。高校生の頃に吉隅くんのピアノの発表会に行った時、内緒で録音したんだけど、あれ、残ってるかな。ちょっと探してくる」
再び店の奥に入って行った。しばらく経ってから、「あった」とミッコさんが言って戻ってきた。手にしていたのは、ラジカセとカセットテープだった。
「これ。ちょっと再生してみよう」
テープを私に見せるとラジカセにセットし、プレイボタンを押した。少しの
一音目を聞いた瞬間、身動きできなくなった。そして、最後まで他のことはいっさい考えることもなく聞いた。
こんなに集中して音楽を聞いたことが今まであっただろうか。音楽の授業の時だって、そんなに真面目ではなかった。それが、これはどういうことなんだろう。
演奏が終わると、ミッコさんはストップボタンを押した。そして、私の方を見て、
「どうだった? えっと、この曲のタイトルは……。ベートーヴェンのソナタで、『熱情』だって」
タイトルを言われてもわからない。が、ただただ圧倒されて、口もきけずにいた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます