事件



 それからしばらくの間、学校生活は平穏だった。



 いや、平穏というのは語弊がある。



 ちょくちょく「見てんじゃねェよ」と神谷に凄まれるのは相変わらずだった。

 授業等で仕方なく話し掛けようものなら、スルーされるのも当たり前だった。



 相変わらず神谷は机に突っ伏して寝てばっかりだし、どこで過ごしてるのか昼休みにフラリといなくなるのも同じ。



 ただ、あの日に見た“もう1人の神谷”に、あたしが会う事だけがなかった。



 神谷が学校を休まないから、家に行く必要もない。

 神谷が学校を休まないから、休み時間はポツンと過ごす。



 そんな変わり映えのない日々を過ごしていたある日、1つの事件が起きた。



 それは、昼休みの事。



 その日あたしは、1人だった。

 いつも一緒にお弁当食べてるメンバーが全員学食へ行くというので、仕方なく自分の席でポツンと食べてた。



 お弁当を半分ほど食べたところで、何故かワラワラとクラスの男子たちが集まって来た。



 え!?おかず取られちゃう!?って焦ったけど、そうじゃなかったらしい。



 男子たちの目的は、あたしの隣の席。

 そう、神谷の机。



 机の主がいないのを良い事に、男子たちは神谷の机を漁り始めた。

 そして通学バッグの中から、神谷のスマホを取り出した。



 彼らの言い分としては「アイツ、ムカつくんだよ」って事らしい。

 まぁ、わからないでもない。



 更には「スマホはパンドラの箱、って言うだろ。個人情報の宝庫だ」って事らしい。

 その通りだ。



 もっと言うなら「だからこうやって調べてアイツの弱み見つけてやろうぜ」って事らしい。



 うーん、それはどうかと思う。



 確かに神谷は色々ムカつくけど、だからって決して無敵の悪役なんかじゃない。

 所詮あたしらと同じ高校生だし、ムカつくならムカつくで各々が各々でぶつかって行けば良いと思う。



 敢えて関わろうとしないクセに、こうやって集団でコソコソやるなんてあまりにも卑怯すぎない?

 あたし、もしもスマホをこっそり見られようものなら生きていけない自信があるんだけど。



 ……なーんて心の中で神谷擁護の思考になるのは、嘆願書を出したクラスメートたちに対する対抗心なのかもしれない。



 むしろ、あの日見た素敵神谷を忘れられないからなのかもしれない。



「ちょっとあんたら、止めなよ」



 一応、声は掛けた。



 だけど「うぉーロックしてねェじゃんラッキー!」なんて盛り上がってる集団には届かなかったみたいだ。



 もう一度、声を掛けようとはしなかった。



 言い訳はしない。

 だってやっぱり気になるもん。

 神谷のアレコレ。



 噂ばかりが先行する謎のクラスメート神谷。

 そんな人の秘密を、全く興味がないなんてあたしには言えないんだもん。



 でも。



 その作戦はどうやら失敗したらしい。



 聞こえて来た情報によると、神谷のスマホは見事なまでにカラッポだったらしい。



 電話帳も。

 アプリも。

 アルバムも。



 今の時代必須と言われてるLINEすら入ってないらしい。



 人のスマホを勝手に盗み見るという行為と、暴かれちゃうかもしれない神谷の情報。

 それプラス、人の会話を盗み聞きするという現状に少しだけハラハラしてたあたしは、だからちょっとだけホッとした。



 もちろんガッカリ感も拭えなかったのは確かだけど、やっぱりコソコソやらかしちゃうのは気分の良いもんじゃない。

 何も暴かれなかった情報に、ほんの少しだけ安堵した。



 だけど事件は、それだけで終わらなかった。



「何だよコイツつまんねェなぁ」



 1人の男子がそう声を上げた、瞬間だった。



 いつもなら、午後の予鈴がなってからじゃないと教室には帰って来ない神谷が、何故かその日に限っていきなり戻って来た。



 誰かの「あっ」という小さな声と共に、教室内が凍りついた。

 ものの見事に教室内の空気が止まった。



 そんな雰囲気に、さすがの神谷も一瞬足を止める。



 でも、それだけだった。



 あたしの周囲に……正確に言えばあたしの隣に集まってた男子たちは、見事なまでの連携を見せてホントにさり気なく散らばった。

 クモの子を散らすかのように散らばった。

 もしかして神谷の目には、男子たちがあたしの周りに集まってたようにしか映らなかったのかもしれない。



 再び動き始めた空気の中、顔色1つ変えずに自分の席へと戻って来た神谷は、どうやら早退するらしい。



 机の横に掛けてた通学バッグを手に取ると、そのまま教室を出て行った。



 安堵の空気が広がる教室内。



 そんな中でただ1人「やっべェこれどうするよ」と声を出す男子。



 残されたのは、神谷のスマホ。

 さすがにあの一瞬じゃ、元の場所へと戻せなかったらしい。



 持ち主がいなくなってしまったスマホは、結局持ち主の机の中へと戻された。



 そんなスマホが、予期せず自己主張を始めたのは帰りのHR中。



 ビックリするほどの大音量で鳴り続けるスマホ。



「こらー誰だー学校いる間は電源切れって言ってあるだろー」なんて言いながら、あっさりその原因を突き止めた担任は。



「神谷なぁ、家電ないんだよ。しかも1人暮らしなんだよ。更には今日は週末だ。困るかもしれないなぁ神谷。週末にスマホ忘れて帰ったら困るかもしれないなぁ……って事で悪いなセーラ。今日も頼むわ」



 あたしに無理矢理スマホを握らせると、にんまりと笑った。








 おかしいと思う。

 絶対おかしいと思う。



 神谷がスマホを忘れた原因はあたしじゃないのに。

 そりゃ多少の共犯説は拭えないけど、決してあたしは主犯じゃないのに。



 しかも、そんなカラッポなスマホなんてなくても別に神谷は困らないと思う。

 ホントに必要なら肌身離さず持ってるだろうし。

 しかも忘れた事にもすぐ気付くだろうし。



 何であたしがこんな目に……なんてどうのこうのと考えながらも。



「…………」



 既に神谷の家の前にいるあたしは、もしかしなくても実はMなのかもしれない。

「見てんじゃねェよ」「話し掛けてくんじゃねェよ」なんて、罵られたくて仕方ないのかもしれない。



 ……って、そんなワケないじゃん!



 あたしが期待してるのは、もう1人の神谷だから!

 兄の方なのか弟の方なのかわかんないけど、きっと……いや多分……いるに違いない双子の片割れの方だから!



 さてどう出るか。

 今日の神谷はどっちなのか。



 鬼が出るか蛇が出るか……なんて考えながらインターフォンを押す。



 一呼吸ほど置いた後に、静かにドアが開かれる。



 ゴクリと唾を飲み込むあたしの、目の前に現れたのは当然神谷。



 つい数時間前に教室から出て行った神谷には違いなかったけど―――



「……あれ。どした?今日は何?」



 ―――よっしゃ当たり!!



 イケメン片割れキターーーーーー!!



「あ、あの、スマホ……忘れて帰ったでしょ……」



 ……なんてアゲアゲな気分を隠しながら、かろうじて冷静を装う。

 冷静を装いながら、神谷の前に神谷のスマホを差し出す。



 差し出されたスマホを少しの間見つめた神谷は、やがて―――



「良かったマジ助かった。一体どこで落としたんだろうって悩んでたとこだ」



 ―――なんて言いながら、零れんばかりの笑顔を浮かべる。



 やだこの笑顔本気で犯罪……!なんて思う一方で、やっぱり罪悪感が拭えない。



 だって神谷はスマホを落としたワケじゃない。



 しかもあたしはある意味共犯で、こんな犯罪級の笑顔を向けられるような立場じゃない。



 だけど目の前の神谷は、もしかしたら神谷本人じゃないかもしれなくて……双子の片割れかもしれなくて。



 神谷じゃないかもしれない人に、神谷の身に起こった事を説明して謝るのってどうなんだろう。



 もしかしてこの片割れは、学校での神谷の態度を知らないかもしれないし。

 あたしの隣の席の神谷は、このもう1人の神谷に学校での自分を知られたくないかもしれないし。



 隣の神谷は、目の前の神谷に……



 っていうか、ややこしすぎる!

 もう面倒臭い!!



「あの……神谷って双子だったんですか……?」


「え」



 いきなり単刀直入に切り出したあたしに、目の前の神谷は目を丸くする。

 驚いた顔すら普通にイケメンだから、この際とばかりにあたしは神谷を凝視しながら続けた。



「だって神谷……じゃないですよね?顔はそっくりだけど、あたしのクラスの神谷じゃ……ないですよね……?」


「……そう見える?」


「はい、だって全然違いますから。あたしの隣の神谷とは……その……雰囲気が全然違いますから」


「マジ?意外と似てると思うんだけどなぁ」


「はい、顔はソックリです。本人かと思うほど」


「うん、当たり。双子なんだ」



 アッサリ認めた目の前の神谷は、左手でドアを押さえながらドア淵に寄り掛かる。



「え?」


「俺ら双子なの。だから似てて当たり前かな」


「やっぱり!だってホントに中身が全然違うんだもん!」


「だからってそんなマジマジ見つめられたら照れるんだけど」



 神谷の片割れは、ホントに照れ臭そうな笑顔を浮かべながら右手で髪を掻き上げた。

 柔らかそうな色素の薄い髪が、何かに反射した夕日色に染まってキラキラしてる。



「アイツ、今寝てんだけど起こそうか?」


「止めて起こさないで!!あたしの用件は終わったし、なのにわざわざ起こして機嫌損ねたくない!いつもより酷い暴―――」


「ぼう……?」


「何でもない!気にしないで!!」



 思わず手を伸ばしてしまいたくなるような綺麗な髪だった。



 いつまでも眺めてたくなるような綺麗な色だった。



 だけど。



 そんな綺麗な髪より……



 綺麗な色より……



 あたしが目を奪われて仕方ないのは―――



「ね……やっぱあんた、神谷だよね?」



 ―――その、事実。



 目の前の神谷は不意をつかれたかのように一瞬動きを止めたけど「うん、双子だからな。俺も確かに“神谷”だよ」って笑った。



 そうなんだけど。

 確かに兄弟だったら、目の前のこの人も“神谷”には違いないんだけど。



「違うよ、だってその右手……」


「ん?右手?」


「うん、ほらここ。この油性マーカーペンの跡」


「…………」



 今はドアの淵に添えてる神谷の右手を指さす。



 今日、3時間目の授業の時だった。



 あたしの斜め前の席の男子が……つまり神谷の前の席の男子が、油性マーカーを使ってた。



 書いてる途中で頭を掻こうとした―――いや、決してシャレじゃなく―――その男子は見事に神谷の机へとマーカーを落とした。



 マーカーは机に突っ伏して寝てた神谷の右手を掠り、その結果。



「それ、その時のマーカーの跡だもん」


「…………」


「神谷は……あんたはいつものように寝てたから気付かなかったかもだけど、それ今日の3時間目に付いた跡だもん」


「…………」


「それってあんたが神谷って事でしょ?」


「…………」


「あんたは双子なんかじゃなくて、実はあたしの隣の席の神谷―――」


「―――セーラ」



 ぶっ飛んだ。



 いきなり目の前の神谷にファーストネームを呼ばれて、ぶっ飛んだ。



 あたしの名前は確かに「星良」だけど、決して神谷にそう呼ばれるような付き合いじゃなかっただけに衝撃の余り見事にぶっ飛び、背後にあった手摺りにしこたま腰を打ちつけた。



 なのに、あたしをそんな状況に陥れた本人は。



「そっから先は交換条件って事にしたいんだけど」



 なんて涼しい声で言いながら、涼しげにあたしを見下ろしてる。



 腰を押さえて惨めな感じに中腰のあたしとは対照的に、目の前の神谷はヤケに余裕で微かな笑みすら浮かべてて、やっぱりイケメン恐怖症になりそうだった。



 すました顔してウソを吐いたクセに、それがバレたからって動じるワケでもなくイケメンパワー全開すぎて「もう何でも良いよ好きにしてよ!」って言ってしまいそうな雰囲気に飲まれそうになる。



 あぁもう自分でも何を言ってるのかわかんない。

 日本語崩壊してるかもだけど仕方ない。



 だってワケがわかんないんだから。



「こ……交換条件って何……?どういう事?」


「これ以上先を知りたかったら、セーラは俺の言う事きいて、って事」


「いやそのセーラって何!?セーラって何よ!」


「あれ?名前セーラじゃなかったっけ」


「いやセーラだけど!セーラだけど、おかしいでしょ!?神谷があたしをセーラって呼ぶなんておかしすぎるでしょ!?」


「なら何て呼べば良い?」


「…………」


「俺はセーラを何て呼べば良い?」


「せ………セーラで良いけどもね!?」



 神谷は笑った。

「ならセーラって事で」って笑った。



 笑いながら「明日の夕方、ここに来て」って続けた。



 意味がわかんなかった。



 意味がわかんなすぎて、あたしはただ頷く事しか出来なかった。

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