謎の人物
―――結果は思った通りだった。
インターフォンを3回鳴らしてようやく細く開けたドアから顔を覗かせた神谷は、あたしの顔を見るなりあからさまに眉を寄せた。
更には。
「誰、お前」
「と……隣の席の浅見、だけど」
ホントにあたしが誰なのか知らないようだった。
挙句の果てには。
「帰れ。迷惑」
「ちょ……っと待ってよ!こっちだって来たくて来たんじゃないっての!」
用件すら聞かずに、バタンとドアを閉めてしまった。
一体、どこまで感じ悪けりゃ気が済むんだろう!
せっかくの華の
「あ……の、これ!修学旅行の申し込み用紙!ドアポストに入れとくから明日までに書いて出して!明日も休むようだったら、朝一応ここに寄るから、このドアポストにでも挟んでおいて!」
それなりの声で叫びはしたものの、当然の如く中から返事はない。
何だってあたしがこんな目に……。
イケメン……特に好きじゃなかったとはいえ、これじゃむしろ恐怖症になりそうだ。
「ありがとう、くらい言いなさいよね……」
小さく呟いたあたしは、1人虚しく帰路に付いた。
そして、翌朝。
寝覚めが悪かったのは、絶対神谷の所為だと思う。
悪夢にうなされたのも、絶対神谷の所為だと思う。
それなのに今日は、朝からそんな神谷の家に寄らなきゃならない。
何であんなヤツの為に、と思うとやり切れない。
あんなヤツの所為で、と思うともっとやり切れない。
「何あんたその顔。今日すっごいブス。どうせまた夜更かししたんでしょ」
朝食で顔を合わせた姉にまでdisられ、憂鬱な気分に磨きがかかる。
良いの別に。
どうせ隣の席のクラスメートにすら、覚えて貰えないような顔なんだから。
いつもの時間より5分早く家を出たのは、そんなクラスメートの家に寄る為。
その5分があれば、もうちょっと丁寧にお化粧が出来るのに。
しかも、案の定だった。
神谷はあたしの言った事を、ものの見事にスルーしたようだった。
ドアポストには何も挟まれてない。
「…………」
寝不足の上に寝覚めの悪かったあたしは、その時点でかなり不機嫌だった。
だから結構な力でインターフォンを押した。
もちろん、神谷が出て来るまで鳴らし続けるつもりだった。
だって悪いのは神谷だもん。
話し掛けるなと言うなら話し掛けられないようにするべきで、関わるなというなら欠席すんなって話なだけだ。
イケメンだか何だか知らないけど、こっちだって好きでこんな事してないっつーの。
貴重な朝の時間を、こうして割いてやってんだからとっとと顔出してお礼とお詫びを言うべきじゃないの?
意地になってインターフォンを鳴らし続けてた途中で、ふともう神谷は登校した後なんじゃないかと思い当たった。
けど今更後には引けなかった。
何故かあたしには神谷は中にいるという確信めいたものもあった気がする。
「…………」
耳をすましてみたけど、部屋の中からは物音1つしない。
もしかしてまだ寝てるのかもしれない。
だとしても知った事じゃない。
何なら根競べでもしてやろうじゃないか、という気分だった。
この際、遅刻してでも良いから意地でも神谷と遭遇してやるつもりだった。
だから再度インターフォンに指を置き、力を込めようと―――したところで。
「……おまたせ。んで、おはよ」
ゆっくりとドアが開いたかと思ったら、その人が姿を現した。
それはもちろん、神谷だった。
いや。
グレーのスウェット姿の、神谷……には……違いないんだけど。
「これだろ?修学旅行の申し込み用紙。これ取りに来てくれたんだろ?」
「…………」
「昨日のうちに挟んでおくつもりがすっかり忘れてた」
「…………」
「あぁ、このカッコ?今日も一応休んどく。明日からは行けると思う」
「…………」
これは、あたしの知ってる神谷じゃない……んじゃないかと思う。
世の中には、不思議な事がたくさんある。
見た事も聞いた事がないような事がまだまだたくさんあるんだろう。
たとえば、深海。
光すら届かない闇の底は、一体どうなってるんだろう。
まだ発見すらされてない深海の生物が、あとどれくらいいるんだろう。
死ぬまで闇の中で生きるなんて、あたしには全く想像も出来ない。
だけど、そんな闇の中で生きてる生物がいるのも現実。
ただあたしが知らないだけで、今この瞬間にだって新種の生物が生まれ続けてるのかもしれない。
あたしの生きてる世界なんて、広い海だの無限の宇宙だのから見ればホントに小さな世界で、数100年後には隣の家の人が宇宙人、なんて事も普通にある事なのかも……
って。
いや、そうじゃなくて。
人は“知らない事”を恐れると言う。
自分に理解出来ないものを、なかなか受け入れる事が出来ないらしい。
だからあたしは多分、考える事を拒否してるんだろうと思う。
っていうより、夢を見たんじゃないかとすら思ってたりする。
だって信じられないんだもん。
あの神谷が。
目が合っただけで「見てんじゃねェよ」と凄んで来る神谷が。
“これだろ?修学旅行の申し込み用紙。これ取りに来てくれたんだろ?”
ちゃんと目を見てお喋りしてくれるなんて!
更には。
“今日も一応休んどく。明日からは行けると思う”
ちょっと微笑んですらくれただなんて!
いつもみたいに凄んで来ない神谷は、超絶にカッコ良くてドキドキした。
何ならドアを閉める瞬間、「ありがとな」なんてお礼まで言われた。
何なんだ、あの豹変ぶりは。
一体ヤツに何があった!?
っていうか、あれホントに神谷だった!?
全く同じ顔した全然別人としか思えないんだけど!
「嬉しそうだね。やっぱ神谷が休みだから?」
有り得ない想像を膨らませてたら、今日も休みの神谷の席にサキが座った。
どうやらあたしは嬉しそうらしい。
多分、有り得ない妄想よりも、実際に見た「微笑む神谷」がカッコ良すぎて、それが顔に出ちゃってるらしい。
「で、神谷ん家どうだった?やっぱ神谷、感じ悪かった?」
手鏡の中の自分自身を見つめながら話すサキの口調は、聞かなくてもわかってるけどね的な感じ。
実際、神谷は感じ悪かった。
昨日の時点では。
「う……ん、まぁね」
「やっぱりねー。んでもアイツ、マジでもったいないよねー。普通に笑ってりゃ普通にカッコ良いのに」
実際、神谷はカッコ良かった。
今朝の神谷は。
「……ねぇサキ……もしもあたしと同じ顔した人がもう1人いたらどうする?」
いきなりの質問にサキは「はぁ?」なんてマヌケな声を上げる。
「しかもね、顔は同じなんだけど性格は全く違うの。顔は同じなのに、性格は真逆なの」
「えービックリする」
まぁ、そりゃそうだろう。
「んで取り敢えず聞く。あんた双子だったの?って」
「……あ」
そうか!
双子!
その線があった!
「後は、アレ。アレを疑う」
「アレ?」
「何だっけ。ほら、自分と同じ人間を見ちゃうんだっけ」
「もしかして、ドッペルゲンガー?」
「それそれ!ドッペルゲンガー!世の中には不思議な事もあるからねぇ」
なるほど。
でもそれってあたしが“あたし”を見る事であって、今回の神谷の件には当てはまらないと思う。
それに出来ればあたしは“双子説”であって欲しい。
だって超常現象系は、かつて一度も経験がないだけに、とてもじゃないけど信じられないし。
そっかそっか。
なら今朝の神谷は双子の片割れの方だったのねぇ……と1人でうんうん頷いてたら、手鏡からやっと視線を上げたサキがジッとあたしを見つめて来た。
「ねぇセーラ。そんなどうでも良い話してるとこ悪いんだけどさ」
「ど……」
ま、まぁね。
くだらない話なのは認めるけど。
「これから言う話はあんたには回らないだろうし、知らされないだろうけどさ。でもナイショってのは感じ悪いから一応言っておこうと思って」
「え……何、怖いんだけど」
「今度ね、クラスのみんなで担任に嘆願書出す話が出てる」
「た、嘆願書?何の?」
「席替えだよ席替え。それをこの1年間はしないでくれっていう嘆願書」
「………え!?」
「だってイヤじゃん。誰も神谷の隣になんてなりたくないし」
「そ……れはあたしだって、」
「セーラはもう仕方ないじゃん?だって必ず誰かは神谷の隣にならなきゃいけないワケだし。幸いにも神谷は窓際だから被害が最小限に抑えられてるし」
「……その最小限の被害者を救おうという話は……」
「ないよね。全くね」
「…………」
あぁ……友達って一体……。
「だってほら。やっぱ楽しく過ごしたいじゃん、学校生活は」
「その権利、あたしにもあると思うんだけど」
「まぁ最大の被害をなくすための小さな犠牲って感じ?そういうセリフ何かの映画で聞いたけど何だっけ」
「…………」
い、良いもん。
先生がその嘆願書を受理するとは限らないし。
それにあたしは知ってるもん。
神谷には無愛想な神谷と、もう1人の神谷がいる事。
知らないからね!?
後になって素敵な神谷を知ったからって、紹介してだの仲を取り持ってだの言って来ても知らないからね!?
素敵な神谷はあたしが独占してやるんだからね……!?
―――そして。
「何見てんだよ。俺に話し掛けようとすんな」
「…………」
翌日、隣に座った神谷に“昨日はどうも~”って声を掛けようとしたあたしは、やっぱり口を“き”の形に開けたままフリーズさせられた。
でも、昨日のアレは神谷じゃなかった事も思い出して、声掛けなくて良かったと思った。
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