第31話 クエン酸を求めて

「ベーキングパウダー? ああ、あるぞ」

「おお、やった!」


 朝食を食べ終えてからウェンデルのパン屋に向かい、早速店主にベーキングパウダーについて尋ねてみると、嬉しい返事が返ってきた。

 やっぱりこの世界にもベーキングパウダーはあった。という事は……


「ベーキングパウダーってのに、重曹は使われてる?」

「重曹? ……ああ、重炭酸の事か。もちろんだ。あれがないと、ふっくらしたものが作れないからな」

「それ、それだ! それを売ってくれ」

「売ってくれって……あんな粉に値段なんかつけれんよ」

「じゃあ、その棚のパンを全部買うから、その粉をつけてくれ」

「……? ああ、それなら別に構わないが。しかし、重炭酸を欲しがるなんて、勇者様は変わってるな」


 商談成立。

 とりあえず売れ残っているパンを購入して、重曹を一袋分貰う。パンについては近くで遊んでいた子供達にそのままプレゼントしてやった。

 ユウナの手料理を食べたばかりでお腹一杯だしな。


「で、だ。店主。重曹ついでにもう一つ相談なんだけど……クエン酸って知ってるか?」

「クエンサン? そいつは誰の事だい? この町にそんな変わった名前の人はいないぞ」


 やっぱりクエン酸については知らないか。

 それも当然だ。俺達の世界だって、クエン酸の存在が判明したのは割と最近だったはずだ。中世の頃には知られていなかったのだから、なくて当然である。


「えっと……クエン酸っていうのは、レモンとかの中にある酸味成分なんだ。レモンの中からその酸味成分だけを抽出したいんだけど、知ってる?」


 物は試しだ。訊くだけ訊いてみよう。

 ただ、案の定というか、パン屋の店主は難しい顔をして首を横に振る。


「いやぁ、さすがにそいつは俺の専門外だ」

「そうか……まあ、それもそうだよな」

「パン作り以外は何もしてこなかった人生だからなぁ。レモンから成分を抽出? みたいなそんな実験みたいな事はした事ないよ」

「……実験?」


 その単語にハッとして、俺は海に浮かぶ島に視線をやった。

 ウェンデルの町に浮かぶウェンデル島──ウェンデル魔法学院の管轄島で、その中にはもちろん学校がある。俺達の仲間・大魔導師シエラの母校だ。


「……あそこの学校ではそういう実験とかやってないかな?」

「さあな? あんましあの学校の事は知らなくてね」


 俺の問いに応えると、パン屋の店主はそのまま仕事に戻っていった。

 なんだか、ちょっと話を終わらせられた気がする。もしかすると、あんまりパン屋は魔法学院の事をよく思っていないのだろうか?

 それから他の町の人にもウェンデル魔法学院について尋ねてみたものの、反応はパン屋の店主と変わらずだった。

 学生どもは自分が偉いと勘違いしている、という様な意見を何人かから聞いた。これらから察すると、この町と魔法学院──というより生徒──の関係はあまり良好ではないようだ。

 そういえば、シエラも学院は閉鎖的で卒業するまで学外の人と接する事がなかったと言っていた。そのせいもあって、シエラは(この世界から見て)異世界人の俺から見ても常識がないと思う事を言ったりやったりしていて、何度か肝を冷やした事がある。

 彼女が特別だと思っていたのだが、案外それは学院の生徒全体でも言えるのかもしれない。


 ──ま、とりあえず行ってみますか。


 学院の事は町で訊いてもわかりそうになったので、直に乗り込んだ方が早そうだ。

 それに、シエラの仲間として一緒に学院に入った事もあるし、学長と面識もある。何とかなるだろう。


 ──たかがクエン酸の為にえらい労力だな。あっちだと百均に売ってるのに。


 俺は小さく嘆息すると、早速ウェンデル島へと続く長い橋を渡り始める。

 橋といってもしっかりとした材質で作られており、馬車が二台程通れる幅があった。学院は全寮制らしいので、食材やら生活用品やらを外から運び込む為だろう。

 潮風から故郷を感じながら、ゆっくりと橋を渡っていく。

 ここが江ノ島だったら、このくらい天気が良ければ富士山が見えるんだけどな、と思いつつも、やっぱりそれらしい山は見えずにどこかがっかりする。

 形状だけ似ているだけで、ここが江ノ島ではないと改めて自覚させられた気がしたからだ。

 橋を渡ってから、門番に聖剣バルムンクを見せて中へと通してもらう。以前一度来た事があるというのと、卒業生のシエラの仲間という事もあって、警戒はされなかった。

 学院の敷地内に入ると、早速校舎が見えてくる。

 校舎といっても、外観はまんま大きな古城である。映画パリーポッターに出てくる魔法魔術学校に近いのかもしれない。

 以前来た時にシエラが教えてくれたが、まだウェンデルが聖王国プラルメスの傘下に入る前に、旧ウェンデル国王が住んでいた王城だったそうだ。とは言え、もう百年以上前の話らしくて、そんな事を覚えている人は殆どいないらしいが。

 校舎の中に入ると、中には指定された制服代わりの魔導師のローブを着た学生で溢れていた。何だか、本当にパリーポッターの世界に迷い込んだみたいだ。


 ──まあ、まだ列車に乗ればロンドンの町に帰れるだけあっちの方がマシなのかな。


 そんな事を考えながら、校舎の中を歩いていく。

 さすがに構図までは覚えていなかったので、生徒に職員室までの道のりを教えてもらおうと話しかけてみると、俺が勇者エイジだとわかるや否や人が集まってきて大変だった。

 勇者エイジと共に魔王を討ち滅ぼした魔導師シエラはこの学院の卒業生でもあると同時に誇りだったらしく、そんな彼女と一緒に旅をした俺の評価もかなり高いらしい。こういう時、勇者だとちょっと鼻が高くなる。

 そのうちの一人にとりあえず校長室まで案内してもらうと、そのまま受付の者に校長との面会を希望した。

 受付にいた者も、最初はアポがないと困るだのと言ったが、俺が勇者エイジだとわかるや否や、すぐに対応すると態度を一変させた。


 ──これはこれで、結構便利なんだよな。


 俺は背中の聖剣バルムンクをちらりと見てそんな事を思いつつ、校長室へと入っていった。

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