第1話 蛟龍〜水の拳〜 第二十二節

 亜美を見送った後、程無くして車は見覚えのある農道に差し掛かる。ここからしばらく走れば右手に那美の家、篠山ささやま道場が見えて来る。


「はい、到着。那美ちゃん、ナディアちゃん、お疲れ様でした」

 史郎が車を母屋おもやの前に付ける。

 母屋と道場、どちらにも明かりが灯っている様子を見ると母は帰って来ていて、渡辺師範代や門下生たちも来ているようだ。


「ありがとうございます……お疲れ様です……」

 やっと麻子のいじくり地獄から解放された那美がグッタリした様子で車外に出る。


「ナミ、これヲ持ってクレ」

 助手席のナディアが那美に紙袋や段ボール箱や包みを手渡す。たちまち那美の両手は荷物で塞がってしまう。

「シロウ、マコ、テルマ、今日はどうもありがとうございました、これヲお土産ニ貰ってクレ」

 ナディアはそう言いつつ、麻子にも梱包された箱を手渡した。

「中身ハ、『栗もなか』ダ、ティータイムに食べてクレ」


「あらら!!ナディアちゃん、私たちのお土産まで買っててくれたのね!!」

 笑顔で箱を受け取りつつナディアの頭を撫で撫でする麻子。渡したナディアも頬をピンクに染めて喜んでいる。


「それじゃ、またね、那美ちゃん、ナディアちゃん、おやすみなさい」

 後部座席の窓から照真が手を振りながら別れの挨拶をする。

 ナディアと入れ替わって助手席に乗り込んだ麻子も笑顔で手を振った。

 那美とナディアは荷物を両手に下げたままお辞儀をする。

 そうして日野家の家族を乗せた車は帰って行った。


 駐車場を見ると父・竜馬の車であるセダンが停まっていた。今日静江が警察に引き取りに行って、洗車と車内の清掃をして来たらしい。

 他にも渡辺師範代や生徒たちの車が停まっている。


 那美は紙袋の手提げ部分を手首に引っ掛け、ジーンズのポケットから家の鍵を取り出し、ガラス戸の鍵を開けた。

 そして引き戸を開け、中に入ると

「ただいま」

 と言った。ナディアも続いて入り、

「タダイマ!帰って来たヨー!!」

 と、元気な声で言った。


 すると居間の方から静江が神妙な顔付きで歩いて来て、

「おかえり、那美、ナディアさん。それで、那美、帰って来てすぐで何なのだけど……」

 と言いつつ荷物を受け取った。


「どうしたの?」

 那美が尋ねる。ナディアは上がり込んで、那美の部屋に向かっている。


「さっき竜王院さんのお嬢さん、亜美ちゃんかしら、あの子から電話があって、那美が帰ってきたら至急電話を欲しいと……」

 それを聞いた那美は、『那美が帰ってきたら』の辺りで台所に置いてある電話機に走った。


 竜王院家の電話番号を押すとすぐに亜美が出た。

『那美さん!?良かった、すぐ帰って来ていらして』

 声が何やら上ずっている。何か起きたのだろうか。

「竜王院、どうしたんだ」


『早く来て!!助けて!!』


 亜美の叫び声を聞いた那美は、受話器をフックに叩き付けて、居間に入って来た静江に、

「母さん!!車のキーを貸して!!ナディア!!!」

 と叫んだ。

 すぐにタタタタタッ、と足音が聞こえてナディアが駆け付ける。

「どうシタ、ナミ、カ!!?」

 何処で覚えたのか、真面目な顔でそう叫ぶナディア。


 驚いている静江から車のキーを受け取った那美は、ナディアにキーを投げ渡すと、

「竜王院の家に急ぐぞ!母さん、師範代には私は急用で出掛けた、って言っておいて!!」

 と那美は言いながら玄関へ走り、靴を履いて外へ飛び出した。


 そして後から追い付いて来たナディアに、

「ナディア、さっき来た道の途中に豚舎が有っただろう、あそこへ急いでくれ!!」

 と言って助手席に乗り込む。それを聞いたナディアは、

「解ッタ、あの豚小屋ダナ!!」

 と言い、エンジンを掛ける。


 そしてサイドブレーキを外し、トランスをバックに入れて切り返すとドライブに切り替え小径に突っ込んだ。


「荒い運転だな!!!」

 那美が舌を噛まないように気を付けつつ叫ぶ。

「Dirigindoナラ任せテ!!」

 ナディアはそう叫んでハンドルをグルングルン回して急旋回しつつ農道に出ると、アクセルを踏み込んだ。


 そうして寿命がゴッソリ縮みそうなナディアのドライビングテクニックで夜道をブッ飛ばし、二人が乗った車は程無く豚舎の横の道に辿り着いた。


 亜美は『車が入れない細い道だ』と言っていたが、そんな事は無く、舗装されていない道だが車二台が充分対向出来る道幅はある。

 その道の左手には豚舎が並んでいて、道なりに進むとデントコーンの畑に囲まれた一軒の家が立っている。


 家の前に車を付けると、二階の窓に亜美が立っているのが見えた。

 那美とナディアは車から降りると、家の玄関に向かった。


「ナミ、私ハ窓から入ろうカ?」

 ナディアが処刑人の表情と声色で那美に訊く。


「いや……二階に亜美が居たからそこまでの事態じゃないのかも知れない……だが呼び鈴を鳴らすから何かが飛び出して来ても対処出来るようにしておいてくれ」

 そう言いながら那美はチャイムを鳴らした。


 生唾を飲み込みつつ何が起きるかを待つ。

 すると意外にも、

『は〜い、今参りますね〜』

 と柔らかな女性の声が屋内から聞こえて来た。


 ガチャリ、と扉が開くと、

「こんばんは、あら、那美ちゃん、お久しぶりねぇ……それと、お友達かしら?」

 と、その女性…亜美の姉の竜王院加奈りゅうおういんかなはキョトンとした表情で那美とナディアを見て、挨拶をしてきた。

 その表情を見た那美とナディアの方が奇妙な表情になってしまう。まさか亜美に一杯食わされたのだろうか。


「玄関先も何だし、どうぞ上がって」

 加奈に促されて玄関に入る。そこから感じる雰囲気や気配にも物々しさは感じられない。


「お邪魔します」

 那美は硬い表情になると靴を脱いでズカズカと上がり込み、二階へと向かった。ナディアもそれに続く。

 家の中へと案内した加奈は怪訝そうな表情で二人を見送った。


「竜王院!!一体どういうつもりだ!!」

 亜美が居た部屋のドアを乱暴に開いた那美は、部屋の窓際で外を見ている亜美に叫んだ。


「那美さん……」

 振り返った亜美の顔は引き攣っており、血の気が失せたような青白い顔色になっていた。


「……何か事情があるのは本当のようだな……話してみろ」

 亜美の異様な様子を見た那美は、怒りを鎮めつつ尋ねた。


「わたくし見てしまったんですの……」

 そう話出しつつも窓の外をチラチラと気にする亜美。

「見た?何をだ」

 怪訝そうな表情で亜美を見る那美。二人が着いてからも亜美の恐怖の表情は和らいでいない。


「巨大なムカデですわ……そいつがウチの豚を咥えて、旧道のトンネルに入って行くのを……」

 窓の外をチラチラうかがいつつ、冷や汗をかきながら亜美が言った。よく見ると小刻みに震えている。


「巨大なムカデ……?」

 那美の片眉が上がる。いきなりの突拍子も無い亜美の話ではあるが、思い当たる節が那美にはあった。

「Megalo Centopèiaカ、自転車ノタイヤくらいノ大きさノ物は見タ事があるガ、豚ヲ襲ッテ食べル程ノ大きいノハ聞いた事ガ無いナ……」

 ナディアが首をひねって言う。


「勿論そんな大ムカデは日本にも、いや世界中にだって居ないはずだ」

 その那美の言葉に亜美が青白い顔のままで言う。

「そうかも知れませんが、確かにわたくしは見たんです!!……そうですわ、旧道までの道にあいつが咥えて行った豚の血が滴ってる痕が有るはずです!!」


「まぁ待て、竜王院。その話は信じる。お前が口から出任せで他人をかつげるような器用な女じゃないのは、私もよく解っているつもりだ」

 上ずった声の亜美の両肩を押さえて那美が言う。


「那美さん……」

 那美のその言葉に安心したのか、ようやく顔色が戻って来た亜美の瞳に涙が浮かぶ。


「恐らく……というか確実にその大ムカデは、"ゆがみ"の産物だろう」

 那美が言う。

「"歪み"……?」

 亜美とナディアが揃って怪訝そうな顔で那美を見る。


「にわかには信じ難い話かも知れないが、そういった"歪み"の影響を受けた動物や人間こそが、神話やおとぎ話に現れる怪物の正体であり、紛れもない『実話』なんだ」


 な、何だってー!??と叫びそうな啞然とした表情になる亜美とナディア。

 その顔を見つつ那美は続ける。


「その大ムカデも、そのまま成長を続ければ俵藤太たわらのとうたの百足退治に語られたような『山を取り巻く程の巨大な姿』になってしまうかも知れん。そうなる頃には被害は家畜だけでは済まず、人間さえも餌食にされてしまうだろう。……それでだ、そんな神話クラスの化け物は流石に私の手にも余る物だから、師匠を呼んでみる、電話を借りるぞ」

 そう言って立ち上がった那美は、部屋を出て行った。


 その那美の後ろ姿を見送りつつ、ヘナヘナと床にへたり込む亜美。その背をナディアは優しく撫で、

「大丈夫ダ、アミ。ナミならバ何とかシテくれる」

 と励ましの言葉を掛けた。


 一階に降りていった那美は、居間に向かうと、TVを見ている男性と加奈に声を掛ける。


「すいません、電話を貸して頂いてよろしいでしょうか?」

 その内の男性……この家の当主の竜王院哲也りゅうおういんてつやが、

「おう、那美ちゃんか、どうぞ使っとくれ」

 と答えた。


 哲也の許可を得た那美は、居間の外の廊下に置いてある電話で大阪に住んでいる叔父、あきらに電話を掛ける。

 しかし、呼び出し音が続くばかりで出る気配が無い。


「留守か……これは不味まずいな……」

 那美は受話器を置くと、二階へ上がり、亜美が

 居た部屋に入る。

「どうでしたの!?」

 窓から外の様子を窺っていた亜美が振り返って訊く。


「電話に出ない……師匠は留守電設定にせずに、居る時だけ要件を聞くタイプだから、いつ帰って来るかも判らん……」

 焦りを隠せない表情で那美が言う。


 その言葉を聞いた亜美は、絶望に打ちひしがれたように崩れ落ちる。

「そんな……この後、お父様が豚舎の見回りに行きますのに……その時にあいつに遭ったら……!!」

 顔を両手で押さえて震え上がる亜美。


 その姿を見つつ、那美は考えた。

 元々、彬に助けを求めた所で大阪に居る彬が篠山町にやって来れるまでには時間が掛かり過ぎるのだ、つまり最初から打つ手は一つしか無かった。


「竜王院、お前は親父さんをどうにかして引き止めろ。私が旧道へ向かう」

「!!!」

絶句する亜美。


「相手が"歪み"から産み出された怪物ならばちょっとやそっとの攻撃では……たとえ銃弾だって効き目は薄いだろう、だが"水の拳"なら最悪相討ちに持ち込んでもたおせるはずだ」


 そう言った那美に亜美がしがみ付く。

「そんな無茶な……!!貴女を呼んだのは確かにわたくしですが、もし貴女に万一の事が有ったらわたくしは……!!」

 亜美は話す内に泣き声になり、目から滂沱ぼうだの涙を流す。


「ナディア、旧道まで頼む……それから私が帰って来なかった場合はこのうちの皆を車に乗せて大阪の空手道協会まで逃げろ。最悪な場合、豚たちは犠牲になってしまうだろうが、充分な時間は稼げるはずだ。そして師匠……御槌彬みづちあきらにここで起きた事を伝えてくれ」

 そう言いながら亜美の手をほどく那美。ナディアが無言でうなずく。


「嫌……!!それじゃ貴女が……!!」

 泣きじゃくりながら那美を引き止めようとする亜美。

「亜美、お前の家族を守れるのはお前しか居ないんだ、親父さんを引き止めた後、車が戻って来たら家族の皆と乗り込むんだ」

 そう言って歩き出す那美、その後に続くナディア。


 亜美はこらえ難い気持ちを抑えて、二人の後を追って階段を降りる。

 そして一階に降りると、亜美は那美に抱き着き顔を自分に向かせると、那美の唇に自らの唇を重ねた。

「!!?」

 目を白黒させて驚く那美。それを見ていたナディアも驚く。


 そして唇を離した亜美は、那美をそっと突き放すと、突然大声で泣き出した。

 何事かと居間から顔を出した哲也に、

「うわぁぁぁん、お父様〜〜!!那美ちゃんが〜〜〜!!!」

 と小さな子供のように泣き付く亜美。嘘泣きだ。


『竜王院……お前は……お前って奴は……!!』


 那美は、今にも泣き出したくなるような熱い気持ちを堪えて、亜美を泣かせてしまったので慌てて帰る、という風に見せ掛けながら、

「お邪魔しました!!」

 と叫んで玄関を飛び出した。


 そして後に続いて来たナディアと共に車に乗り込んで言う。


「じゃあナディア、旧道まで案内するから頼む」

 それを聞いたナディアは処刑人の表情で任務に赴くように、

了解エンテンディド

 と短く言い、闇夜に向かってアクセルを踏み込んだ。









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