第四章 謀議はどこにでも転がっているー2


 大農場の慌しい作付けの季節は過ぎ、穏やかな静けさの中で、南部農場は春の陽射しを浴びている。

 農場、果樹園、放牧場と、明確に区画され整備された、南部大農園地帯は、独特の美しさを持っていた。区画の境界を、広く真っ直ぐな農道が縦横に走り、緑の大地を、様々な方形に切り取っている。

 ひときわ広い道路が、首都ネオ・マーズから東へ向かって伸びている。両側に高いフェンスが続いているのは、この道路が農道ではないことを示していた。火星内飛行船空港へ向かう、主幹道路である。

「立派なもんですな。空気は澄んでいるし、農園は手入れが行き届いている」

 火星保安警察北部方面特別捜査部隊副司令、ロバート・ニーブン少佐は、溜め息混じりに言った。

「美しすぎるがな」

 特別捜査部隊司令、ハミルトン・バコオル大佐は、詰まらなさそうに答えた。

「気に入りませんか?」

「気に入らんな。俺には、農園じゃなく、工業基地に見えるね」

「なるほど……」

 車外の風景を仔細に眺めた後に、ニーブンは納得した声で言った。

「言われて見ると、生産工場のように見えます。たしかに、整いすぎている」

「そう言うことだ」二人は、顔を見合わせた。

 この風景をよしとする人々が、火星の南半球に居て、火星の実権を掌握しているのだ。

「大佐のおっしゃる通り、民間人が使うルートで、北半球を見ておくと言う方法は、正しかったようですな」

「飛行船で、そのまま北へ飛べば、北と南の違いは判らない。いや、お前達の事じゃないぞ、オキタ」

 バコオルは、左側に座っている男を見て言った。今日は、全員が軍服ではなく、平服を着ていた。

「はい、承知しています」

 若い男だ。名はジェームス・オキタ。別働隊の副官を務める、バコオルの若い右腕である。オキタは顔を伏せ、楽しそうに笑った。

「私の任務は、サンダースと部隊の本拠地を、一刻も早く見つけることですから。お気遣いは無用です、大佐」

 彼等は、最後の打ち合わせを終え、オキタを空港へ送るところだ。その後、バコオルとロビィは、ネオ・マーズの北岸から出る船に乗る予定だった。

 火星へ到着してすぐ、火星総督府へ出頭すると、バコオルは、政府関係者用の特別便飛行船を断った。

「詳細は判らなくとも、少しでも火星の世情に、通じておきたいと思います。地理的な時間を把握する上でも、船と鉄道を使うべきだと、私は考えております」

 火星総督アラン・オズモンドは怪訝な表情を浮かべたものの、直ぐに気を取り直し、こう答えた。

「よかろう。君達の思った通りに遣って呉れ給え。北半球に本部を設置する件も許可しよう」

 と、ここで一度言葉を切り、総督はバコオルとニーブンを見た。

「但し、遣りすぎはいかん。前任司令の事もある。彼は、開拓地やその北の自由居住区の住民に対して厳しすぎた。評判は良くなかった。彼が、盗賊に命を奪われた原因が、そこに有るのかどうかは定かではないが。充分に配慮して欲しい」

「心得ております、総督。充分に注意して、事に当たるつもりです」

「そうしてくれ。これ以上、北で問題が起こったのでは、地球の中央政府も黙ってはいまい」

「判りました。必ず、ご期待に添うよう、努力いたします」

 バコオルは、総督に対して、軍隊式の敬礼をした。

「いや、そう堅苦しく考えることはない。それだけ、君達に期待していると言うことだ。時間を懸けて、ゆっくりと着実に遣ることだ。潤沢とはいかないが、必要経費は計上してくれ給え。協力は惜しまないよ、バコオル大佐」

「有難うございます」

「私は、この特別捜査隊を、軍人に任せることには表向き反対を表明した。あまり火星各地の保安警察を刺激したくなかったからな。保安警察と言う名称は、たしかに君達のような資質を必要としそうだが、実際は、元々行政監督と言う方が相応しいのだ。今日では、保安警察の評判はよくない。第一ここでは、総督府は煙たがられる存在なのだ。総督府は中央政府直属の機関だからな」

「勿論、その辺りの勢力均衡は心得ています総督」

「北には、既に保安警察の本隊がそれぞれの担当地域を持って、任務に当たっている。その監督にも当たらなければならない。ま、しかし、君達は、私が想像していた軍人とは、ちょっと毛色が違うようだ」

「と、言われますと?」バコオルが訊ねた。

「つまり、その、軍人と言うよりは、民政官に近い印象を受けたのでね」

 総督がそう判断したのは、バコオルの風貌や人柄に依るところが大きかった。それに加えて、バコオルは情報部勤務を経験しているし、重要人物の警護責任者の任務もこなしてきた。軍人とは言え、幅広い分野での経験を持っていたのである。その経歴が、今回の抜擢にも繋がっていたのだが、表だって中央政府の政策として強行するには、火星の状況は複雑に交錯している。単純な軍人気質の部隊を火星に送り込めば、更なる混乱と衝突を生むことは間違いなかった。


 総督の協力を取り付けたバコオルは、すぐに行動を起こした。今迄本部だった場処を引き払い、民間居住区の中に家を借りると、そこを南半球における特捜本部とした。五人を常駐させ、南での情報収集に従事させると共に、やがて増えるだろう協力者の基地とする為だ。衛星を通じて、地球への直通専用回線を確保した。やがて、北半球に設置する特捜隊本部と直結ラインで結ばれる予定だ。常駐の隊員は、普段は軍服を着用しない。

「堅苦しい儀礼は終わった。これからは、いつも通りの、俺達の遣り方でやる」

 バコオルは、特捜部隊司令として、全員を前に宣言した。その為に、バコオルは隊員全員を、ニーブンと二人で、念入りに選別したのだ。

 宣言から三日の内に、南半球の手配を済ませ、常駐する五人の部下に指示を与え、残りの部下を北半球へ先行させた。各地域の調査と、情報収集を急がせたのだ。火星に到着して十日後の今日、バコオルとニーブンは、平服姿で北へ向かって出発するところだった。

「少し日数を懸けて、ゆっくりと北へ向かおう。その間に、情報も集まるだろう。ここからは、急ぐ必要はない」

 オキタが乗った飛行船を見送ると、バコオルは言った。

「はい。日数の予定は?」ニーブンが聞いた。

「十日もあればいい。途中、それぞれの開拓地へも寄ってみよう」

「判りました。妥当な線です」

「ありがとう、ロビィ。ところで、旅の間は、もう少し砕けた口調にしてくれ。その言い回しは、軍人だとすぐに知れる。民間の、仕事仲間と言う設定はどうかね?」

「はい。それは、命令でありますか、司令?」

 ニーブンは、律儀な声のままで問い返した。だが、眼が笑っている。

「命令だ。以後、ハミルトン、乃至はバコオルと呼び給え」

「命令とあれば、ハミルトン」

「その調子だ。行こうか、ロビィ」

「で、我々二人は、北へ着くまで、どう言う仕立てで行動するのです、ハミルトン」

「ナダの谷に、通信会社を開くに当たり、現地調査を行うために旅する、エンジニア責任者と」バコオルは自分を指差し、次にニーブンを指差して、

「因みに君は、開発部長だ。会社の設立は、君の双肩にかかっている」

「了解しました、ハミルトン」眉一筋動かすことなく、ニーブンは答えた。

 そして、二人はにやりと相好を崩した。

「情報部時代に、戻ったようですね」とニーブンが言うと、

「あの時程の緊迫感はないが。火星は、面白そうだ」バコオルが答えた。


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