第35話 これは甘々


「あー綺麗だったあ」

「……」

「せい君、どうしたの?」

「い、いや。お、終わったなら帰るぞ」


 三十分という時間がまじで永遠のように長かった。

 その間中、先日おしっこを我慢していた時のように自分の理性をフル稼働させて色々我慢していたせいで、疲れた。


 くたくたの体と、神岡の重みで少ししびれた左手を庇いながら立ち上がると、しかしやはり誰もいない。


「なあ、こんなに客入りが悪くて大丈夫なのか?」

「ん、いつもは満席だよ?」

「なんだそうなのか。いや、じゃあ今日はなんで」

「さあ、たまたまラッキーだったんだよ」

「ふむ」


 絶対何か仕込んだなと、そう思いながらも言及はせず。

 そのまま科学館をあとにした。


 帰り道でも、まだ神岡が隣に寝そべっていた余韻が残っている。

 あんなことを部屋のベッドでされたらと思うとぞっとしない。

 理性なんか簡単に吹き飛んでしまう。

 やっぱり部屋に泊めるという約束は延期させて良かったと思わされる。


「さて、帰ったら勉強だな」

「うん、今日はせい君のお部屋にお泊りだから早く用事済まさないとね」

「そういやそうだった……待て、その話は一旦延期に」

「なってないよ? 付き合うのは延期になったってだけだよ?」

「なっ……話が違うぞ」

「違わないよ? お泊りしないなんて一言も言ってないもん」

「……」


 神岡との会話を振り返る。

 もっとも、過去の記憶なんて曖昧なもので数秒前のことですらとっさの会話とかであればはっきりしないことも多いが、それでも覚えてる限りを頭の中で巡らす。


 ……してないな、確かに。


「せい君、そういうわけだから今日はお泊りだよ? 付き合うまでエッチなことはしないけど、イチャイチャするのはいいんだよね?」

「い、いや、それは」

「いいよね? ね?」

「……」


 さっさと帰りたいと思っていたのに、急に足取りが重くなる。

 帰りたくない。

 

「せい君、帰ろ?」

「あ、ああ。ええと、そういえば夕食の食材って」

「家にあるから大丈夫。帰ろ?」

「う、うん。ええと、そうだ、なんか駅前のたこ焼きでも」

「今日は定休日だよ? だから帰ろ?」

「……」


 なんとかして寄り道をと考えても、うまくいかず。

 自然と変える方向に足が向いてしまって、気が付けば我が家に帰ってきていた。


 家の中に入ると、神岡はまず「ご飯作るね」と。

 キッチンへ向かう彼女から逃げるように俺は、部屋に閉じこもった。


「……どうしよう、お泊りって大丈夫かな」


 そわそわしながら、ベッドに寝そべる。

 さっき、隣に寝転んでいた神岡の残像が頭に浮かぶ。


 もしここに神岡が来たらと考えるだけで、俺の頭の中はよからぬ想像を膨らませてしまう。


「……どうしたもんか。いや、俺が我慢すれば済む話だ」


 せっかく陸上大会という名案まで持ち出したんだ。

 ここを乗り切ればきっと……。


「せい君、ご飯だよー」

「あ、ああ今いく」


 絶対に絆されたりしないと、頬を両手でパンと叩いて気合を入れなおしてから俺はキッチンへ向かう。


 今日の夕食は天ぷらだった。



「せい君、デザートにプリン作ったんだけど」

「ああ、ありがと」

「ふふっ、なんかすっかり夫婦みたいになったよね私たちって」

「そ、そうか?」

「うん。ね、そっち座ってもいい?」

「……ああ」


 リビングのソファに移動した俺の隣に、二人分のプリンを持って神岡がやってくる。

 そして横に座るとすぐに俺の肩にもたれかかる。


「お、おい」

「なんか落ち着くなあ。ね、せい君と一緒だと私、幸せ。副会長にしてくれてありがとね」

「なんだよ急に。別に、任命したのは能力を見てのことだ」

「うん、でも必要って言ってくれて嬉しかったの。私、この人の為なら死ねるって思ったの。こういうのって、ビビッと婚っていうんだよね?」

「さあ、それは知らんけど」

「ついでにできちゃった結婚でもいいよ?」

「こ、高校生だぞ俺たちは」

「じゃあ高校卒業したらいい?」

「そういう問題じゃ、ないけど」

「せい君、好き。大好き、もうずっと、こうしてたい」

「……」


 なんだろう、今日の神岡がちょっとかわいい。

 甘えてくる感じも、仕草も、声も、なんか本当の彼女みたいだ。

 発言はところどころ重いけど、それもなんか愛情故の発言というか。


 あれ、なんかいい感じだぞ?

 なんだろう、自然体だ。


「せい君、あーん」

「あ、ああ」

「ふふっ、ラブラブだね。後ろからぎゅっとしてくれる?」

「そ、それは」

「して?」

「……こ、こうか?」

「うん。せい君、あったかい」


 後ろから神岡をハグすると、髪の毛が少し俺の顔に触れて。

 ふわっと甘い香りが鼻腔をくすぐる。

 そして、後ろから前に回した俺の手を神岡がそっと握ると、なぜか俺の気持ちは安らぐ。


「……」

「せい君、どうしても私と付き合いたくない?」

「え? あ、いや、それはだな」

「私、重いから? せい君のためならなんでもするよ? 学校、一緒によくしていこ?」

「ま、まあ仕事を頑張ってくれるのは頼もしい限り、だけど」

「私よりせい君に尽くす人なんていないよ? 私、絶対にせい君の為になるよ? ね、彼女にしてくれない?」

「……だからそれは陸上大会で」

「勝てばいいんだよね? 勝ったら、ちゃんと好きになってくれる?」

「……わかってる。約束だからな」

「うん。それじゃいい。今はこのまま、こうしてたい」


 ゆっくりと、時間が過ぎていく。

 俺の腕の中で静かになった神岡は一体何を考えているのか。


 俺は、はっきりいって思考がぐちゃぐちゃだった。

 もう、意地を張る必要なんてないんじゃないかと。

 陸上大会とか、どうでもいいんじゃないかと。

 ていうか今、付き合っちゃえばよくね? と。


 もう、流されっぱなしだった。

 そして、そんなことすら口にする度胸もないまま夜が更けて。


 二人で、俺の部屋に戻った。

 

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