第23話 もよおす

「会長、そろそろ帰ります?」

「ああ、そうだな。休日の気晴らしは終わりにして、帰って今度こそ勉強しないと」

「えー、今日くらいはいいじゃないですか。帰ったら私とイチャイチャしましょ?」

「い、いやそういう要求は呑めない」

「ふーん、いじわるなんだ。ま、夜は長いですからね」

「……」


 まだ夕方になったところ。

 夜は確かに長い。

 不穏だ。しかし、無理なことは無理と言わなければ、今日中に神岡のあらゆる願望を押し付けられて、めでたくバッドエンドを迎えてしまう。


「会長、今日は手を繋いだままですからお料理は簡単なものにしましょうね。お鍋とか、よくないですか?」

「鍋、か。まあ、具材を入れて煮るだけだからな」

「ぐつぐつと、美味しいですよね」

「まあ、時期外れな気もするが」

と買い物来てるのに他の子とお話する常識はずれな人もいますけど」

「そ、それはもう謝っただろ」

「じゃあ私が謝ったら、会長の顔を鍋にツッコんでも許してくれます?」

「……すみませんでした」


 一度浮気をしてしまって、そのあと一生相手に頭が上がらないという自業自得な男性の記事をいつぞ見たことを思い出す。


 こんな気分なのだろうか。

 いや、浮気してないんだけどね俺!


「まあ、会長も悔い改めるということですから特別に許しますけど」

「なあ、もしもしもの話だけど、俺が他の女の子と付き合ったりしたら、お前はどうするんだ?」

「なんでそんな話を? ありえない可能性の話はあまり興味ありませんけど」

「い、いや……浮気されても許してるカップルとかっているじゃん。神岡さんはどうなのかなあって」


 カップルでもないけど。

 もし俺が他の子に行ってしまったとして、それで神岡が俺を嫌うのであればそれはそれでありなのかなと。


「もしそんなことが発生したら、相手の女性は豆を挽くようにすりつぶしてから海に捨てます」

「……え?」

「あと、会長からはきちんと二人の子供ができるように精子を抜き取ってから、あそこはプチンと切っちゃいます。あと、一生外に出れないように、会長専用のテナントをお借りして、その中で一生を過ごしてもらおうかなと」

「……冗談、だよな?」

「会長こそ、冗談ですよね? 浮気なんかしたら何をされても、それこそ殺されたって文句ひとつ言えないと思いますけど」

「……」


 いや、浮気に対しての懲罰が死、というのはちょっと量刑がかみ合ってないような……いやいや、そういう国もあると聞くし、価値観は人それぞれなのだろうけど。


「会長、つまらないこといってないで帰りましょう。あと、お勉強というのであれば今日は私に勉強を教えていただけませんでしょうか」

「神岡さんに? いや、俺が教えるまでもないだろ」

「いいえ、数学や物理においては会長の右に出る人間は高校生レベルだと全国でもそういません。苦手教科を克服したいのです。あと、会長が苦手な英語はよかったら私が教えてさしあげますけど」

「ふむ」


 確かに俺は文系のくせに文系科目が苦手だ。

 だからそっちが得意な神岡を招集したのがそもそもの間違いだったという話なのだけど、確かに今言っていることは一理ある。


 互いの苦手教科を克服するのはいいことだし、俺が文系科目も克服すれば無敵になれる。

 敵に塩を送るのは少し癪だが、そんな小さなことを言うのも器量が小さいし。

 勉強だというのなら大歓迎だ。


「よし、それでは帰ったら互いの苦手教科を教え合うことにしよう」

「ふふっ、楽しみです。会長おお勉強なんて、濡れちゃう」

「……」


 やっぱり不安だ。

 でも、あくまで勉強だ。

 勉強しようとしないならそれこそ神岡に出て行けと……言えるかな……。


 なんかまた変なことになるんじゃないかと不安を覚えながら駅に向かい電車に乗る。


 朝と違って少し人が多い車内で、神岡は俺にくっついて離れない。


「……そんなに詰めなくても大丈夫だろ」

「いえ、痴漢とかいたら怖いので」

「今、俺のお尻を触っているお前は痴漢にはならないのか?」

「ええ、会長のお尻ってすごくたくましいなあって」

「……」


 到着までの間、ずっとお尻を触られていた。

 痴漢をされる女子の気分を存分に味わいながら、やがて電車を降りる。


 そろそろ握った手も疲れてきた。

 なにせずっと握りっぱなしだ。

 飯の時もゲームセンターでも、一瞬たりとも離してくれないせいで少し蒸れてきている。


 もうすぐ家が見える。

 さて、一度この手を離してもらおう。


「な、なあ。帰ったらトイレに行きたいんだけど」

「ええ、どうぞ」

「あの、その時はさすがに手、離してもらってもいいよな?」

「どうしてですか?」

「どうしてって……いや、だってトイレ行くんだし」

「私は全然気になりませんよ? それどころか、会長がしてるところ、見たいです」

「お、俺は気にするんだよ」

「なんで?」

「なんでって……いや、普通に汚いし恥ずかしいから」

「会長が汚物にまみれていても、私はハグできますよ?」

「そ、そういう問題じゃなくてだな」

「どうしても私と手を繋ぎたくないのですか?」

「そ、そうじゃなくて」

「じゃあどうして?」

「……」


 家の前まで来て、神岡は不思議そうな顔で足を止める。

 そして俺を詰める。

 なぜ手を離さないといけないのかについて、納得する理由を説明しろと。


「会長、もし私と手を繋ぐことが嫌だなんておっしゃるなら、会長の右腕は私がきれいに削いでしまいますので」

「そ、そんなことしたら俺は勉強ができなくなる、ぞ?」

「いえ、私が会長の右腕になりますから。それなら文句ないでしょ?」

「……」


 いや、大有りだけど。

 ていうか削いだ腕はどこに行くんだろう……。


「会長、私にかまわずお手洗いに行ってくださいね」

「……我慢するよ」

「そうですか。では、このまま部屋で勉強に移りましょうか」


 いったん、尿意を忘れることにした。

 ただ、我慢しようと意識するほどトイレに行きたくなる。


 家の中に入った瞬間。


 トイレが恋しくなってしまった。


 

 

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