第21話 ちょきん

 心頭滅却すれば火もまた涼し。

 神岡と手を繋いでいることを極力意識しないように心がけながらまず向かったのは女性向けのアパレルショップ。


 神岡はフリーの右手で店頭に並ぶTシャツなんかをいくつか見ては、「うーん」と悩んでいる。


「いらっしゃませ、よかったらご試着などされますか?」


 と、気を利かせた店員さんがすかさず寄ってくる。


「そうですね。それじゃこれとこれ、試着します」

「はい、かしこまりました」


 白とグレーの無地のシンプルなTシャツを二枚持って。


 店員に案内されるまま奥の試着コーナーへと向かう。


「それではこちらでどうぞ」


 カーテンを開けてくれて、店員は店の方へ戻っていく。

 

「会長、それじゃ早速試着しましょ」

「あ、ああ。それならまず、この手を離してもらえないか?」

「どうして? 今日はずっと繋いだままって、お願いしましたよね?」

「……いや、このまま服は着れないし第一俺も試着室に入るわけにはいかんだろ」

「どうして? 私が着替えてる間に会長が他の女のところに逃げないという保証はどこにあります? ねえ、会長はそのおつもりなんでしょ?」


 神岡の握力が、ギリギリと骨がきしむほど強くなる。


「い、痛いって……それにどこにも行かねえよ」

「どこにも……つまり、ずっと私のそばにいると、そう誓ってくれるのですね?」

「え、いや、誓うってわけじゃ」

「それじゃやっぱりどっか行っちゃうんだ」

「い、行かないって……」

 

 試着室の前でカップルが喧嘩してる。

 そんな風に見えるのだろう。

 店内にいる客が数組、こっちを見て笑っている。

 早く、早くなんとかしないと……。


「か、神岡さん……ええと、俺はずっとここから動かないから。心配なら声かけてくれていいし」

「じゃあ、もしいなくなったら会長は一生私の奴隷ってことになりますけどいいですか?」

「……わかったよ」


 そんなわけでようやく、俺に繋がれた鎖は解かれた。


 で、神岡はカーテンの奥へ。


「会長、います?」

「い、いるよ。早く着替えろって」

「えへへ、ちょっと呼んでみただけです。待っててくださいね」

「……」

「あれ、会長?」

「い、いるから」

「はーい」


 メンヘラは、というか神岡はどうも俺のことを過大評価しているようだ。

 俺は確かにそこそこイケメンだという自覚はあるが、あくまでそこそこ。

 それに、高校生レベルではって話だ。

 うちの学校にとびっきりのイケメンがいないから相対的にかっこいいと言われることがたまにある程度なのと、学園内では生徒会長に加え成績トップというフィルターもかかる。

 

 だからそこそこ人気なだけ。

 学校から離れたショッピングモールでナンパされるほど、俺はあか抜けてなど……。


「あの、お兄さんっておひとりですか?」

「……え?」


 そんなことを思っていたら後ろから声をかけられた。

 振り向くと、茶髪にパーマの大学生くらいのかわいらしい女性だ。


「俺?」

「はい。ここ、女性向けのお店なのに一人で何されてるのかなと」

「い、いえ。連れが着替えてて待ってるところでして」

「あ、彼女さんいたんだ。ごめんなさい、そうとも知らずに」

「い、いえ。ええと」

「大丈夫ですよ、ちょっと素敵な方だと思って、声をかけてみただけなので」

「は、はあ」


 申し訳なさそうに、女性は少し甘い香りをその場に残して去っていった。


「……可愛かったな」


 化粧のせいもあるのだろうけど、実にはっきりした顔立ちの美人だった。

 多分、ナンパされたのだろう。

 いや、これは実に惜しいことをした。


 今から追いかけていって、連絡先くらい交換したいものだ。


 が、そんな俺の淡い下心は泡と消える。

 

「会長、誰と話してたんですかあ?」


 カーテンが開く。

 そして、試着した白のTシャツ姿の神岡が、笑っていた。


「あ、いや……話しかけられただけ、だ」

「へえ。会長ってやっぱりおモテになられるんですね。ナンパされるなんて」

「な、なんかの偶然だろ? ほら、道に迷ってただけかも」

「会話、聞いてましたから。で、連れって誰ですか? もしかして私ですか? どうして彼女と言わないんですか? もしかして何か期待してました?」


 神岡の目が、だんだんと濁っていく。

 そして怯む俺に対して、ちょうどタグを切るためにおいてあったはさみを手に取って向けてくる。


「お、おいやめろ……こ、こんなとこでそんなもの振り回したら事件だぞ」

「いいえ、事件は先ほどすでに起きました。会長が他の女性と浮気したので、私はその事件に対しての判決を下すだけです」

「さ、裁判官は直接刑を実行したりはしない、けど」

「ここは裁判所ではないので」

「ひっ……」


 ちょうど、通路の方に神岡が立っているので逃げられない。

 しかし神岡の目は本気だ。どうすれば……

 

「か、神岡さん」

「なんですか? まずチョキチョキされるのはお耳からにしようかと」

「ま、待って待って! ええと、さ、さっき女の人と話したことは謝るから。ご、ごめん」


 なんで謝ってるのかと、傾げたいはずの頭を下げて。

 許しを請う。

 ああ、ほんと何してるんだろう。


「……会長、もう浮気しません?」

「し、しない。ていうか別に浮気とか」

「それじゃ、この後もずっと手を繋いだままって、約束できます?」

「……今日だけの話、だよな?」

「とりあえず今日は、です」

「……わかった」


 背に腹は代えられぬ。

 命に代えられるものなどない。


 俺は両手を挙げて降伏した。

 すると、神岡は店員を呼んではさみを渡す。


「すみません、これ買ってそのまま着るのでタグ切ってください」


 で、タグがチョキンと。

 俺のあちこちは、今日も切られることなくきちんと繋がったままだった。


「会長、手繋いでください」

「……ああ」


 そのまま、手を繋いで一緒にレジへ。

 会計を済ませる間も、外に出てからもその手はまるで接着剤でくっついたかのように固く握られて離れることはなく。


 昼食を食べようということで、店内にあるフードコートへ向かうことになった。

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