少年と街

@Siro_kurage

モノクロの夢で

少年は、あるとき物語を書いた。新しく買ったインクで綴ったのは、この街を出て遠い街で暮らし、そこで死ぬ男の話だった。その男は街を出る事を夢見て、人生の半分をかけてこの街を出る。けれども新しい街でも同じような、しかし今度はよそ者としての暮らしが始まり、そして自殺をするのだった。彼は最後まで書いて二三度読み返し、満足して家の暖炉にくべてしまった。彼はこの物語が———彼が子供だからという理由で、分かったような顔をして書かれたチャチな物語だと思われたくなかった。出来は満足のいくものだったがそれも読み返すうちに、この暖かな家の外に出ずに筆をとって、幸せになれない物語を書いていることへの自笑に塗り潰された。それに彼には姉と二人の兄がいて、この紙束を家に置いて良いことが起こるとも思えなかった。


今年の冬は厳しい寒さで、とラジオが喋るのを聴きながら、彼は小さな屋根裏に戻っていく。姉と上の兄は既に働いていた。自室が欲しいと言うので元子供部屋とその隣の部屋を明け渡し、下の兄と一緒にこの屋根裏部屋に移ったのが二年前。下の兄が学校を出て一人出稼ぎに行ったのが四ヶ月前。それ以来少し寒すぎる上に充分に立てもしないこの空間は、彼の家の中で最もお気に入りの場所となっていた。下の兄と二等分、といっても少し彼の方が小さくなるように区切られていた屋根裏は、兄が物を置いていったスペースをのぞけば今では彼一人のものだ。彼は自分の全てをここに詰め込んでいた。買ってもらった何冊かの本と聖書、字引。自分のペンとインク、紙束、ナイフ、ポストカード、使い古したカバン。異国の布でできた、細かく暖かな色調のハンカチ。瓶の中に入れた幾つかの綺麗な虫の死骸とガラス玉。手製の釣り竿、木製のおもちゃ銃、古い犬のぬいぐるみ。それから屋根裏に移った時に、父が買ってくれたランプ。これらが彼の、彼を成すほとんどだった。


もぞもぞと冷気に当てられた自分の寝床に潜りこむ。小窓はカタカタと音を立てて、月明かりを入れていた。ベットの脇のランプを点けると、揺らめく暖かな光が辺りを照らした。なんとなく二三十分ほど本を読み、白黒のポストカード眺め、それにも飽きてランプを消して眼を瞑った。


出稼ぎに行った、兄のことを考える。兄とはあまり意味のある会話をした事が無かったから、兄が何を考えていたのかは分からない。兄はこの街を出たかったのだろうか。大抵がどんよりとした雲に覆われている僕らの街から、この暖かな家から出て、どこかに行ってしまいたかったのだろうか。

しかし結局どこへ行ったらこの漠然とした嫌気が解消されるのか、少年には見当が付かなかった。町工場で働く上の兄と出稼ぎ労働を選んだ下の兄は、本質的には何も違わない気さえした。



気がつくと少年は、砂漠に一人で立っていた。黄ばんだ綿のシャツと長ズボンにカバンを提げて、呆然と辺りを見回した。四方どこを向いても地平線まで砂の地面が広がるか、うねった波のような砂の山に視界が遮られるかで、砂の他は何も無かった。太陽は頭上真上で照り輝き、雲といえば薄い雲がまばらにある程度だ。彼の肌に馴染まないカラリとした空気の中一人、この広大な砂漠に目眩を覚えた。地面の上の空気がゆらゆらと揺れているのに合わせて彼の視界もぐらつき、そしてその場に倒れ込んだ。


彼は意識を戻した。頭痛は激しかったが、彼はようやく歩き始めた。踏み出す足は重く、南西から炎炎と降り注ぐ太陽とそれを照り返す大地は彼をこれでもかというほどに責めたて、虐め抜いた。

歩けども歩けども同じ景色しか見えず、どちらに向かっているかも分からなくなっているのではという疑念に苛まれ、ふと後ろを見て目に映った消えかけの足跡が、先に行くよう彼を急き立てた。脚と肩の痛みは限界に達し、口に入った砂は彼の歯によってすり潰された。彼はただひたすらに歩き続けた。歩き続ければ、何処か別の場所に出られると思ったからだ。次第に影は長く薄く伸び、やがては見えなくなっていった。


月明かりに気がつき、彼は立ち止まった。彼を刺した陽射しはもはや無く、彼と大地は柔らかに照らされていた。風が吹いた。砂は静かに舞い、汗を拭うような冷たい風が彼の頬を撫でる。カバンを開けると中には彼の大切なハンカチが入っていた。下にひいて砂漠に腰を降ろし、久しぶりに空を見上げると、一面の真っ黒なネガの空を背に、いくつもの星々が煌々と輝いていた。地上にはやはり砂しか無かったが、その白い輝きはただ美しかった。彼は心地よい疲労感と満足に身を包み、初めて息を大きく吐き出した。



彼は突然目を覚ました。いつのまにか降り出した雨音に包まれて、冷たいけれども柔らかな空気が辺りに流れていた。しばらくは暗闇を見つめていた少年は、四ヶ月たっても手紙一つよこさない兄を想って、再び眼を閉じたのだった。

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