転生者よ、我が鎮魂歌《レクイエム》を歌え

天勝翔丸

黒き獣の誕生

第1話 哀しき獣の慟哭

 それが自我に目覚めると己が内にある大きな喪失感におののいた。


 明らかに何かを失っている。それは本来居るべき場所にいないという実感も相俟あいまって強い不快感をそれらに抱かせていた。


 彼らが本来の居場所を見つけ出すのはほとんど不可能だった。彼らが自我に目覚めたその空間は全くの暗闇で何も見えず、聞こえず、感じられない不可思議な空間だったからである。地上でも、地中でも、天上でもないその場所は彼らに自己へと更に傾倒していく事を促した。


 突如とつじょとして自我に目覚めたそれらは実体もないながら互いの境界を意識し合っていて無数に似たような者どもがいると認め合った。


 そして誰に促されるわけでもなくそれらは一箇所へと集まって行く。地中で甲虫の芋虫が一箇所へ寄り集まっている薄気味うすきみの悪さがそこにあった。這いずって彼らはうごめきながら集合して凝集して行った。


 互いに意識の境界を認め合いながら互いを崩さずに実体無き意識が個へと集約させている。彼らは一致団結して実体を創り上げようとしているのだった。


 人間の細胞のように無数の個が集まっている。


 そしてひとつの個が完成すると彼らは強く大きな力がそこにあるのを感じた。今ならこの暗くて気味の悪い拘束感こうそくかんで苦しい空間を抜け出せる確信がある。這いずって寄り集まった者どもがそれまでに居た場所が抜け殻になったような空洞がそこにあった。


 ぐっと力を込めると彼らはそれを振るった。一瞬の閃光の後に彼らはその暗がりを抜け出した。


 彼らは自力で誕生した。自我に目覚めた空間を卵を割って出る雛のように躍り出るとそれは地上に足を着けた。


 2本の脚で大地に降り立つと脚を初めて認める事が出来た。光の中で照らし出されている全てを目の中に収めると五感があるのをはっきりと意識し、見下ろして見れば自らの手があるのを認めた。彼らは誕生の感動に全身が震えて涙を流している。自らの独立した力のみによって誕生を果たしたそれらはある使命に突き動かされるのを感じていながらある決定的な事柄に戦慄せんりつしていた。


 それはいびつながらも人間の形をしていたのである。魂の形が創り上げた肉体に反映していた。



『我らは人間である!!!』



 こんな異常な誕生を果たしていながら、彼らは人間だった。己が人間だという自覚以外に必要な物などないと傲慢ごうまんにも彼らは思っていた。


 そして今、彼らが誕生した薄闇うすやみの森の中を一歩一歩と進みながら這い出て行った。


 独力での誕生は彼らに自立した精神と肉体の強さを測らせた。誕生後まもなくして独力で歩き、進むべき道を見出して敢然とした態度で森を抜け出たのである。


 進むたびに森の木々の創る闇は徐々に晴れて行き、木漏れ日が彼らの肉体をまだらに照らしていく。


 そして遂に彼らは眩しいほどに太陽が照らす完全なる光の中に身を置くのだった。


 彼らの身体は凡そ人間とは言えないほど異様な形をしていた。肩は牛のように盛り上がっていて背中はハリネズミのように刺々しい。2本ずつある手足は筋張って固くどれもが驚くほど長かった。


 漆黒しっこくの空間から誕生した者に相応ふさわしいほど彼らは真っ黒だった。


 飢えている。空腹ではない。この喪失感そうしつかんを拭いたい。無数の個体が寄り集まってできた肉体でありながら彼らは誰もがこの肉体の内部に空虚くうきょを感じている。それらを埋めたい。欲望が飢えとなって発現しようとしていた。


 そして光の中へと出た瞬間に彼らは自身を突き動かす衝動しょうどうと暗いあの空間に置き去りにされていた理由を天啓てんけいのごとく理解した。



「「「「我らは皆、ことごとく本来の肉体を奪われた!」」」」



 引き裂かれたようにがばりと口が開くと彼らの絞り出すような声は憎悪ぞうおを内包していた。



「「「「転生者と呼ばれる者どもが我らの魂を宿すべきだった肉体を奪い盗った上でこの世を謳歌している!!!!」」」」



 そしてそれらは全身を震わせながら叫ぶ。



「「「「「「「殺せ、全ての転生者を!!!!!!!」」」」」」」



 号砲ごうほうのごとく獣の遠鳴とおなきが轟いた。大地と天が恐怖に震えている。南から黒雲が雷を伴って北上していた。その黒雲を引き連れてその獣は丘の上に立つと小さな村を見出すのだった。


 その辺りは日暮れの頃から雨が降り出していた。黒雲が辺りに立ち込めて天を覆ってしまうと酷い雷鳴を伴いながら強い雨を降らせていた。


 人々はこの強い雨に外仕事を中断して家の中に避難している。


 生まれ落ちた獣はまるで下調べをするように村の外をぐるぐると回って村を観察した。そして彼らは結論を出した。



『ここに転生者はいない』『探しに行こう』『当然だ、我らの目的はそれなのだから』



 ずぶ濡れの獣は身体が冷え込むのも意に介さずに言った。



『待て、我らは肉体の分離が可能だ。索敵する者と情報を収集する者とで分担する必要がある』


『同意する』『賛成だ』『そうするべきだ』



 その獣は身体を二分すると一方は獣の姿のままで駆け出して行った。


 残されたもう一方は人間の形を模るとずぶ濡れのままで村の中へと入って行った。


 何をどうしたら良いかも分からないその獣は人間の住む村の中を野良犬の如く徘徊はいかいしていた。歩容ほようは人間であるのにもし見る者がいたら飢えた野良犬が餌を求めて四足で歩いているように見えるに違いない。豪雨の日の夕暮れに村の外からやって来た浮浪者ふろうしゃを村人たちは良いように見なかった。疲労もあいまってこの獣に目をかける者は少ない。


 分からないまま分からないながらに獣は村の中を歩いている。ずぶ濡れのままで人間を模っただけのそれは不完全な人間だった。傍から見た者は豪雨の視界の悪さも手伝ってこれが全裸であるのに気が付かないだろう。


 だが、この獣は全裸だった。それを悪いとも思っていない。


 ただそれが模った人間の形は少年の形だった。二分して総体の質が少なくなったのでそうせざるを得なかったのである。


 そしてそれはいわゆる美少年に近かった。整った顔立ちをしていて線も細い。あてもなくさ迷う様子は畏怖いふの念を抱かせたとしても不思議ではなかった。


 その獣は人間であるという自認がありながら人間の輪の中へ入り込めないのに酷い疎外感そがいかんを覚えると改めて獣である獣性が己が内にくすぶっているのを感じるのだった。



『帰ろう』『ここは我らの居場所ではない』



 村の外へと引き返そうと振り返ろうとするとこの獣に声をかける者があった。



「どうしたの?」



 それは10代の少女だった。ぼろぼろの傘をさしながらワンピースの裾を手で持ち上げて雨に濡れないようにしているのに降り落ちる雨の跳ね返りで彼女の衣服は濡れていた。


 近づいて獣の様子をまざまざと眺めたこの少女はこの少年の姿をしたものが全裸であるのにようやく気が付いて顔を赤らめて背けるとどこかへと走り去って行った。


 その少女は美しかった。恐らく彼が持ったこの感慨かんがいにおいて初めての美だった。彼らが内包する魂にはもちろんながら女性もいる。ただ明らかに転生者ではないこの少女の肉体と魂の完全なる合致を前に彼らは完全なる美を感じた。


 羨ましいほどの合致だった。自らが転生者であるという自覚を持っていない者は全て普通の人である。生まれるべくして生まれ、正しく誕生した者たちなのである。転生者はすでに自らが転生者である事を自認しているはずだ。


 それはこの獣どもが自らの誕生を独力のみで行った人間を逸脱いつだつした者でありながら人間であろうとする自認と偽った希望とは一線を画していた。転生者は独力で生まれる事は出来ない。だが、我らはこの絶大な力をもってして生まれ落ちる事が出来た。それは使命が力を与えたからに他ならない。その使命こそ成し遂げなければならない。我々は世界を正常へと戻す矯正きょうせいによって力を与えられた存在なのだ。


 そうこうしている内に少女が大人を引き連れて戻って来た。


 農夫らしい装いの父親と母親が彼女の後から付いて来るのが獣の目に映った。



「ほら!」


「本当だ、きみ、こんなところでどうしたんだ?」



 父親が獣へと尋ねる。だが、答えるわけにはいかない。いや、答えを持たない。どうするも何もないのだ。



「お父さん、違うわよ。ほら、これでも被ってこっちへ、さあさあ」



 母親の方へ促されて布を被せられた獣はこの家族の家へと連れていかれた。その間、まったくの無抵抗でこの者たちのされるがままになっていた。


 家へと招かれた名もなき少年は勝手も分からずに佇むと服のすそを握って絞っている少女を眺めた。



「お風呂に入っていいわよ。冷えた身体を温めたらどう?」


「そうね、そうしたらいいわ」



 少女が少年の背中を押して風呂場へと連れて行った。


 連れていかれて「さ、入って入って」と言われて風呂場に放り出されたが勝手が分からない少年は立ったままで居た。



『体を温めろと言われた』『その水から湯気が出ている。お湯だろう』『身体は冷えていない』『だが、雨に濡れたら水で洗うというのが一般的な人間の行為であるのかもしれない』『そうに違いない。習っておけばこれからの活動に支障もないだろう』



 話し合いの末に結論が出ると彼はその風呂の中へと身を沈めた。


 ざばりと立ち上がると彼は浴槽を出て行った。


 風呂場を出るとあの少女とばったりと出くわして彼女はまた顔を真っ赤にさせるとタオルを差し出した。全裸である彼に父親の古着を渡してそれを着るように素早く言うとさっさと出て行ってしまった。



『あの少女をもっと知りたい』『あれは女性だ』『女性であり、人間である』『今の我らと年格好が近い』『参考にするべきだろう』



 衣服を着た獣が3人のいるリビングに入るとテーブルの上には温かいスープが置かれていた。



「お母さんのスープは絶品よ。良かったわ、今日の昼のが少しだけ残っていて。だって、まだ夕食には早いもの!」



 少女が笑って薦めるのを見て母親の方もにこりと笑った。父親はこの獣の正体を見定めようと疑った目をしている。


 促されてスプーンを手に取るとスープを掬い上げて口に含んだ。味というものを初めて実感した。新たな感覚だった。全くの無味だった。水や固形物が口の中にあるだけだ。これが絶品という少女の言葉が信じられなかったが、歴然とした人間であるこの少女が言うのならば絶品と感じる事は全ての人間に共通する感情であるかもしれない。この獣はそうした事が全く分からなかった。



「あは、見てお母さん、驚いて固まってるわ!」



 少女が言うのに母親は「大丈夫だったかしら」と心配している。


 腕組をしていた父親が獣へ尋ねた。



「きみの名前はなんて言うんだい?」



 獣は名前など持ち合わせていない。持っていない物を持っていると言うつもりのないこの獣はただ沈黙していた。



「貴方のお名前も聞かせてください」



 少女の父親は尋ねられてすぐに答えた。まるでそうするのが当然と言うように。



「私の名前はトリフォンだ」


「私はエミリアよ、よろしくね」



 夫婦が名乗ると少女が身を乗り出して名前を言った。



「私の名前はセシル!」



 誰もが名を持っている。人間は全て名を持っている。名付け親という者があるように誕生に際して名付けられるはずなのだ。ただその獣は自らの力によって生まれた。自らに名づける権利があるし、他の誰にもない権利であるはずだがこの獣は自身に一体どんな名を付けるべきなのか考えるには時間が少なかった。


 3人が名乗り、残るはこの獣だけになってしまった。彼らは今の3つ以外の名を知らない。それさえあれば言う事が出来たのに、彼らは全く知らないのだった。



『名がいる』『名が必要だ』『だが、我々は何を名乗るべきなのだ』『名とは他者からの干渉を呼ぶ』『それでも我らには名が必要だ』



 無数の声がその獣の小さな肉体の中で鳴り響いている。そうしている内に時間は少しだけ流れた。セシルが不安になって父親のトリフォンを見た。彼の不信はいよいよ強くなって今にも立ち上がらんばかりに足に力が籠っている。


 そして獣の中に突然、『ミケル』という男の名が思い浮かんだ。どこか遠いところから届けられたような思いがけない思いつきだった。



「ミケル」



 少年が口にした名をセシルとトリフォンは確かに聞いた。



「ミケル、ミケルって言うのね!」


「うん」


「そう、とっても良い名前ね。よろしくね、ミケル!」



 セシルがミケルの手を取って振りながら挨拶をした。この彼女の手の綺麗な事と言えば彼がこれまでに見て触れて来た何よりも美しいものだった。美しいものに触れた感触と望んでいた物を手にした実感はミケルに大きな感動を与えた。


 この整った顔に初めて喜びのような明るい表情を映し出すとそれを見たセシルはまるで恋人のように顔を赤らめて手をさっと引っ込めると照れ隠しに短く笑うのだった。


 セシルの手の肌の感覚を学び取ったミケルはその肌の感覚を己が身へ反映させた。



「きみはどこから来たんだ?」



 トリフォンが尋ねた。


 名もなき完全なる暗闇と酷い拘束感に苦しめられる不快な空間から来た事実を告げられずにミケルは真実を織り交ぜながら嘘をついた。



「森の中で目が覚めてから何も思い出せないんです」



 信じやすく優しい心の持ち主であるトリフォンの家族はミケルの言葉を信じた。


 雨は弱くなっていて今にも止みそうになっている。


 セシルは母親に「どこの子かな?」と尋ねているが母親は「この村の子じゃないよ」と答えているのがミケルに聞こえていた。



「ミケルはこの村が初めてなの?」



 セシルはとても嬉しそうに尋ねた。



「うん、初めてだよ」



 彼が答えた言葉はすでにセシルからいくらか学んだ語り方をしていた。



「だったら、この村を案内してあげるわ!」



 「ねえ、お母さん、良い案だと思うでしょう?」と繋げるが母親は反対して言った。



「明日になさい。今日はもう遅いんだから」


「えー」


「ミケル、貴方はひとりで居たの?」



 厳密げんみつにはひとりではない。だが、ミケルはこっくりと頷いてひとりである事を認めた。



「そう、だったら今日はうちに泊まっていきなさい。そして明日にでも村長のところへ行って貴方の事を相談しましょう」


「そうね、明日にもこの村を案内してあげるから楽しみにしてて!」



 満面の笑みで言う彼女の表情を真似てミケルも嬉しそうに笑って頷いた。



「うん」



 それは凡そ少年らしい無垢むくなる微笑ほほえみだった。その裏にあるどす黒い渦巻いた悲哀と憎悪を見る事が出来たならこの一家の者たちは皆、卒倒そっとうしてしまうだろう。ミケルはこの家で過ごす間はそれを隠す事にした。


 夕食は簡素かんそだった。突然、やって来た客の分を用意できただけでも良かったものである。トリフォンの家はそれほど裕福ではないらしい。3人家族でセシルの他に子はないようだった。


 夕食時も静かなものでセシルも黙々と食事をしていた。その時の様子は簡単だった。トリフォンやエミリアの食事方法を真似るだけで良かったのである。


 そうして夜を迎えた。彼が誂えられた部屋は物置から彼の寝床が作れる程度に物を退けた簡易的な物に過ぎなかった。


 夜のとばりもすっかり落ちて村の灯りも完全に無くなってしまった。辺りを照らしているのは月明かりと星々の煌めきだけであった。そうした夜も深い時刻でありながら眠気のやって来ないミケルは寝床を抜け出してそっと家の外へ出た。夜気が彼の身体を撫でているがどんな感慨も浮かばない。


 1羽の鳥が彼の肩へ降りてそのまま体に溶け込んでいった。



『ここから南方にこの村よりも大きな街がある。そこにいる』『我らの目的が!』『それはすでに成人していて独立している』『その街の全てを牛耳っているようだ!』



 鳥として帰還した彼らは興奮していた。



『すぐにも向かえ!』『残った我らの半身が奴の後をつけている!』



 転生者を見つけたという報告にミケルを構成する全ての者が興奮していた。



『その者は今、ミケル・バシューチェカと名乗っている』



 彼らはその報告に驚いた。ミケルと名乗っている。自分たちもそう名乗っていたはずだ。



『向かえ、今すぐに!!!』



 彼を創り上げる全細胞がそうして叫んでいた。いや、もう先走る何者かがミケルの身体を離れようと飛び出してさえいる。


 身体をいくらか歪にしてミケルが南の方を眺めた瞬間に足音がトリフォンの家の方から聞こえて来た。


 その足音の主はセシルだった。



「ミケル、なにしてるの?」



 尋ねられてミケルは飛び出してしまったそれらを押さえ込んで振り向くと彼は自身でも表情を作っていなかったはずなのに彼の顔を見たセシルは恐ろしさと驚きにぎょっとして身を固まらせた。



「ミケル?」



 不安に駆られて彼の名を呼ぶ。彼の耳にはしっかりとその声が届いているが内部に木霊する声が余りに大きくて掻き消されてしまう。


 ただミケルは彼女に近づいていた。恐ろしさにはっとして彼女は後退ろうとするがもう間に合わなかった。


 ミケルの手が異様に伸びて彼女の手を捕まえていた。彼女は「ひっ」と短く悲鳴をあげた。その瞬間に彼女は黒くて人ではない何かに包み込まれた。


 それから程なくしてミケルは南方へと向かい出した。黒い獣が山林を疾駆しっくしていく。


 飢えていた、今ほどその飢えをいくらか凌いだと言うのに。


 走っている内にまた飢えを酷くさせて、喉も心も乾いていく。



『殺せ、転生者を!!!!!』

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