第17話:愛してほしいと望んだ分だけ、愛したい、と希うのだ
少年が、少女に、恋をする理由は二つある。
一つは、
ここは大事なとこなので、字数を割いてしっかり説明したい。この倒錯・倒置は、実は年少期に於いて既に行われている。
例えば筆者自身も、小学校ニ・三年生の頃には僕よりも小さかった親戚のいとこ達を、熱心に可愛いがって遊んであげたりした。今思うと、僕自身もまだまだ子供だった筈だが、心から「かわいいなあ」と思っていた。
本当は、戻りたいのだ。この子たちと同じ小さい頃に、戻りたい。でも戻れない。だから、無意識の内に、———
相手と、自分を、置き換えるのだ。
目の前の小さい子は、自分。小さい頃の自分。そしてそれを見ている自分は、大人か、或いはお兄ちゃん。僕を、可愛いがってくれる人。
そして、その小さい子を可愛がる。髪を撫でて、遊んであげる。おやつを食べさせる。君が大切だと伝え、護ってあげると約束する。
すると、自分の中で、小さかった頃の自分が、可愛がられたことになるのだ。おやつを貰い、君が大切だと言われ、護ってあげると、あの日の自分が、約束されたことになる。
ちょっと、感情的になってる。もちろん実際には違う、自分が可愛いがられた訳じゃない。しかしそのコンクリートな現実を直視し、愛への希求をキッパリと断念できる程の猛者が、果たしてこの世界にいるだろうか? 倒錯とは、倒置した事を無意識が誤魔化した結果を指す。自分を騙してでも愛の充足を感じたい、それが人間の弱さだ。そしてそれが、人を人たらしめているのだ。
だから、愛は、哀れな人間の切羽詰まった心の働きであると僕は思うのだ。
ウソとゴマカシ、弱さと浅ましさが、そこには透けて見える。哀しい人間の、悲しい本能。
でも、だからこそ、その希求は狂おしく、時に、眼が眩むほどの光芒を発するのだ。
話が逸れた。
これが筆者が考える「倒錯」である。こうして男子は、女子の事を、単に子供みたいな見かけの人種、として見るのではなく、愛しむ対象として認識するのだ。かつての自分に近い存在・なりたかった自分、として捉え、自分と置き換える。すると、その女子の事を愛するようになる。かつて大人に対して「愛して欲しい」と望んだ分だけ、その娘の事を「愛したい」と希うのだ。
さて、いったん短く整理する。
男子が女子に恋する理由、一つ目が「倒錯」——— その娘になりたいんだけどなれないから、その娘のことを自分だと、暫定的に、擬似的に、無意識の内に思い込む。
そして、男子が女子に恋する理由、二つ目——— それが「変身願望」だ。
僕はさっき「その娘になりたいんだけどなれないから」と述べた。「なれないから」と。
実は、なれてしまう、これが。その女の子に、なってしまうことが出来る。本気で言っている。その娘の肌の美しさも、すらっとした体型と手脚の長さも、複雑な色彩にきらめく瞳も、可愛いらしい表情や仕草も、自分のものにする事ができる。その娘と同じ姿に、変身してしまう事ができる。
「倒錯」ではなく、物理的に「変身」してしまえるのだ。
はは、気が狂ったと、思ってくれていい。
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