第2話「名前を決める」
「——ぃ~?」「ヒヒー」「ヒぃヒヒヒー」「「「ヒぃ~」」」
「……?」
「「「「「ヒっ!?」」」」」
妙な声に瞼を開けると、いくつもあった気配が一斉に逃げ出した。
薄暗闇の中、声の出所を視線で追いかけるも見失う。その結果に何を思う事もなく、僕はほぼ反射的な思考で上半身を起こした。
「んー……」
意味のない声を漏らしながら頭の中に今日の予定を探す。
自分は何の当番だったか。と浮かびかかった記憶はすぐ、違和感に覆い隠された。
……ここ、どこだ?
動き始めた脳はようやくに、辺りの見覚えのなさに気づく。そうして僕は、昨晩の出来事を思い出した。
記憶喪失で迷い込んだ森の中。そこには同じ境遇の三人がいて。
僕らは雨風をしのぐため、この大木の洞の中に逃げ込んだのだった。狭い空間で無理に詰めて寝入ったものだからか全身が凝っている。
感覚の方も起きてきて、側で聞こえる寝息を知る。それらが途切れないよう、僕はそっと木の中から抜け出した。
「……っとと」
洞は少し高い位置にあって、音を立てずに降りようとしたのだけれど、着地点で木の根っこに躓き声が漏れてしまう。振り返り、誰の目覚ましにもなっていなかった事にホッとする。
それから僕は、改めて周囲を見渡した。
どこまでも連なる木々に天蓋のように広がる葉。思ったよりも眠っていたのか、高く浮かぶ太陽は影を縫いながら光の柱を差し込ませている。空気は自然によってろ過されているかのように涼やかで心地良く、無意識に呼吸が大きくなった。
人の手がまるで施されていない景色。中々得られない開放感のようなものがあって、けれどそれと同時に不安も横に引っ付いている。
「……やっぱり、何も思い出せないな」
記憶の中は昨晩の事以外空っぽ。目を凝らして森の果てを求めてみるものの緑は絶えなかった。
……とりあえずは、皆が起きるのを待つべきかな。
明るくなったとはいえ一人での行動はまだ心許ない。それに昨日、協力すると口にしたのだから足並みは揃えた方がいいだろう。
今後の方針を浅く決め、心を落ち着けた僕はグイっと伸びをする。そこでふと、自分の格好が目に付いた。
上半身は肌着だけで、下はスラックスに裸足。
昨晩雨に降られたものだから、乾かすために一部脱衣していたのだ。中途半端なのは、隣合わせの異性に気を遣ったため。
誰かが起きて来る前に多少身なりは整えておこうと、物干し竿にした大木の枝を探す。すぐに自分の衣類を見つけ、布越しに両手の平を擦り合わせた。
「うん、乾いてるな」
触ってみる限りに湿気はない。まあこれなら十分だろう。
今着衣している分は当然に湿っているから交代で干した方がいいか。ただスラックスの替えはないから脱げるのはせいぜい肌着くらいだ。
むき出しになった肌をカッターシャツとジャケットで隠す。足裏の汚れを軽く落としてから靴下と靴も履き、外見だけは昨日と同じ出で立ちになった。
下半身周りの水分も早く飛んでくれないかな、と考えていると、不意に頭上から声が落とされる。
「おー、早いなぁ」
「あ、おはよう」
見上げると、大木の洞から背の高い少年が身を乗り出していた。昨日、最初に遭遇した短髪の彼だ。
彼はあくびをしながら大木をゆっくり降りてくる。危なげなく着地して、眠たげな眼のまま周囲を眺め回すと、大きなため息を零した。
「……ま、夢じゃないよな」
「はは、残念ながらね」
現状を夢であれと願っていたらしい彼に、同意の苦笑を見せる。とは言え大きく失意しているわけでもなさそうだ。
起き抜けの彼も僕と同じような服装で、まずは早々に身なりを整え始める。そうしながら二、三言交わしていると、それらの声は少女の目覚ましになったようだった。
「……うーおはよぉ。今日の朝ごはんなにぃ?」
だらり、と洞から小柄な上半身が垂れ下がる。朝に弱いのか、現状を忘れた寝ぼけ言動に僕と短髪の彼は顔を見合わせて失笑した。
「すまんが、まだ出来てねぇから手伝ってくれ。とりあえず食器作りからな」
「作るための道具もないから、そっちも作らないと」
短髪の彼の冗談に僕も乗っかる。すると視線の先の少女は、目をパチクリした後、ゆっくりと小首を傾げた。
「うえぇ? どゆこ、とああっ!」
疑問の途中で全てを思い出したらしく声を上げる。その様子に僕と短髪の彼は揃って肩をすくめた。
「森! そうだったあたし迷って! それでっ……記憶も、ないんだった……! えっ? あれじゃあっ、朝ごはんもナシ!?」
「あはは、思いの外元気そうだね」
「昨日みたいに泣き出すかと心配したけど大丈夫だな」
「き、昨日は仕方ないでしょ! こんな状況でっ、しかも真っ暗だったんだから! 別にあたしは泣き虫じゃないからねっ!」
少女は顔を真っ赤にしながら声を荒げる。それは、横で寝ている人物がいる事をすっかり忘れたもので。
洞の縁で手を突く小柄な少女の隣に、最後の一人がのっそりと顔を覗かせた。
「おはよ……」
こちらもまた、覚醒しきっていないボソリとした挨拶。
昨晩、泉に浮かんでいた不思議な彼女へ、僕らは揃って返事をしようとして。
だが、その姿を見て仰天する。
「おまっ……!?」「えぇっと……」
「ちょっ! 何考えてんの!?」
短髪の彼は口を開けて硬直し。僕はさっと視線を逸らし。そして小柄な少女は慌てた様子で、隣の彼女を暗闇へと押し戻した。
「男子いるの分かってる!? というかいなくても最低限はっ、」
「……ここ、ちょっと寒い?」
「そんなカッコしてるからでしょぉ!?」
聞こえてくるやり取りに、思わず刺激の強い光景がフラッシュバックする。それをどうにか追い払おうとしていると、ふと気まずげな表情の短髪の彼と視線がぶつかった。
男二人は、何も言えず苦笑する。
……というか、見えていなかったとはいえ、あんな格好の子と隣で寝ていたとは。そもそも何で気付かなかったんだ。それほど疲れていたのか?
裸身の異性と同衾する自分を脳内に描き出してしまい、変な感覚に囚われる。それは彼も味わっていたのか、誤魔化すような嘆息を漏らした。
「……先が思いやられるな」
「……だね」
同意しながら、視線はついつい頭上の方へ。
何気に、今後の一番の懸念点になりそうだなぁ……。
これからどうなるのかまだ分からないけれど、僕はそんな危機感を抱いたのだった。
女子二人も身なりを整え、僕らは改めてお互いの姿を視界に入れていた。
180㎝近い短髪の彼。全体的に短く刈り上げた髪で、前髪には癖がついていて生え際を見せている。若干筋肉質な体を抑え込むのは質素な学ランで、そのおかげでどうにか同年代だと判別出来ていた。
続いて150㎝程の小柄な少女。明るい髪色でふわりとしたミディアムショートヘア。中々見ない、デザイン性を重視したブレザーの制服を着ていて、その体格から中学生だと勘違いしたら本人から高校一年生だと強く言い返された。
そして最後は、165㎝だと言う泉の彼女。ストンと落ちたロングヘアは光の加減で青みがかって見える。ブレザーの制服は、小柄な少女のものよりも普遍的なよく見かける形で、首元に赤のリボンタイが結んである。
彼は右隣に、少女は左隣に、彼女は正面に。
大木の根元で姿を確認し合う僕らは円になっている。日が高い内は木漏れ日も多く、割と視界は良好だった。
「で、これからどうするよ?」
「そんなの、森の外を目指すのが最優先でしょ。しばらく歩けば人が住んでる場所には絶対出れるはずだし!」
早速話し合いが始まり、今後の方針を相談していく。他にないと言い張る小柄な少女だが、短髪の彼が別案で制した。
「それより先に腹満たさねぇか? 昨日からなんも食ってねぇしよ。何より歩くなら体力は必要だぜ?」
「そ、それもそうかも……」
言われた途端に気が付いたのか、小柄な少女は己の腹部に手を当てた。すると僕も今更ながらに空腹を覚え、泉の彼女も腹の虫を鳴らす。
そんな様子に、意見はまとまったな、と短髪の彼が手を叩いた。
「じゃ。これからすんのは食料探し、で良いな?」
「うん、あたしは異論なし」
「……腹が減っては戦は出来ぬ」
続く少女と彼女の肯定。
それに僕も頷きながら、しかし待ったをかけるように挙手をした。
「案には賛成だけど、その前にいいかな」
発言の許可を求めれば視線が集まる。三人ともから続きを促すアイコンタクトを受け、僕は提案を披露した。
「まず、みんなの呼び名を決めておきたいと思うんだ。これから一緒に行動する上で、名前がないと不便だろうしさ」
分担作業も今後行うだろう。そんな時にお互い呼ぶ名前がないと滞りが生まれてしまう。誰からの指示か、誰への指示か。そう言った伝達には大きな支障をきたしかねない。計画を立てる時にも名前がついてないと頭の中でまとめづらいし、何より、名前を知らない相手、というのはそれだけで不信感を消せなくなる。
これからの僕らに最も必要なのは『協力』だ。右も左も分からない者同士、手を取り合わなければいけない。相手や自分がどんな存在であるかを仮にでも定めておけば、信頼の導入になってくれると僕は考えていた。
とは言え、当然の問いが投げられる。
「呼び名つっても、どうやって決めんだ?」
「あだ名ならやっぱり、見た目の特徴とか?」
二人の首が傾げられると、泉の彼女は順に、その短髪の彼と小柄な少女を指さした。
「じゃあ、ノッポとチビ?」
「「おい」」
向けられたストレート発言に、息ピッタリ二人が怒声を発する。その様子が可笑しくて笑ってしまうも、どうにか表情を正して僕は皆の疑問に答えた。
「身体的特徴だと悪口にもなっちゃうしやめた方がいいね。だからってわけじゃないけど、僕はこれを参考にするのが丁度良いんじゃないかな、と思ってるんだけど」
少し躊躇いながら見せるのは、プラカードだ。
昨日、この森で気が付いた時に首から下げていた異質な物体。寝る際には邪魔だからと衣類と共に引っかけていたもの。
その異物を、なぜだか四人ともが持っている。そしてそれには、各々に向けたらしい文章が書かれていた。
僕の物には『あなたのお仕事は〝森を守ること〟です。』と。
短髪の彼の物には『あなたのお仕事は〝木々を守ること〟です。』と。
小柄な少女の物には『あなたのお仕事は〝天気を守ること〟です。』と。
泉の彼女の物には『あなたのお仕事は〝泉を守ること〟です。』と。
微妙に異なっている文。それぞれに、何かを『守ること』を仕事として与えられている。
その意味は当然分からなくて。けれどもなんとなく、その異なっている部分が僕達の個性なのではないかと感じていた。
皆がお互いの文章を確認し合っている中、僕は告げる。
「これから取って、僕はそのまま、モリって呼んでよ」
本当に何の捻りもないけれど、変に考えすぎるよりはマシだろう。
「分かった、モリ君。じゃあ、わたしはイズミ?」
「うん、ピッタリだと思うよ」
僕に合わせた名付けに肯定を示すと、次に小柄な少女が発言する。
「あたしはテンキ? って、名前っぽくなくない?」
「それなら、テン。テンちゃんとかはどうかな?」
「え、いいじゃん! なんかしっくりくるし!」
僕の案は素直に受け入れられて、こっちの方も嬉しくなる。
残された一人はどうも浮かばないようで頭を抱えていた。
「キギ……モク……おい待てっ、俺の『木々』ってどうやって名前にすんだ!? どうやっても変な感じになんぞ!」
「うーん……じゃあ、リツ、とかは? えっと、英語のツリーを逆さにして」
「おー悪くねぇ! てか良いぞ! お前、いやモリっ、名付けの才能あるな!」
楽しさも混ぜながら、僕らは自分達の名前を決めていった。
高身長で気さくな短髪の彼は『リツ』。
表情をコロコロ変える小柄な少女は『テン』。
不思議な雰囲気を持つ泉の彼女は『イズミ』。
そして僕が『モリ』。
失っていた記憶の代わりを埋めた感覚があって、どことなく表情が明るくなる。やる気も先ほどより満ちているような気がして、早速と拳を握った。
「モリ、テン、イズミ。そんじゃ、食料探しに行くぞ!」
「この中で探すってなったら、やっぱり果物? 山菜とかキノコとかはあたし、見分けつかないんだけど」
「魚ならいた」
「あーそう言えばいたね。なら枝とかで釣竿を作った方が良いかな?」
話し合いながら歩いていると、割とどうにかなりそうだと思えてくる。
そうして大木から離れていき、先頭を進むリツが道を作ろうと茂みを掻き分ける。
すると途端に、彼が足を止めて声を上げた。
「お、おいっ」
「ちょっと、なんで止まるの? なんかあっ、た……」
リツの声音に不安を感じた様子でテンちゃんが前を覗き込む。大柄な体格に隠されていた進路を視界に入れ、そして少女もまた言葉を失った。
「ん? どうしたの?」
「……?」
僕とイズミも気になって、二人の視線の先を追いかける。
そうして恐らく二人と同様に、僕らも混乱で思考を停止させた。
そこにあったのは、いくつもの食料だった。
果物や山菜にキノコ。
リンゴやバナナと誰でも知っているような物もあれば、ワラビだったかゼンマイだったかと区別の曖昧な物、そもそも名前すら出てこないマイナーな物まで並んでいる。
とは言えそれは、まさに今の僕らが求めていたもので。今すぐにでも手に取り、口に放ってしまいたかったが、体は動かせない。
その理由は明確だ。
何せそれらは、歩いていたのだから。
僅かに上下しながら行進してくる食料群。その光景に時間を止めていた僕らはようやくに事態を受け止める。
「バ、バナナって足生えるんだっけか?」
「なわけないでしょっ」
「……じゃあ、あれなに」
「動物が運んでるとか、かな……?」
それっぽい仮説を浮かべてみるも、全く確信は得られない。
改めて観察すれば、食料の種類は季節感がバラバラで、生産地も世界各地を回ったような品々。なのにどれもが一目で食べ頃だと分かる程に熟れている。
明らかに怪しい。
皆がそう思いながらも、同時にお腹が空腹を訴えた。
「これ、罠とかじゃねぇだろうな……」
「拾ったら爆発するとか!?」
「食べれるなら貰いたいところだけど……」
選択を迫られ決めきれずにいる僕ら三人。その葛藤の中には一人だけいなくて。
「………」
気づけばイズミは、食料の行列へと歩き出していた。
「お、おいっ! 何が起きるか分かんねぇんだぞ!」
「ば、爆発するってぇ!?」
リツとテンちゃんが慌てて呼び止めると、イズミがこちらを振り返る。
止まってくれた事にホッとして、まずは相談をしよう、と切り出そうとしたその直後、
「……。空腹の勝利っ」
しゃがみ込んだイズミは、勢いよくリンゴとタケノコを掴み上げた。
「うぉおおおおおおお!?」「うわぁああああああ!?」
「ちょっ!?」
リツとテンちゃんが絶叫して、僕は慌てて彼女を助けようと駆け寄る。
何が起きるか分からない。けどせめて彼女だけは。
どこかから湧いた蛮勇は、しかし、果たされる前に空ぶって。
「……あれ? …………大丈夫な、感じ?」
目の前は、変わらない光景。
何も起きていない様子に、僕は歩みを緩めてイズミに問いかける。
すると彼女は、両手に握るリンゴとバナナをこちらに見せてきた。
「なに、これ?」
と、答えを求められるものの、僕も同じ感情に染められる。遅れてリツとテンちゃんもそれを見つけ、同じく言葉を発せなくなった。
なにせそこには。
「「ヒぃ~っ」」
手足を生やした三角錐が、恥ずかしそうにぶら下がっていたのだから。
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