森を守るお仕事です。

落光ふたつ

序幕

第1話「道を迷う」

 道は決まっていた。

 進む理由も、辿り着ける自信もあった。

 でもなぜか、迷っていたんだ。

 足を進めながら疑問の声を発している。正しいはずなのに何かが引っ掛かる。

 その意味が分からなくて。

 だから探そうと、なんとなく歩いて。

 そうして。

 気づいたら僕は、そこにいた。


△△▽▽


「……あれ、ここどこだろ?」

 生い茂る草葉。渾然とした地面。

 仰ぎ見る空はまだ明るいけれど辺りは暗い。傾いた日の光が、いくつもの木々に遮られているのだ。

 僕は、森の中にいた。

 当然に舗装された道はなく、目印となる建物も見当たらない。似たような緑色に延々と囲まれた空間。

 異様に静かで、生き物の気配すら感じられない。聞こえてくるのは木の葉の擦れる音だけだった。

 それはまるで、ここには森と僕しかいないみたいで。

 更には、それ以外の情報も不必要とばかりに、僕は何も思い出せなかった。

 この森に、どうやって来たのか、何を目的に踏み入ったのか。

 そして、僕は誰なのか。

 名前も過去も。

 記憶の中を必死に覗いても、そこは空っぽだった。

 けれど何故か、自分の体を見下ろし着る制服を視界に入れると、その高校名と、青色のネクタイは最高学年の証、といった事がどこかから引き出されられた。

 しかしやはり、全く見覚えのないものもある。

「なんだ、これ……?」

 20㎝×30㎝程の、横長で白い板が僕の首からぶら下げられている。いわゆるプラカードという奴だろう。

 明らかな人工物に思えるけれど、それは奇妙な程に軽く硬く、加えて色むらも一切ない。よく観察すれば人工物としても行き過ぎた感のある代物だ。

 けれどその違和感へ気を回す前に、思考は新たな疑問符に上書きされた。


「『あなたのお仕事は〝森を守ること〟です。』……?」


 プラカードに記された文章。

 板を持ち上げて読んだ逆さの文字は、どうも意図が不明だった。

 文面からして僕に向けたメッセージだろうか。だが、『お仕事』や『森を守る』などの言葉にはまるで心当たりがない。先ほどのように連想して何かを思い出すという事もなかった。

 自分は林業でも生業にしていたのか? 学生の格好で?

 やたらと困惑ばかりが増えていく。それでも取り乱さなかったのは僕の元々の性質故か。

 分からない事は一旦脇に置き、次は自分の体に異変がないかを探ってみる。

 少し長めの黒髪に平均的な体格。鏡で見ているわけではないけれど、手で感じる顔立ちに自己否定は覚えられない。

 それでも詳細が頭に浮かぶ事はなかった。自ら思い出そうとするのは難しいようだ。

「……もう日も落ちそうだな」

 空を見上げれば、青色が徐々に濃くなっている。

 虫や獣がいる気配はしないが、それでも野晒しで夜を過ごすのは不安だ。足元が見えている今の内に安全地帯へと移動すべきだろう。

 そう判断して動き出そうとした、その時だった。


「おぉおッ! 人いた! おぉおおおいっ!」


 突然、今までの乖離した世界を引き裂くように大声が飛び込んでくる。

 僕から見て前方より少し右。その茂みがガサガサと掻き分けられて、何者かが現れた。

「助かった! 気づいたらこの森にいてさ! しかも俺、記憶喪失みたいで何も思い出せねぇんだよ! 何か知らないか!?」

 矢継ぎ早に迫って来た声の主は、身長180㎝に迫る人影だ。光を遮られ、細かな顔立ちは見て取れないが、短髪の好青年という印象の人物。

 がっしりとした体つきは威圧感を与えて来るものの、暗がりでも分かる程によく動く表情が好感に傾かせている。制服らしきものを着ているし、恐らく僕と同年代だろう。

 そんな彼の溢れる安堵を、しかし僕は受け止められなかった。

「ゴメン、たぶん僕も同じ状況なんだ」

「………………マジか」

 たっぷりと間を空けて愕然とする。

 そして再度真実を確かめようと、改めて質問を繰り出して来た。

「じゃあお前も、これが何なのか分からねぇって事か?」

『これ』と見せられたのは、短髪の彼の首から下がるプラカードだった。

 形は僕の物とほとんど一緒。彼が持つ方に書かれてあるだろう文字は、暗闇に溶け込んで読めなかったが、彼にとってもこの森の中で特に異物と感じるらしい。

「うん、分からない」

「マジかよーっ。もう暗くなってっし、早いとこどうにかせんとヤバいぞ!」

 砕けた口調で焦りを訴える彼。無論、僕も他人事ではいられない。

「とりあえず、一緒に行動しないかな?」

 危険を減らしたい思いで協力を仰ぐ。対面する短髪の彼は、一瞬だけ躊躇いながらも首を縦に振ってくれた。

「そう、だな。寝れる場所を探すにしろ、事情を知ってる奴を探すにしろ、人手はいるしな」

 彼は存外冷静で、今必要な事をきちんと把握している。僕が信用出来るかどうかとも疑っていたのだろう。それは僕も同じではあったが。

 けれど今はこうするしかない。

 不信を抱く間も惜しんで、僕らは安全確保を最優先にした。

 出来る限りの情報を探そうと、似たような景色の中を駆け巡る。だがその間にも周囲の闇は深まり、得られる視界が狭まっていく。

「……降るかもな」

「だね……」

 空には灰色の雲までかかり、その量に比例して僕らの焦りも募っていった。

 もういっそのこと立ち止まり、その場で寝床を作る方が得策なのではと思い始めたところで、僕と短髪の彼は同時に足を止める。

 それは、お互いに異変を感じ取ったから。

「なんか、聞こえるよな?」

「……うん」

 今までにはなかった音。

 その存在を確認し合って、言葉を断つ。

 すると、途端に静寂が際立った。

 無音に限りなく近い自然の中、鼓膜が遠くの震えを拾う。


「ねぇっ、誰かいないの!?」


 それは、少女の声だった。

 不安に満ちて。埋もれないようにと必死な。

 それだけで、僕らに似た境遇なのだと推測出来る。

 ならばその方角に向かっても助けはない。そう断言しても、僕と彼は同じに走り出していた。

 少しずつ大きくなる、今にも泣き出しそうな声。

 辿り着いたのは、やはり他と違いなんて分からない、木々に囲まれた場所だ。

「『お仕事』……? 意味わかんないよ……っ」

 草木の影に覆われながら、動く気配がある。

 そこから発される声は堪えを決壊させて。


 不意に、ポツリと肌が冷感を覚えた。


 木々の隙間を縫った粒。

 それはあっという間に量を増し、静寂を一斉に濡らしていく。

 新たな不安要素の介入に気を取られた僕を置いて、短髪の彼は雨音に負けず少女へと手を差し伸べていた。

「おい! お前もこの森で迷ったんだろ!? とりあえずついて来い!」

「ぅえっ、誰っ? ここがどこか知ってるの!? あたし気づいたらここにいて……っ!」

「残念だけど俺達も一緒だ! 憶えてる事も何もねぇ!」

「そ、そんな……!」

 救いではなかった手を、少女は取るのを躊躇った。けれども短髪の彼は強引に、その小柄な影を引き上げる。

「とにかく走るぞ!」

 小柄な少女は頷かなかったが、足は動かしてくれた。

 雨音に遅れて大きな粒が体を濡らす。広がる枝葉が味方した時間はそんなに長くはなかった。

 少女の嗚咽に彼の悪態。

 雨粒と共に増えるそれらに急かされたのか、僕は根拠もなくとある方向を指差す。

「あっちに行ってみよう!」

 爪先の向きを変え。

 ふと。


 なぜか、その進路に確信を抱いた。


 この先には何かがあると、直感が頷いている。

 それは正しかったのか、進んでいくと正面の視界が僅かに明るくなった。

 光源が現れたのではなく、影が減っている。

 密と並んでいる樹木達が、ある地点を境にぽっかりと穴を開けたのだ。

 そして、その境界線を越えて、僕らは発見した。


「……いず、み?」


 直径5m程の範囲に水が湛えられている。いわば湖や泉と呼ばれる地形だ。水質から見るに、湧き出ているようだから泉だろうか。

 澄んだ色を保っているのは周囲を敷き囲む不揃いな石のおかげもある。さぞ快適なようで、そこにはいくつもの魚影が行き交っていた。

 だがそれだけではなく。

 雨粒に叩かれる水面で、一際大きな波紋が揺らいでいる。

 四肢を投げ出して。腰まで届く黒髪を大きく広げ。

 まるで、泉と添い寝するかのように、目を閉じたまま漂う女の子。

 その異様な光景に、僕ら三人は思わず釘付けになっていた。

 気づけば雨は止んでいて、雲間から月光が差し込む。

 照らされた彼女の姿は神秘すら内包しているようで。

 その容姿はやはり、見惚れるぐらいに整っている。ともすれば、この泉の女神なのではないか、そんな行き過ぎた憶測まで浮かびかけた時。

 突然、泉の彼女が目を開けた。

「………」

 彼女はこちらを一瞥すると、透過する水面を潜って優雅に泳いでくる。それから陸へと上がって、水を滴らせながら歩み寄ってきた。

 そうして、釘付けになる僕に向けて、起伏のない声音で首を傾げる。

「……何か、用?」

 それは、鼻同士がぶつかりそうな距離で。

「え、っと……」

 過剰な接近に、僕は思わず体をのけ反らせた。

 ただでさえ濡れた女性は目のやり場に困るというのに、こうまで近いと視界に逃げ場もない。やましい気持ちが生まれそうな、何とも言えない気まずさで思考停止してしまう。

 そんな僕を救ったのは、短髪の彼だった。

「なあ、もしかしてお前もこの森で迷ったのか?」

「迷った? ……。たぶん、そう? 何も思い出せないけど」

 そのやり取りで僕はようやくに、彼女も同じなのだと気付かされた。

 高校の制服に、首からプラカード。

 しかも何も思い出せないと言うなら、全て一致だ。

 てっきりこの泉で、あるいは彼女から、何らかの情報を得られると思っていたが、そんな事はなかったらしい。

 その事実に、小柄な少女の表情がまたも歪んでいく。

「ねえ、なんでみんな何も覚えてないの……!? あたしたち何かされちゃったの!?」

「お、落ち着けって。取り乱しても良い事ないぞ?」

「で、でもっ! 誰も何も分からないんじゃどうしようも……っ!」

 短髪の彼が宥めるものの気休めにしかならない。

 更には、再び天候も悪化し始める。

 風に雨。遠くでは雷鳴も聞こえ、伝播する不安を煽っていく。

 泉周辺は開けているから雨粒が直に届いた。体が冷えるとそれだけで心許なくなる。

 短髪の彼が空を見上げて、忌々しく吐き出した。

「せめて、落ち着いて休めるとこねぇのか……」

 僕は、改めて三人の様子を眺める。

 錯乱手前の小柄な少女に、気力を失い弱る短髪の彼。泉の彼女は表情が読み取りづらいけれど、誰よりも濡れそぼった体はすぐにでも体調を崩してしまいそうだった。


 ……僕が、導かないと。


 突如湧いた責任感は、僕も知らぬ間に足を動かしていた。

「おい、どこ行くんだ!?」

「……多分、こっちだよ」

 短髪の彼の問いかけに続く僕の応えは、一つ前の発言に対するものだった。

 故に意図を汲めるはずもなく、また背後から声が上がる。それでも僕は構わずに進んだ。

 歩みに迷いはない。確信に似たものすら抱いていて、それがさっきも感じた物だと自覚する。

 まるで、この森のどこに何があるか分かっているかのように。

 そうして既知のごとく、僕はそれを見つけた。

 見上げても届かない程に高く、手を広げても足りない程に太い。

 頭上では大量の雨粒を、寄りかかればこの身をしっかりと受け止めてくれるだろう巨体。

 大木だ。それも、一際大きな。

 樹齢何千年とも計れそうなそれに、僕は引き寄せられるように近づいた。休める場所を求めたら、無意識にこの大木を目指していたのだ。

 根拠不明の安堵を覚えて幹に手をかざす。しかしそこで我に返ったように疑念を持った。

 この大木を休む場所とするには少し不十分ではないだろうか。

 雨はしのげているけれど風は防ぎきれていない。せり出す根を寝床にしようにも硬い上、平面ではないため不釣り合い。根元の地面も、他よりはマシでもぬかるんでいて、横になる不快感が拭えていない。

 なら一体、この大木のどこに僕の求めた要素があるというのだろうか。

 思考が動き出した今、直感に頼れず答えを出せないでいると、短髪の彼が僕に追いついた。

「お前なぁ、あんま勝手に動くと、って……」

 彼は先走った僕に文句を言いかけ、しかしそこで言葉を止めた。

 眼前の大木に気づき、その巨体を見上げている。観光地でもないと目にする事のないだろう威容に、しかし彼は、驚きよりも先に疑問を口にした。


「……これん中、空洞ねぇか?」


「え?」

 突然の指摘に僕は素っ頓狂に首を傾げる。その直後に隣の声は、確信を得て明るくなった。

「やっぱだ! 穴空いてる! ちょい高いけどギリ届くぞっ!」

 興奮しだす彼は、探るように手を上へ伸ばしていた。それからすぐに、大柄な体が登っていき始める。

 ほとんど影しか捉えられない現状で、彼の姿は大木と同化する。目を凝らせば分かる、より深い暗闇から大声が聞こえた。

「おぉ! 寝れるぐらいには広いぞ!?」

 その声はどことなく反響していて。

 どうやらこの大木には、寝床に相応しい空間があるらしかった。

 とすればやはり、僕の直感は間違っていなかったのだろう。にしてもなぜ、そんな事が分かったのか、加えてなぜこんな場所があるのか不思議は尽きないが、今は素直に喜ぶところか。

 事態の僅かな進展に、思わず口元がほころんでいると、後ろから足音が近づいてきた。

「こ、こんな場所で置いてかないでよっ。何があったのよっ」

 震えを払いきれていない少女が隣に並ぶ。続く気配は泉の彼女だろう。

 説明を求める小柄な少女に、なんて伝えるべきか迷っていると、皆が揃ったのを察したのか短髪の彼が頭上から呼びかけて来た。

「とりあえず上がってこい! 今日はここで寝るぞ!」

 たくましい声と共に手を差し伸べられる。その強引な物言いを、誰も拒否する事は出来なかった。

 そうして、女子二人から引き上げられて、最後に僕の番。

 短髪の彼の手を取り、僕が幹に足をかけたその時、上の方でふと不満げな声が落とされた。


「……ねえ、狭くない?」


 小柄な少女は先ほどまで、やっと見つけられた寝床に歓喜している様子だったが、三人収まり、感情の昂ぶりも治まったところで、問題点が目に付いたらしい。

 短髪の彼は一旦僕を引き上げる手を止めて、面倒臭そうに少女へ返す。

「詰めれば四人寝れるだろ」

「男女でくっついて寝るとか不健全でしょっ!」

「じゃあ誰かは外で寝かす気か? こんな状況で? 多少は我慢して、全員で協力すべきだろ」

「そ、それはそうだけど……っ!」

 正論に負けるも納得しきれていない小柄な少女。

 その、少し危機感を欠いた発言に僕はむしろホッとして、短髪の彼の手を離した。

「狭いなら僕は下で寝るよ。僕はどこでも寝れるし」

「ちょっ、そういうつもりじゃっ!」

 慌て始める少女とは対照的に、短髪の彼は呆れたようにため息を吐く。

「ったく、自分の事も思い出せねぇのに、どこでも寝れるってなんで知ってんだ? 見栄張んなよ」

「いやぁ、見栄ではないと思うよ? なんとなくそんな気はするから」

 強がりをしっかりと見破られ、思わず苦笑する。それでもまあ、今までの自分の感じから神経質という自覚はないから間違ってはいないと思う。

 とは言え僕の引き下がりは変に亀裂を生んだらしく、頭上で小柄な少女と短髪の彼が言い合いを始めてしまった。

 なんとなく居心地が悪くなり、二人が落ち着くまでとりあえずと根っこに腰かける。

 とその時、真横に何かが着地した。

「狭いならあたしもいい。戻って寝る」

 平坦に告げたのは泉の彼女だった。

 彼女は大木の洞から飛び出したのだろう。そしてそのまま歩き出そうとして、僕はとっさに彼女を呼び止めた。

「戻るって、もしかしてあの泉に? あんなところで寝るつもり?」

「さっきまで寝てたからたぶん大丈夫」

「いや、さすがに風邪ひくよ。そもそも君が一番濡れてるんだから、体は温めないと」

「問題ない」

 なんて、樹の下でも意見の押し付け合いが始まって。

 そんな生じかけた不和を、吹っ切れた声が吹っ飛ばした。


「ああもう! じゃあ皆で寝るっ! あたしが我儘だったっ!」


 苛立ち交じりに少女がそう認めると、肩をすくめたような苦笑も聞こえた。

 頭上の合意に便乗して、僕も泉の彼女を大木の洞へと押し戻す。不服げな言い分は無視をして、短髪の彼にさっさと引き上げてもらった。

 そうして、四人でぎっしりと、大木に空く穴に収まる。

 既に辺りは真っ暗で、なにをやるにも手探りになるためすぐ寝る事となった。

 濡れている衣服は水気を絞って最低限だけを身に着けている。と言っても、男女混じっての同衾だからそこまで肌を晒している人はいないだろう。

 僕が脱いだのもせいぜいジャケットとカッターシャツだけで、それらは大木の枝に引っかけ、明日乾く事に望みをかけていた。

 それでいざ、洞の中で横になってみれば、やはり狭かった。

 ほぼ体の成長を終えている僕ら四人だ。それらが横になれる空間を木の中に用意するというのがそもそも間違っていて、それでも密着するだけで済んでいるのは僥倖としか言いようがない。

 寝返りを打てば誰かの上に重なるだろうが、今現在から誰かに潰されている人はいない。並びとしては、短髪の彼、僕、泉の彼女、小柄な少女。懸念点は僕と泉の彼女の接点だったが。

「何かされたらすぐに言ってよっ。あたしがボコすからっ」

「大丈夫」

 この通りに彼女は性差に頓着していない様子で、僕と肩をくっつける事に遠慮がなかった。無論、僕までそうなれるわけでもなく、極力やましい思考をしないようにと努力はしている。

 それでも小柄な少女からは険が飛んでいて、それに短髪の彼が不平を投げ込んだ。

「もう寝るんだから静かにしろー」

「男子が早く寝ないと安心できないでしょっ」

 いがみ合いのような二人のやり取りももう定例化しつつある。きっと今後も似たような言論を聞くのだろうなとなんだか微笑ましくすらあった。

 そんな、横並ぶ温度に安心感すら覚えていて、ふと不思議を抱く。

 僕らは結局、誰一人として名乗る名前を持っていなかった。

 記憶も、自己証明出来る持ち物もほとんどなく、森の中で得た情報もゼロに等しい。加えて暗闇のせいで、お互いの顔立ちや姿の確認もあまり出来ていない状況だ。

 何も知らない。ともすれば、それぞれがそれぞれに不信をぶつけても仕方がない間柄で。

 そんな四人がこうして、一緒に寝ているのだから首を傾げずにはいられなかった。

 とは言え、僕はそこになんとなく可笑しさも見出していて。

 皆不用心じゃないか?と自分の事を棚に上げた冗談まで思いつく。

 諸々の懸念事項は明日、明るくなってから考えようと皆で決めている。話し合ってどうにかなるとは思わないが、まあ何かの案は出るだろう。

 横に置かれた不安はあるものの、比較的心は軽かった。

 なくなった記憶の中に、誰かといると得られる心強さがある。

 それは他の三人も同じなのか、交わすやり取りに嫌悪は混ざっていないように思えた。

 天候も落ち着いて、今は風が薄っすら吹いている程度。風向きも運良く大木に遮られる方角で、濡れた体がこれ以上冷えるのを防げている。

 皆の口数は随分と減っていたが、どの呼吸もまだ静かだ。

「……ねえ、あたしたちどうなるのかな」

 ポツリと小柄な少女の声に。

「朝になって考えるしかねぇだろ」

 短髪の彼はハッキリと告げて。

「僕たち四人で協力しないとね」

 僕は結束を高めようと発言し。

「……そんなに、悪いことは起きない気がする」

 泉の彼女は預言のように言う。

 しかし何故か、その希望的観測めいた言葉への否定は、一つも上がらなかった。

 皆、楽観主義なのか。それとも不安から目を逸らしたいのか。

 僕としては、それぞれの存在が既に頼りとなっているから、と思いたいところだけど。

 答えは知り得ない。何せ、僕達の関係値はまだ一にも満たないのだ。

 そうして。

 それ以上の会話はなく、すぐに寝息は四つ重なった。


 夢の中で僕は、森の中を歩いていた。

 そこには他の三人も一緒で。

 過去、未来、現在。

 どれを指していたのかは知れないけれど。

 どちらにせよ僕らは、笑っていた。

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