(5)


 濡れた髪をタオルで拭いながら寝室に戻ると、そこには、先程と寸分違わない表情で虚空を見つめる父の姿があった。



 一体、誰が悪かったのだろう。


 幼い頃から浮気を繰り返す母を、軽蔑していた。

 何を考えているか分からない父が、怖かった。



 けれど、幸せな時も確かにあった。


 三人で動物園に行った時、お土産屋さんで駄々をこねる私に、父がこっそりキリンのシールを買ってくれたこと。運動会のリレーで転んで泣きべそをかく私を父が必死に慰め、母が手作りのおにぎりを食べさせてくれたこと。母と一緒にケーキを作って、父の誕生日にサプライズを仕掛けたこと。



 ふと、幼い頃に見た記憶が蘇った。

 父がうなされて飛び起きた後、寝ている母を叩き起こし、髪を掴んで乱暴している場面だ。


 母はきっと、見えないところで、私と同じ目に遭ってきたのだろう。父の束縛と暴力によって精神に異常をきたし、他の男に依存するようになった。


 そして、2年前のあの日、ついに我慢の糸が切れ、家を出て行ったのだ。



 母は一人で、父と戦っていた。

 父は一人で、悪夢と戦っていた。



「辛かった?」

「……」


 父に尋ねた。彼は返事をしなかった。




「おやすみ、おとうさん」


 もう苦しまなくていいよ。

 大きく見開かれたままの目を閉じ、二度と寝息を立てることのない身体をそっと抱き締めた。


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苦汁 青のキカ @kika_aono

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