さむいはなし (「野菜」「地平線」「過酷」) 作:淵瀬 このや
「あっちぃ」
コンビニの駐車場で、高校からの悪友がこぼした。七月の昼下がり、尻の下の自転車のサドルは目玉焼きが焼けそうなくらい熱かった。僕はパウチにはいったバニラアイスを啜る。じゅっ、と意地汚い音さえ、夏を加速させるようだった。
「本当、今年は過酷な暑さになるらしいねぇ」
「自分は涼しそうな面してよく言うよな」
どうやら今の彼はすべてに腹が立つらしい。外面の良い彼は僕と二人だけのときしかこんな態度をとらないから、この口の悪さをみるのは久しぶりだった。そもそも今となっては学部も違うのだから、話すのさえこの大学の入学式以来だ。
「涼みたいなら、君もサンドウィッチじゃなくてアイスを買えばよかったじゃないか」
「今日一限からで朝食う時間なかったんだよ。そんな腹に満たねぇもん買うかよ」
びりびりーっ、と、彼は勢いよく一つ目のサンドウィッチの袋を開ける。中身を取り出す前に彼はそれを一度膝に置きなおして、除菌シートを取り出して僕に目を向けた。
「なぁ、なんか涼しい話してくれよ」
「これはまた、唐突だねぇ」
すかして答えると、彼は機嫌悪く使った除菌シートをこちらに投げてきた。子供のような苛立ちのぶつけ方に、思わず笑ってしまう。僕が本当に幼かった頃は、こんな風に感情をぶつけてくるほど仲のいい友達なんていなかった。そもそも今までにまともに友達をつくれたのは、高校時代くらいのものだ。だから、雑に扱われるのすら嬉しかった。
どう要望にこたえようかと頭を巡らす。生ぬるい風にのって届く牛の匂いが、正常な判断を鈍らせていくのを、片隅に自覚する。
「じゃあ、最近見た夢の話でもしようかな」
「おお、導入からすこしサムイな!」
「うるさい、黙ってて。ひとつ聞きたいんだけど、君は地平線を見たことがあるかい」
「む……。言われてみると無いな。水平線ならいくらでもあるんだが……」
僕らの地元は海と山に囲まれていた。地平線なんてみるはずもなかった。
「夢のなかで、それをみたんだよ。ただだだっ広い、農地みたいな。そんなところのど真ん中に僕はいたんだ」
もう三日も前の夢なのに、それはいまだ僕の頭にこびりついていた。
「ずっと向こうのほうで、地球は消えていてね。それを見ていると僕の周りの地面も今になくなってしまうんじゃないか、僕には何も残されていないんだ、僕も消えてしまおうかって。そう感じるくらい何もなくてね。あんまり怖くて泣いちゃったよ。もう大学生なのにだよ。ね、サムイ話」
横で彼は少し息をのんで、ただサンドウィッチを見つめていた。
「ねぇ、君が言い出したんだろう、何か言ってくれてもいいじゃないか」
「……なぁ、大変だ」
彼は僕を無視して、悲劇のヒロインもかくやというような悲惨な声を出した。
「このサンドウィッチ、トマトが入ってる」
「……だからアイスにしておけばよかったのに」
言い終わらないうちに、彼はその赤をつまんでひょいと僕の口に放り入れた。すこしぬるくなった不快な甘味が広がる。
「君に食べてもらえない野菜の気持ちを、考えたことはあるかい」
声に怒気を交えて言えば、彼は笑う。
「だがお前が食べてくれるだろう? だから安心しろ」
微笑む彼の顔には、「消えるんじゃないぞ」と書いてあるように思えた。思いたいだけかもしれなかった。
「……本当、君の方がよっぱどサムイね」
「うるさいぞ」
何かがこみあげてくるようで、それをトマトとともに嚥下した。口の中の甘味は、消えなかった。
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