雲居の空
はき
雲居の空
八月のある日、郵便受けに真っ白な封筒が入っていた。宛名は私の名前で、リターンアドレスは書いていない。
「わぁ……、綺麗な白」
不思議の国への招待状のような、そんな不思議なオーラを纏っているそれの中身が気になって仕方のない私は、すぐに家の中に入ろうとキーケースから鍵を取り出して、ぐさり、といつもよりも力を入れて鍵穴に差し込む。早く中身を見たい気持ちが先走り、間違って鍵を逆方向に回したり、一度開けたのにもう一度締めてしまったことが誰にも見られていないといいな、なんて思いながら。
*
靴を脱いで、鞄を
いよいよだ、と私は小さいテーブルについて封筒を開けようと、真っ白なそれに手をかけた。ぴり、ぴり、と慎重に、少しずつ封を切っていく。ゆっくりと封筒を開けていき、すべてを破ったときにはなんとも言い難い疲労感が残った。
さぁ、いよいよ対面のときだ。
封筒を開けると、一枚の紙に手が触れた。それはそう、言うならばICカードのようなそんな大きさの紙。
「ココ、から
チケットだった。『ココ→雲居の空』と美しい
「あっついな……」
ギラギラと容赦なく肌を焼く太陽はこの昼下がりが一番元気なようだった。チケットを太陽にかざす。すぅー、っとチケット通り、光が私の目に入る。少量のラメが入っているようで、光に照らされ、きらきらと輝いた。
「このチケット、使えるのかな」
ある小説の一部に登場する魔法のチケットかなにかだろうか。毎日が仕事、仕事、仕事。今日は久しぶりの休日で気持ちが明るかったのだが、時間が刻々と過ぎていく中で、明日が来てしまうことを考えるとナイーヴな気分に陥ってしまう。
いっそ、このチケットを使って雲居の空にでも行ってやろうか。片道のチケットなのだから帰ってこれないだろうなぁ、なんて呑気なことを考えては、ぼすん、と近くのクッションに頭を落とした。
*
ぴちょん、ぴちょん、と水の落ちる時のような音で目が覚めた。うっかり眠ってしまっていたようだ。寝返りをうつと、ぱしゃん、と音がして顔に水がかかる。
「……?! なに、これ!?」
今のこの状態に驚きが隠せず、一気に目が覚める。部屋を見回すと、それはとても不思議なものだった。部屋一帯は浸水しており、何匹もの美しい魚が宙を泳いでいる。大体、5センチくらいだろうか。水が床を埋め尽くしている。抛った鞄からなだれたファイルはすっかり水に浸かってしまっていた。自分自身も足元は完全に水に浸かっていたのだが、クッションの厚みに助けられ、溺れ死ぬことはなかった。魚はふよふよとランダムにいろいろな場所を泳ぎ回っており、自分の部屋がすっかり水族館のようになってしまったようだった。目の前のことにあっけにとられていると、魚が数匹、テーブルの上をひっきりなしにつついていた。なにか餌になるようなものでも置いてあっただろうか。気になってテーブルの上を見るとそこにはあの不思議なチケットがあり、魚はずっと、絶えることなくそれをつついている。
「これ、って……魚の食べ物なの……?」
チケットを手に取って、裏返したり、少し曲げてみたり……。いろいろな角度から再度確認してみるが、特に何も変わったところはなかった。私がチケットをくるくる動かしている間も魚は相も変わらず、ずぅっとそれをつつき続けていた。しかし、数秒もすると魚はチケットから口を離す。もう、飽きたのだろうか、と思ったそのとき、魚はチケットの次に私を2、3回つつくと玄関に向かって泳いでいく。まるで、ついてこいとでも言うように。
魚の後ろにつき、まっすぐ進むとそこは玄関だった。魚はドアノブをつつく。
「開けろ、ってこと?」
鍵をひねり、ドアノブを回す。入るときよりもゆっくり開けたそのドアはキィ、と音を立てる。
外の世界は午前中に出歩いたときに見た景色とは打って変わって、幻想的なものへ変化していた。空の色は淡い、
この、漫画の世界のような光景に目が奪われる。ボーッと突っ立ってこの景色を眺めていると、キィーっと高い音が聞こえた。なんだと思ったその次の瞬間にはそのものは姿を現していた。夏の日の快晴の空のような色をした車体は大きく、長く、先頭の方は見えず、私に見えるのは客車だけだった。
ふと気づかぬ間に車掌のような恰好をした男が立っていた。
「ご乗車ですか? ご乗車の場合はチケットを拝見致します」
男は私に尋ねる。
「あ、いや、あの……。チケット、ってこれですか?」
私は何が何だか理解ができないまま、男にチケットを差し出す。男はチケットを見るとニッコリと笑って「確認しました。お好きな席へどうぞ」と言ってドアまでの道をあけた。
私が列車内に入るとプシュー、と音を立ててドアが閉まった。
列車の中には私以外、誰もおらず、閑散としていた。発車します、とアナウンスが聞こえ、列車は動き出した。一番端にある窓際の席に腰を下ろし、窓の外を見る。段々と上昇していく列車は地面から離れ、空を走っている。あまりの異次元さにもう言葉は出なかった。
「あ、」
私は今、雲居の空の意味が理解できた。
*
静かになった“私”の部屋はもうすっかり水が引いており、テーブルの上では一匹の魚がびちびちと跳ねていた。魚の下にはあの真っ白な封筒が一つあるばかり。
雲居の空 はき @iiki_00
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます