第11話 教師と認めるべからず
八代学園には音楽室が二つある。
本校舎にある全学科共通の第一音楽室と、芸能科棟にある芸能科専用の第二音楽室。
どちらも大きな音楽室だが、音楽関係を仕事としているまたは目指している学生が多い芸能科の方が設備が良く、より立派な造りとなっていた。
今回の呼び出し先にどちらかの指定はない。
けれども綿貫に呼ばれる時は決まって第二音楽室の方なので、今回も迷う余地なくそちらへ向かう。
芸能科棟に入るには棟入口の警備員の許可が必要となるが、夕方を過ぎて生徒がほとんどいなくなる時刻になれば必要な手続きが簡便になる。
警備員に行き先と目的、大まかな所要時間を伝えれば意外とあっさり通してくれるのだ。
「こんにちは。怠慢教師に呼ばれたので音楽室に行ってきます。そのうち戻ります」
「はは、また呼ばれたのかい? 気をつけていってらっしゃい」
都の場合は身内が芸能科にいるということもあり、また都と玲双方が行き来を容認しているため、わりと普段から簡単に通してもらえるのだ。
すでに顔見知りとなったおじいちゃん警備員に笑顔で見送られ、芸能科棟に足を踏み入れた。
過激なファンや追っかけ、悪質なストーカーなどの防犯のために施錠された教室を通り過ぎ、その奥に音楽室がある。
「先生、います?」
扉を開ければ、まずはポロローンとピアノの音に出迎えられた。
そのメロディが某コンビニの入店音だったことになんだか無性にイラッとした。
「お、待ってたぞ~」
「毎回呼び出さないでくれません? 今日部活あったんだから先生が来たほうが早いですよね」
「ダメダメ、ボクさっきまでかわいい生徒たちの自主練に付き合ってたんだから。こういうのって特別手当とか出ないのかなー? 有給休暇でも可。それならボクだってそれなりに頑張るしゲームだって買えるのに。…ふわぁ、昨日ボス討伐で徹夜しちゃったから眠くてしょうがねーや……あ、そうだ。雨宮ちょっと理事長のこと説き伏せてきてくんね? 報酬と休みくれって」
「うだうだ言ってないで働け怠慢教師が」
ピアノ椅子に座ってあくびをかます男に、遠慮なく冷たい視線を送らせてもらう。
「こんな大人が教師だなんて世も末ですね」
「おぉーい、せっかく顧問やってやってんのにヒドい言い草だな」
「だったら定期的に顔出してから言ってくれません? 久々に来たと思ったら茶をしばきながらゲームするだけじゃないですか。こちとら喫茶店じゃないんですよ」
「ボクだって君たちと遊びたいんだよ~」
なんて言いながら、ははは、と呑気に笑うこの男。
認めたくはないが、結構スゴいこの学園の音楽教師である。そして天文部の顧問でもある。認めたくはないが。
「それで、なんの用でしょう? 暗くなる前に早く帰りたいんですけど」
「そうだったそうだった。ちと待っててけろー」
要件を促せば準備室に入っていった綿貫。
ものの数秒で出てきたその手には数枚の紙と小さな箱が握られていた。
「はいコレ。こっちの書類は生徒会からな。部費に関するものだから、適当に書いて適当に提出しといてくれればオッケー」
「コレって前も出しませんでした? 部費の精査ってそんな頻繁にあるんでしょうか……」
「活動調査も兼ねてんでね? ほら~、君たちいつも楽しそうにハッスルしてんじゃん。クソ羨ましいから今度やるときは先生も呼んでくれな」
「なるほど、つまりは生徒会に活動実態を疑われていると……まったくもって面倒ですね。コレを提出したとしても連中ならまた定期的に難癖つけてくるでしょうし。今度会長サマのツラでも拝みにいってやろうかしら」
「あれ、ボクのお願いは無視? 呼べよ? ちゃんと呼ぶんだぞ?」
「書類の方はしかと承りました。もう用がないなら帰っても?」
「雨宮さ~、だんだんボクの扱い酷くなってなぁい?」
「そんなつもりはないですよ。初めから怠慢教師として扱ってます」
「ヒドっ!」
ぎゃあぎゃあ騒ぐアラサー音楽教師を無視して帰ろうとすれば、「ちょい待ちー」と間伸びした声に呼び止められた。
「……なんですか?」
「そんな嫌そうな顔しないでくれよ。ほい、コレもあげる」
書類と一緒に綿貫が持ってきていた小さな箱をポイっと放られ、咄嗟に受け取る。
重さはないが軽く振ってみるとコロコロと中から音がした。
「なんですか、これ」
「チョコレート」
「…ハロウィンもバレンタインもまだずっと先ですけど??」
「この前、ウィーンにいる知り合いからたくさん送られてきてさー。ボクひとりじゃ食べきれないからお裾分け。雨宮は特進科だし頭使うし糖分必要だろ? 勉強のお供にでもしてくださいなー」
「へぇ、ありがとうございます」
「どういたしまして」
この教師はたまにこういうところがあるから憎めない。
中身はゲーム好きの怠慢教師なのだが、意外と面倒見がいいしよくお菓子をくれる。
果たして本当に貰い物なのかは知らないが、貰えるものなら貰っておこう精神の都はいつもありがたく受け取っていた。
(なーんか餌付けされてるような気もするけど……まあいいわ。甘いものは嫌いじゃないし)
書類はクリアファイルに挟みチョコレートの箱共々鞄にしまう。
ちなみに特進科棟も夕方以降は施錠され盗難や悪戯の被害に遭うことは滅多にないので、都はバリバリに置き勉をしている。だから鞄は意外と軽い。
というかそもそもタブレットを使用した授業も多いので、教科書とかノートとかの数はあまり多くはないけれど。
「ありがとうございました。失礼します」
「おー、気をつけて帰るんだぞ。……あ、今度部室に遊びにいくから茶菓子用意しとけよー!」
後半の台詞はまるっと聞き流して音楽室を出た。
せっかくほんの少しだけいい大人バロメーターが上がりかけていたのに、あっという間に元の位置に戻ってしまったではないか。
西日が差し込む廊下はオレンジ色に染まり、また違った学校の雰囲気を作り出す。
その眩しさに少し目を細めて来た道を戻ろうと踵を返せば、その少し先、壁に背を預けて立つ人影を見つけた。
パチリと目が合う。
その佇まいからでも気怠い雰囲気が存分に伝わってきた。
「わざわざ迎えに来てくれたわけ?」
「別に。帰り道だっただけだ」
「どういうルートで帰れば芸能科棟を通ることになるんだよ。もはや迷子レベルじゃない?」
「いいから帰るぞ」
「あーい」
どうやらこの男、橘は都の用事が終わるのを待ってくれていたようだ。
素直に迎えに来たと言わないあたりがなんとも橘らしい。
他愛もない会話をしながら連れ立って廊下を歩いていれば、ピロリンとスマホが鳴った。
アプリを開いて見てみると、夏目からのメッセージと写真がいくつか。今日は宣言通り花染と帰っているようで、今のところは安全だというような旨のメッセージが送られてきていた。
軽く返信しながら、ああそうだと橘に問いかける。
「そういえば橘さ、
その名を出した途端、ちらりと橘から流し目を送られた。
心なしか眉を顰めているようにも見えるその表情は一体何を思っているのだろうか。
「……そいつがどうかしたのか?」
「今朝少し話したけど知らない顔だったから。どんな奴かと思って」
「珍しいな。お前が興味持つなんて」
「いや別に興味はないわ。ただ、特進科なのに成績にまったく関心のない人間が他にもいることに驚いただけ」
今朝会ったあの男。本人も成績に興味ないようなことを言っていたし、何より順位表に向かってはっきり「くだらない」と吐き捨てていた。
多少なりとも考査順位に執着する特進科では滅多に出逢えない思考だ。
だからなんとなく、同類の匂いを感じ取った。
「そうか……そいつのことなら知ってる。というか同じクラスだ」
「へぇ、そうなの」
「本当に興味なさげだな。お前が他人に無関心なのは知っていたが、一年ちょっと同じ学科にいてまさか水無月のことも知らないとは思わなかった」
「え、その言いぶりだとそいつもしかして結構有名人?」
「顔が良いとよく騒がれてるのを見るな」
「お前がそれを言う?」
たしかに都でもその第一印象が旭の好きそうな顔だと思ったくらいだ。橘同様、大半の女子生徒が放っておかないだろう。
けれどもそれが都が彼に興味を持つ要因とはならない。
(特進科だからって、全員が全員勉強に必死ってわけじゃないし……同じような考えの人間がいてもおかしくないか)
すとんと納得した都がそれ以上彼について何かを訊くことはなかった。
芸能科棟の出入口でおじいちゃん警備員に別れを告げ、そのまま正面玄関へと向かう。
この時間になると大体の文化系部活動は終了するため、校内は静かになる。まだ活動中なのは一部の運動部くらいのもので、時折外から掛け声が聞こえてくる程度だ。
だが、どうやら今日はいつもと状況が違うらしい。
「…………」
「…………」
橘と顔を見合わせ、同時に溜め息を吐く。
面倒なことになったと顔を顰めたのと、バタバタと複数の足音が近づいてきたのはほぼ同時のことだった。
「……みぃつけた。ちょっと俺らに付き合えよ」
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