夢見心地

「はっ……え、なんで」


 矢継ぎ早に口が崩れ、言葉にならなかった。状況の理解に達さない神妙さだったのだ。声に意味をもたすなら、「神隠し」という言葉が当てはまる。混迷であった。


「悪い夢だ」


 もぬけの殻となった風呂場で自嘲する。カーテンを閉め切った暗中の居間に浸かると、灯りの代わりにテレビの電源を点けた。


「本日、七月十一日は天気に恵まれ」


 若い女がハキハキと元気にそう言い、


「お出掛け日和となりそうです」


 太平楽な笑顔を浮かべた。煩雑な頭を無理に片付けるなら、夢を見ていたというオチをつけなければ収まらない。辻褄が合わない。


「……」


 あまりに強い切望が、俺に夢幻を見せたのか。そうとしか思えない。巻き戻ってしまった日付と折り合いをつけ、俺はもう一度決意を新たにする。


「もう一回、捕まえよう」


 机上で組んだ道のりが再び顕現する世界の不思議さに、予め貰った回答用紙と答え合わせをするかのように風景を眺めた。空に伸びる野焼きの煙やカラスにつつかれ道沿いに散乱するゴミ。すべてが宇宙の法則に従って運動する物質世界を鼠色のゴンドラで遊覧する。町の移ろいに終止符を打ったのは、二度目となる獲物の姿だった。


「夢みたいだ」


 寸分違わぬ時刻にて、俺たちは再び居合わせた。狩りをする動物の資料映像に比肩する、じりじりとした間合いの詰め方で車をあやなす。全く同じ動作でもって、一連の出来事を淡々とこなした。鶏の首を掴むかのような卑近な思いで獲物の喉元に圧迫感をくわえる。すると、気が触れたように頭を振り、俺の手を解こうとした。それでも毅然と振る舞えたのは、前回の犯行が布石になったからに違いない。そして、首を掴むだけが唯一の手立てではなかった。マイナスドライバーの背で肘打ちをするように何度もこめかみを殴打する。


 自発的に振り子運動を繰り返していた獲物の頭は、殴打に合わせて前後左右、不規則に振れだし、こめかみは殴打の影を落とした。すっかり出来上がった獲物は窓枠にしなだれて、俺は介抱するように車内へ引き込んだ。手慣れたものである。獲物を扱う勝手がわかり、手こずるなどして時間を無駄に過ごすことはない。滞りなく帰路を辿って、再び浴室へ獲物を転がした。


 欠陥を抱えた人間が起こす事件は悉く見るに耐えないらしい。生まれや育ち、環境を鑑みてその欠陥を洗い、どうして凶行に及んだのか。さまざまな見地から意見を投げ合い結局、知らぬ存ぜぬで終わる。つまり、俺のこの行動を詳らかに出来る奴は存在せず、自分ですら理解できていない。ただ、分かることは一つだけ。四肢を失った死体に郷愁を感じるということだ。


 目覚ましが鳴る。身体に差した熱が今も尚、冷めることを知らない。そして、手に残る肉を切った感覚が根深く存在し、空で解体を再現できそうだ。


「夢、じゃないよな」


 これほど鮮烈に感覚が残存していながら、疑心暗鬼になってしまう。


「はっきりさせてやる」

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