じゆうちょう

藍内 友紀

第一話

ひつじのさんの、じゆうちょう

 が出て来たのは、わたしが成人してからでした。

 天井裏を小動物が走る音が聞こえたために、押し入れの上の天袋から屋根裏を見ようとしたときでした。

 天袋に入れていた段ボール箱のひとつが傾いて降ってきたのです。わたしが幼いころに使っていた文房具やスケッチブック、貰った賞状などが入った箱です。

 部屋に散らばった中に、がありました。


 幼稚園時代の自由帳でした。

 B5サイズのノートで、表紙には草原で絵を描く子供たちや、水色の空に浮かぶ虹や白い雲、ヨットなどがクレヨンっぽいタッチで描かれています。

 わたしが通っていた幼稚園で購入させられる、年長組用のものでした。

 あれ? と思ったのは、それがわたしの自由帳ではなかったからです。


 ひつじの めい  No.3


 大人の字で記された名前には覚えがありませんでした。

 幼稚園では全員が同じ自由帳を使っていたので、冊数を重ねるごとにナンバーを記すことになっていました。絵が上手ではなかったわたしなどは一年に一冊使い切ることすらありませんでしたが、ひつじのさんの自由帳には三冊目であることが記されていました。

 ひつじのさんって誰だっけ? と首を傾げながら、ページを開いてみました。

 ふわふわとした白い毛皮に黒い顔の羊のイラストが描かれていました。記号的な草や柵が羊の群を取り囲んでいます。

 その羊を見て、わたしはようやくその子のことを思い出しました。


 ひつじのさんは、幼稚園の同じクラスの女の子でした。クラスの誰よりも字が上手で、算数でも満点がとれて──その幼稚園はお受験対策に力を入れており、年長組の誰もがひらがなの読み書きと二桁までの和差算ができました──、折り紙が綺麗に作れる子でした。

 ひつじのめい、という名前のせいか、よく先生たちにもクラスの子たちにも「メリーさんのひつじ」の替え歌を歌われていたように記憶しています。

「めーいちゃんのひつじ」と歌われている間、ひつじのさんは困ったように首を傾げて曖昧な笑みを浮かべていました。

 名前のせいか、それとも偶然か、ひつじのさんは可愛い羊のイラストを描くのが得意でした。テディベアのように両脚を投げ出して座る羊や、四つ脚で草を食む羊。そのどれもが白いもこもことした毛と黒い手足と顔をしていて、いつも眠たそうに目を閉ざしていました。

 誰もが、自分の自由帳にひつじのさんの羊のイラストを描いて貰いたがっていました。

 字も絵も下手くそで折り紙すら巧くできないわたしとの接点は、クラスが同じである、ということしかありません。

 彼女が誰かの自由帳に羊のイラストを描いているところを、野次馬や取り巻きに混じって眺めているのがせいぜいでした。


 だから、彼女の自由帳がわたしの家にあるはずがないのです。

 次のページにも、その次のページにも、柵に囲われた羊が描かれています。ときおり、ドレスを着たお姫さまがいました。ハイヒールを履きティアラをつけたお姫さまは、それでも羊たちに囲まれていました。

 羊とお姫さまが続くページに油断していたときです。


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