第9話

「しかし、一体どうやって」

「それをこれから考えるのです!」


 ふんす、と鼻息も荒く沙映さえが言う。気合い充分といった様子の彼女に対し、明隆あきたかは少々タジタジだ。


「――というわけで、私にとっては夢の中でまみえる存在なのです」

「でも、私には声が聞こえました。ということは」

「ええ、実際、私の寝所に直に現れているのだと思います」


 ここまでは、明隆も予測していたとおりの結論だ。実際に沙映が声を聞いたことが、その予測が事実であると判断する材料となる。


「せめて、寝ているときではなく、起きているときに現れるのならば、やりようもあるのだが……」

「起きている間に……?」


 そう、起きている間に現れるのであれば、調伏のしようもある。明隆とて、これまでの期間を無為に過ごしていたわけではない。陰陽師として研鑽を積み、陰陽少将にまでなったのだ。

 起きている間に現れるのでさえあれば、勝算はある――そう、明隆は考えていた。


「ならば、その……こういうのは、いかがでしょうか」


 頬を桜色に染めた沙映が、そっと明隆の耳に唇を寄せる。ふわりと翻った小袿から焚き染められた香の匂いが漂って、明隆の心臓がどきりと跳ねた。

 そして、彼女の口から語られた作戦の内容は、思いも寄らぬものだった。


「とっ……共寝を、その……すれば、もしかしたら、と思うのです」

「いや、しかし、それであれば婚儀の日に現れてもおかしくなかったのでは」


 そう反論しながらも、明隆の胸の内には「そうか」と納得するものもあった。確かに、あの日はまだ二人顔を合わせたばかり。

 通常ならば交わすべき文もなく、人柄も知らぬままであったのだ。

 それが今では、お互いを知り――互いを好ましく想っている。そのことが、怨霊の出現を促す引き金になっているのだろう。


「わかりました」


 明隆は、沙映の手を取るとその瞳をまっすぐに見つめて頷いた。


「ですが――」


 一つだけ沙映に約束をさせ、明隆は少しだけ切なげに微笑んだ。



 決行は、三日後の夜と決めた。これは、明隆がうらなって最も成功しそうな日を選んだのだ。

 そのための準備も抜かりなく、さらに翌日からは明隆は精進潔斎しょうじんけっさいして場に挑むことにする。

 壱は、明隆の気合の入れように驚いて目を丸くしたが、藍はさもありなんとばかりに頷いた。

 ところで、この二人――と、じっと沙映は並んで座るその姿を見つめる。


(どこからどうみても、普通の「ひと」に見えるわ……)


 だが、明隆に教えられたところに寄れば、この二人は式神なのだという。ただ、普段から人の姿をとって自由に歩き回れるほどに格が高く、古くから安倍家に仕えているのだそうだ。


「この二人を傍につけておきますから、何かおかしなことがあったらすぐに言ってください」


 精進潔斎の間は、誰にも会わずに過ごさねばならない。沙映に何事もないように、と気を配ってくれる明隆の気持ちがうれしくて、自然と頬が緩む。

 にこにこと笑っている沙映に、壱と藍は顔を見合わせて苦笑した。



 そして、日は巡り。いよいよその日がやってきた。

 長袴ながばかま単衣ひとえを纏っただけの沙映と、雲丸文様くものまるもんようの白い狩衣かりぎぬ姿の明隆が、御帳台みちょうだいの中で膝をつき合わせて座っている。お互いに、緊張した面持ちだが、果たして何に緊張しているのか。高燈台たかとうだいの火が揺れて、二人の顔にかかる影が揺らめいた。


「で、では、その……はじめても……?」

「は、はい」


 ごくり、と喉を鳴らした明隆の手が、沙映の単衣に伸びる。あらかじめ聞いていたから良いようなものの、実際にやってみると、卒倒しそうなほどに恥ずかしい。ぎゅっと目を閉じると、ふっと明隆が笑う気配がした。


「緊張してますね」

「そっ、それは……その、そうで、しょう?」


 そっと肩を抱き寄せられて、沙映はぎくりと身体をこわばらせた。再び明隆が笑う気配がするのが悔しい。


「は、はじめて……なので……」


 緊張しても仕方がないでしょう、という意味を込めてそう呟くと、ごほっと明隆がむせる声がした。


「っあー……私、我慢できるかなぁ……」

「え?」


 片手で目元を覆った明隆の言葉に、沙映は目を瞬かせる。だが、明隆は「いや」と呟くと再び沙映の肩を抱き、耳元に口を寄せた。


「あー、なにせ……愛おしい相手とこうして過ごすのは、初めてですから」

「っ……!」


 思わぬ言葉に、一気に顔が赤くなる。その顔を隠したくて、明隆の胸元に顔を寄せたとき、また高燈台の火がゆらりと揺れた。


「……明隆さま」

「しっ」


 ぞわり、と総毛立つような気配が漂い、ゆらりゆらりと火が揺れる。肩に置かれた明隆の手に力がこもり、強く抱き寄せられた。

 本当なら、きゅんとときめきたいところなのだが、生憎と周囲の空気がそうさせてくれない。

 ごくりとつばを飲み込んだそのとき、上の方からかすれた声が聞こえた。


『……してぇ……ど……て……』


 それは、嘆いているようにも、怒っているようにも――すすり泣いているようにも聞こえる声だ。はっとして明隆の顔を見上げれば、彼は天井付近を睨みあげている。

 ごう、とひときわ強く生ぬるい風が吹いて、また沙映の肌に鳥肌が立った。

 低く、明隆がなにやら唱えている声が聞こえる。そうして、まだ怨霊が何かを言う声も。

 ざらり、と目の前に黒髪が揺れる。唐衣からころもの姫君が、髪を振り乱して――。


『どうし……わた……あい……ああ、あい……てたのに……』


 その声に、いや、その内容に、沙映ははっと息を呑んだ。

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