Loop

第24話 歪んだ雨

「それって…もしかして…」

「あぁ…」

男は言葉を濁し、私に背を向けた。


首筋を伝う嫌な汗がざわつく心を煽る。

いつの間にか海風は生温なまぬるさと湿り気を帯びていた。心臓の音がやけに響く。知りたくない真実が迫ってくる…そんな気配が漂う。

すると、天使は大きく息をき神妙そうな表情かお此方こちらへ振り返った。先程迄の落ち着きを取り戻すためか、おもむろに髪を一撫ですると水平線へ視線を移し重たげに口を開く。


「俗に言う…タイムスリップってやつだ。」

「…!?」

遂に躊躇っていた言葉を…信じたくない事実を告げる。

そんな…まさか…有り得ない。

昼間のプール…水底の紅玉ルビー…起こる筈のない渦潮…人魚への変身…そして何より、目前の天使が銘銘に現状を…此が現実だと告げる。今この姿こそ、私の身に起きた現実。

月が一際明るく天使を照らす。

両翼のシルエットが一層際立つ…まるで巨大な鳥獣が立ちはだかっているような錯覚に陥りそうだ。


「信じられないかもしれないが、君と俺とでは生きている時代が違う。」


彼女は眼を見開き、その意味を理解すると同時に珍しく声を荒げた。

「…っ違うって、どれくらい!?今は何年…せっ西暦何年なの。私の学校…そうだっ友達…友達と一緒に来てる…その子はどうなるの…!?」

声高に小さな白い肩を揺さぶり髪を振り乱す。

矢継早やつぎばやに思い付くまま言葉を浴びせるが、混乱をあらわにしただけだった。彼女はこの男への責め立てが無意味だと悟るも、高校生の少女に狼狽えを隠すことは不可能だ。

震えながら小さく拳を握りしめ、何とか気持ちを鎮めようと言葉を噛み殺す。荒々しかった呼吸を整えようとするが、乱れた獣の息が声混じりに口端から漏れ出た。

それが今の彼女にとって精一杯なのだろう。


「直ぐに理解しろとは言わないが、落ち着いて聞いて欲しい。…此処は、この時代は…君が高校生として生きている時代から約17、8年後の世界だ。」

「…うそ…」

男は再び息を吐き出し右掌で額を押さえ込む。


「残念ながら本当だ。恐らく、君の友達は捲き込まれていない。このタイムスリップは能力者のみに影響しているものだ。あの紅玉ルビーのせいでな…。」


友人の無事を告げられ人魚は僅かに安堵の色を見せる。だが間もなく、天使は彼女の言葉を待たずに話を続けた。


ただし…この世界と平衡へいこうしている君は“今”の時代に存在していない。」

「…えっ…それって……どういう…………」

恐る恐る声を振り絞ったが言葉に詰まってしまう。人魚は硬直したまま男の話に思考を奪われていた。


「…君が元の世界に戻る為、あの紅玉ルビーを手に入れる。もし其が出来なければ…“昔”の君は存在ごと消える。」



ざっと風が吹き抜けた。

雲が流れ、月が影を落とす。

不意に頭上が陰り始めた。

すると彼女の頬を伝う一雫。

一滴、また一滴。

途端、辺り一面に降り注ぐ雲の糸。

其処は海を叩く雨音で埋め尽くされた。

思考は停止したまま。


水面みなもから高く跳ね上がる水音は自棄やけに鮮明で…雷鳴が遠く人魚かのじょの心を歪める。


…襲ってくるのは漠とした虚無。



途方もない旅路になるだろう。


沸き上がる暗い泡が人魚の心を蝕んでいるのを知ってか知らずか…宿命は始まったばかり。

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