#13 体調を崩した時は、少し心細い

 文化祭の準備は着実に進んでいた。当日の進行表や見回りのシフトも完成し、開閉会式に携わらない実行委員は、クラスの作業を手伝えるようになった。

 俺や小野寺もその一人で、明日からはクラスに顔を出せそうだ。


「兄さん、もうすぐ文化祭ですね」


 夕飯を食べていると、飛鳥が目を輝かせながら言った。


「そうだな。飛鳥も二日目来るのか?」


「もちろんです! ところで、兄さんのクラスは何をやるんですか?」


「メイ――」


 はっ! 危うく口走るところだった。一つ下とはいえ、飛鳥はまだ中学生。メイドなんて刺激的なもの、まだ早いに決まってる。

 健やかな成長を望む兄としての本能が、口に出すことを忌避していた。


 その様子を見ていた飛鳥が、訝しむような顔を見せる。


「『めい』ってなんですか。もしかして兄さん、誤魔化そうとしてます?」


「それは誤解だ。俺はただ、『迷宮入り』って言おうとしただけだぞ。俺達のクラスが何をやるのか、その真相は闇の中ってことだ」


 その場しのぎの適当な言い分に、飛鳥は聞く耳を持たない。


「言ってくれなくてもいいです。当日、見に行けばいいだけの話なので」


 ……そうか。つまりその日、飛鳥は大人の階段を上るのか。兄さんは少し寂しいぞ。


「あぁ、そうだ。明日はクラスの準備に顔を出す予定だから、早めに家を出るな」


「分かりました。実行委員の方は、もういいんですか?」


「リハーサルまではお役御免だ。最上先輩のおかげで、準備は順調だよ」


 そう、順調すぎるくらい順調に当日が近付いてきていた。

 だから俺は、気が緩んでいたのかもしれない。



「この体温じゃ、今日は休んだ方がいいですね。小野寺さんには、私の方から伝えておきます」


「た、助かる……」


 まさか、熱を出して寝込むことになるなんて。

 最近は暑さも影を潜めて、日中以外はだいぶ涼しくなってきた。未だに半袖半ズボンで寝ていたのがいけなかったか。


「私は図書委員の仕事があるので、帰りが遅くなります。ちゃんと安静にしていてくださいね」


 そう言い残して、飛鳥は学校へと出発した。

 

 それにしても、体が重いな。

 熱特有の怠さが全身を蝕み、満足に体を動かすことができない。枕元の水を取るのにも苦労する。


 こういう時は寝るに限るのだが、火照りが邪魔して上手く寝つけなかった。体温は徐々に寝床を浸食し、どこに触れても熱が纏わりつくようだった。


「場所を変えるしかないか」


 病体に鞭を打って体を起こし、リビングへ向かう。

 そして、ソファに倒れ込むように体を投げ出すと、まだ手つかずの冷たさがじんわりと染み渡った。


「ふぅ、最高だ……」


 俺はまどろみの中、ゆっくりと意識を手放す。

 

 これなら気持ちよく眠れそうだ――――

 

◇ 


 ぴちゃり、ぴちゃりと跳ねるような音が覚醒を促す。

 横になっていても、体が軽くなったことが分かる。まだ頭はぼんやりとしているが、熱の怠さは感じられなかった。


 目を覚ましても、水音は変わらず鼓膜を震わせる。音の鳴るキッチンに目を向けた俺は、自分の目を疑った。

 

 そこには、メイド服に身を包んだ小野寺の姿があった。何やら作業中の小野寺は、俺が目を覚ましたことに気付いていないようだ。フリル付きのカチューシャが、頭の動きに合わせて忙しなく動き回っている。


 キッチンの様子を確認しようと立ち上がると、ちょうど小野寺がこちらへ向かってきた。

 ミニ丈のスカートと少しはだけた胸元のデザインは、間違いなくクラスの出し物で使う衣装だ。しかし、どうして小野寺がそれを着ているのかは分からなかった。


「間宮君、熱は大丈夫そう?」


 小野寺は、不安げな視線で顔を覗き込んでくる。

 その近さに、俺は目を逸らしながら答える。


「大丈夫だ。世話してもらったみたいで悪いな」


 小野寺から濡れタオルを受け取り、水音の正体を察する。そして、額にほんのりと残る、ひんやりとした感覚に感謝した。


「ううん、気にしないで。私が心配で来ちゃっただけだから……。あ、でも! 飛鳥ちゃんには許可貰ってるからね!」


 ここまでしてくれるなら、許可がなくても……というのは気を許しすぎだろうか。

 それでも、わざわざ看病しにきてくれたことが嬉しかった。起きた時に誰かがいるのが、こんなにも安心するとはな。

 

「それで、どうかな……?」


 やけに濁した物言いに、俺は戸惑う。


「どうというのは?」


「えっと、その……この服なんだけど……」


 そう言って小野寺は、スカートの端を軽く持ち上げる。それによって、ただでさえ露出していた太腿がさらに主張を強めた。

 俺は視界から小野寺を消そうと、全力で顔を背けた。


 飛鳥にメイドは早いと思っていたが、どうやら俺にもまだ早かったらしい。


「……それ、文化祭で着る衣装だよな」


 俺は横を向いたまま、小野寺に尋ねる。


「う、うん。間宮君のお見舞いに行くって言ったら、クラスの人が持たせてくれたんだ。これを着て看病すれば、元気になるはずだって」


 なんだか含みのある言い方だな。一体、どこのやぶ医者だ?


「それ、信じたのか?」


「信じてはなかったけど、それで間宮君が元気になるなら着てみようかなって。……それに、綾音先輩のメイド姿気になるって言ってたから」


「あ、あれは……!」


 慌てて弁解しようと、勢いよく踏み出したのがいけなかった。正面を向いた俺は、小野寺と至近距離まで接近してしまう。


「ぁ…………」


 予想外の出来事に、俺は言葉を詰まらせる。

 こちらを見つめる小野寺の瞳が、僅かに潤んでいるような気がした。


「私のメイド姿、どうかな?」


「……似合ってると思う」


 ぎこちない俺の返答に、小野寺は首を振る。


「そうじゃなくて……私、可愛い?」


 真っ直ぐと注がれた視線から、目を離すことができない。

 俺はこの気持ちを、この勘違いを認めてしまっていいのだろうか。それを自覚してしまえば、また傷を負うかもしれない。


 小野寺は口を引き締め、俺の答えを待っている。

 彼女と共に踏み出そうとした一歩に、後悔はしたくなかった。


「可愛いと思う。……いや、すごく可愛い」


 こんな正直に言葉が出てきたのは、きっと熱が引いてないせいだ。

 そんな言い訳とは裏腹に、高鳴った胸は初めて会った時と違う音色を奏でていた。

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