#3 本命を二つ目に持ってくると、要求は通りやすい

 翌朝、翔太と蓮が家を訪ねてきた。わざわざ果し合いの結果を聞きにきたらしく、俺は道すがらで昨日の一部始終を話すことにした。


「それで、結局友達になったわけなんだが……」


 始めは不安げな様子の二人だったが、話が終わる頃には、その視線は生暖かいものに変わっていた。


「一応言っておくが、嘘はついてないぞ」


 小野寺の扮装やアイドル云々に関しては、多少濁してはいるがな。

 翔太の影からひょっこりと顔を出すと、蓮は怪訝そうな表情を浮かべた。

 吊り上がった目元が、さらに鋭さを増して俺に注がれる。全身をくまなく観察される感覚に、俺は思わず身震いする。


「……光、あんた熱あるんじゃない?」


 蓮は右手を俺に伸ばそうとするが、翔太がそれを遮る。翔太はゆっくりと首を振り、諭すような口調で言った。


「蓮、いくら僕らの仲だからといって、失礼な言動は慎むべきだ。きっと光は、昨日の果し合いのことを思い出したくなくて、記憶を……ぐすっ」


 おい翔太。お前の方が失礼だろ。

 翔太の背中に抗議の眼差しを向けるが、翔太は何食わぬ顔で話を続けた。


「冗談はさておき、真相を聞くなら当事者が一番だろうね」


「そうね。でも、光に聞いても本当のことを言ってくれるかどうか……」


 当人をよそに、二人はいかに俺の口を割ろうか思案し始める。


「光の話によると、あの果し合いにはもう一人当事者がいるらしい」


「小野寺のことか?」

 

 翔太は頷くと、その場で足を止める。そして、自分に注目が集まったことを確認すると、後ろを振り返った。

 

「ということで、彼女に説明してもらおう。――小野寺さん、お願いできるかな?」


「え?」


 今回間抜けな声を出したのは、俺だけじゃなかった。思わぬ人物の登場に、蓮も素っ頓狂な声を上げていた。


「ぁ……あの……」


 俺たちの背後数メートル。そこに昨日の果し合い相手、小野寺渚の姿があった。


 どうしてここに? というか、ずっと俺たちの後ろにいたのか?

 この状況を整理するため、俺は一度冷静になる必要があった。

 

 小野寺――と言ったが、結論を急ぐ必要はない。彼女が小野寺ではない可能性だってあるはずだ。考えてもみろ、これまで通学中に小野寺の姿を見たことがあったか? いや、ないな。ということは、ここにいるのが小野寺である可能性は低い。じゃあ、あれは誰だ? ……よく分からないが、おそらく偽物だろう。


 俺は、目の前にいる小野寺(偽)を注意深く見つめる。

 朝陽をきらきらと反射しているのは、腰まで真っ直ぐと伸ばされた黒髪。すらりとした手足の白と、艶のある黒との対比に目を引かれる。それでいて儚げな印象を受けないのは、ほどよく肉づいた健康的な体のおかげだろうか。そして頬は、ほんのり紅潮していて――


「間宮君、そんなに見つめられると恥ずかしいよ……」


 ごめんなさい、本物でした。


「何ジロジロ見てんのよ!」


「ぐふっ!」


 蓮の拳が、脇腹にめり込む。

 容赦ない一撃ではあったが、痛みのおかげで冷静な思考ができそうだった。


「小野寺も、家はこっちの方なのか?」


「う、ううん。その、間宮君と一緒に学校行きたいなって思って。でも、家に行ったら他の人たちと話してたから、話しかけられなくて……」


 今朝は珍しく、翔太と蓮が家に押しかけてきたからな。……ん? なんで小野寺は俺の家を知ってるんだ?


「……俺の家、教えたっけ?」


「あの時、間宮君にお礼言いそびれちゃったから、追いかけて家まで行ったんだ。……チャイム押す勇気は出なかったけど」


 小野寺が勇気を出さなくて良かった。危うく、新学期一日目から不登校になるところだった。


「あの時って、例のナンパ撃退のこと?」


「えっと……」


 蓮の問いに、小野寺は瞳を彷徨わせる。それが俺の視線と交錯したところで、彼女はこくんと首を縦に振った。

 

「割り込んじゃってごめんね。光の話だけじゃ、どうも信用できなくって」


「だから言っただろ。俺は嘘をついてないって」


「はいはい、そうでしたね」


 勝ち誇る俺を、蓮はひらひらと手を振ってあしらう。


「そういえば、光から話を聞いた時から思っていたんだけど、屋上って勝手に立ち入って大丈夫だったのかい?」


「たしかに! 始業式で先生も言ってたわよ。『自転車の二人乗りと屋上の出入りは、創作物の幻想だ』って」


 学年主任の意地の悪そうな口調を、蓮は皮肉たっぷりに再現する。


「ふふっ」


 その姿に、小野寺からも笑みが零れる。翔太と蓮は、そんな彼女を物珍しそうに見つめていた。


「屋上の掃除がしたいって先生に言ったら、鍵を貸してくれたんだとさ」


 俺が代わりに答えると、二人はそれぞれに驚きを露わにする。


「それは考えたね」


「……嘘でしょ?」


 感心した風な声を上げる翔太に対して、蓮の表情は冴えない。

 分かるぞ、蓮。俺も初めて聞いた時は耳を疑った。というより、先生の緩さを疑った。


 自分から掃除をしたがる生徒の方こそ、現実にいないってのに。おかげで昨日は、小野寺と屋上掃除をしてから帰る羽目になってしまった。


「そりゃ、俺たちみたいな一般生徒だったら、先生も鍵を貸してくれないと思うけどな」


 だが、小野寺なら話は別だ。なぜなら、彼女は学年一優秀な生徒。教師として、彼女の善行に疑問を抱く余地はなかったのだろう。


「さて、昨日の疑問と光への誤解が解けたことだし、僕らは先に学校へ向かうよ」


 翔太はそう言って手を叩くと、蓮の体を引き寄せる。


「え、ちょっと翔くん?!」


 急なボディタッチに動揺してか、蓮の顔が朱に染まる。

 もうすぐ三年目を迎えるんだ。そろそろ慣れてもいい時期だと思うんだが。


「昨日は一緒に通学できなかったんだ。残りの道くらい、二人っきりで歩かせてくれないか?」


 キザモードに入った翔太の甘言に、蓮の心は容易く射抜かれる。


「う、うん……。それじゃあ、行こっか」


 そして翔太にエスコートされ、蓮はその場を後にした。

 

 さすがの俺も、今の二人に入り込もうとするほど無神経じゃない。遠ざかる背中をしばらく見送った後、俺は小野寺に声をかけた。


「俺たちも行くか」


「うん」


 小野寺の首肯を受け、俺は足を踏み出そうとする。しかし、踏み出したはずの足は空を切った。見ると、制服の裾が小野寺の指先に掴まれていた。


「どうしたんだ?」


「私も、手繋いでみたい……」


 ……何を言ってるんですかね。

 そういうことに興味ある年頃なのは分かるし、あんなの見せつけられたら思うところがあるかもしれないけど、一旦考えてみてほしい。


「俺たちは、友達だろ?」


「そ、そうだね……」


 やんわりと断りを入れると、声のトーンが少し落ちた気がした。

 まぁ、たしかに今の言い方だと、友達という言葉を盾に何かを強要する輩みたいで嫌な感じだな。これから気をつけよう。


「手を繋ぐのは、あれだ。もっと関係が進展した男女がすることだと思うんだ」

 

「関係が進展……。分かった、そうするね」


 ひとまず、説得には成功したようだ。気を取り直して歩き出そうとすると、再び足が空を切る。


「……まだ何か?」


「明日からも、一緒に登校していい? その、友達は一緒に通学するっていうし」


 小野寺は裾を掴んだまま、ほんのり潤んだ瞳で問いかける。


 先ほど断ってしまった手前、続けて断るのは躊躇われた。

 手を繋ぐことに比べれば、一緒に登校することなんて朝飯前だ。そう考えれば、不思議と抵抗感は薄れた。


「そうだな。友達なんだし、一緒に通学するのもいいかもしれない」


 それに、こうして一つ一つ経験していくことが小野寺の自信に繋がるなら、友達作りの一環として協力したいと思った。

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