助けたギャルが高嶺の花だった

大豆の神

出会い

#1 光の剣で姫を救え

 こじんまりとしたライブハウスから出ると、夏のうんざりするような空気が纏わりついてきた。

 夏休みも今日で終わりだっていうのに、気温と湿度は秋に向かう気配がない。

 じっとりと吹き出る汗を、首に巻いたタオルが気持ちいいくらいに吸収してくれた。

 

「今日のライブも最高だったな。早くニナちゃんの可愛さを広めるため、筆を執らねば」

 

「やっぱニナ可愛すぎだろ。握手もできるとか最高だな」

 

 そう口々に話すのは、二人組の男。俺と同じ、地下アイドル”ニナ”のライブ参加者だ。

 

「可愛い、か」

 

 なんとなしにそう口にすると、二人組の片方が俺の方へと近づいてくる。

 まずい、なんか誤解されたか?

 取り繕うと慌てて頭を働かせるが、結論を出す前に話しかけられてしまう。

 

「君もニナちゃんのファンなら、そう思うだろ?」

 

 どうやら感情を共有したかっただけらしい。それなら、下手に角を立てる必要もない。

 

「そ、そうですね。……可愛かったです」

 

「うんうん、ならば我らは同士だな。また会おう!」

 

 男は俺の返答に満足したのか、相方を連れて帰路についた。

 

 彼には悪いが、さっきの質問に対する本当の回答は、ノーだ。俺はニナを可愛いと思ったことはない。たしかに、あどけさの残る可愛らしい顔立ちをしているとは思う。だが、そんなことは俺にとって重要ではないのだ。


 男の背中を見送った後、ライブハウスの方へと振り返る。

 そして改めて、今日のライブに思いを馳せた。

 

『今日は来てくれてありがとー! これからもニナの応援よろしくね!』

 

 ステージ上で眩い光を浴びながら、手を振る少女。そんな彼女を見上げていたのは、あの会場で俺だけだった。

 他の参加者たちは、周囲と雑談をしているか、レポートを書こうと必死に手元の端末に指を走らせている。誰もステージを、少女を見ていなかった。

 

『この後は、いつも通り握手会と撮影会があるから、皆楽しんでいってね!』

 

 それでも彼女は笑顔を崩さず、今いる少ないファンに応えようと、アイドルとしての責務を全うしようとしていた。

 だから俺は、偶像アイドルが好きだ。本心がどうであれ、そこにいる人々の期待を裏切らない偶像が。

 きっと、ニナじゃなくても構わないのだろう。自分にとって都合が良く、辛い思いをする必要がなければ。


 ――ごめんね。間宮君のことは友達としてしか見れないや。


 感傷に浸った時は、決まってあの時のことを思い出す。それを払いのけるように頭を振ると、いかにも遊んでそうな風貌の集団が目に入った。

 

 金髪のチャラ男の両脇を、茶髪のチャラ男二人が固めている。彼らの視線の先には、これまたテンプレと言うべき金髪ギャルの姿。

 チャラ男たちは得意げな顔を浮かべているのに対して、ギャルの方は眉を下げ、困ったように笑っている。おそらくナンパなのだろう。


 運が悪いことに、帰るためにはあの集団がいる方向に向かわなければならない。彼らが退散するまで、ここで粘ってもいいのだが、今日の夕食は俺の担当だ。今ごろ家では、妹がお腹を空かせて待っているはず。可愛い妹のためなら、この程度障害にもならない。それがお兄ちゃんってものだ。


 少し進むと、チャラ男たちの声が耳に届く。

 

「暇なんでしょ? なら俺たちと遊ぼうよ」

 

 別に暇でも、知らないチャラ男とは遊ばないだろ。それとも、こういう人たちって、誰かれ構わず遊ぶものなのか?

 哀れなギャルに心の中で合掌し、道の端をすり抜けるように歩く。

 

「いいじゃん。楽しませてあげるからさ」

 

「や、やめてください!」

 

 しびれを切らしたのか、チャラ男はギャルの腕を強引に掴もうとするが、その手はギャルによって振り払われてしまう。

 

「あのさぁ、こっちが下手に出てやってんのに、なんなのその態度?」

 

 明確な拒絶は、チャラ男たちの癪に障ったようだ。

 そもそも無理に誘ってるんだから、下手に出るのは当たり前では? という正論は置いといて、このままだと近くの俺も巻き込まれかねない。一刻も早くここを通り抜けてしまおう。

 

「ぁ……」

 

 ギャルと目が合ってしまった。

 俺はふいと目を逸らして、逃げるように駆けだした。

 

 いや、気にするな。俺には関係のない話だ。ギャルがチャラ男とどこで遊んでいようが、俺の知ったことではない。そうして他人事だと言い聞かせることで、脳裏にこびりつく、救いを求めるような瞳を追い出そうとする。

 

 足早に遠ざかったはずなのに、足が向かった先は家じゃなかった。

 

「あ、あの!」

 

 息切れのせいか、思っていたよりも大きな声が出てしまった。

 チャラ男たちはこちらを向くと、鋭い目つきで俺を刺してきた。

 

「あ? なんか用?」

 

 やっぱり戻ってくるんじゃなかった。この人たちめちゃくちゃ怒ってるじゃん。

 早々に後悔するが、干渉してしまった以上、もう引くことはできない。

 

「その人、嫌がってないですか?」

 

「お前に関係あんのかよ」

 

「いやぁ、関係はないですけど……」

 

 やばい、怖すぎる。声だけじゃなくて、膝まで震えてないか?

 

「ならすっこんでろ」

 

 そう吐き捨てられ、体を強く突き飛ばされる。

 咄嗟に受け身が取れずに、思い切り尻もちをついてしまう。ライブのために持ち込んだアイテムたちが、辺りに散らばった。

 

「っつ……」

 

 手のひらの擦り傷がジクジクと痛んで、その度に無力感が襲いかかってくる。

 

 何やってるんだろうな、俺。ヒーロー気取りで助けに入ったら、萎縮してこのザマだ。大体、自分が誰かを救えるような人間だと思っていたのか? でも、相手は三人なんだから、勝てなくて当たり前だよな。

 

 ……じゃあ、なんで俺はあのギャルを助けようとしたんだ?

 

 少し目線を上げると、チャラ男たちの隙間からギャルの姿が見えた。

 手を前で組む彼女は、祈りを捧げているみたいだった。でも、顔には笑顔が張り付いていて、それが心にさざ波を立てていた。

 

「?」

 

 また、ギャルと目が合った気がした。けど、今度は彼女の方から目を逸らす。

 その直前、彼女の口が言葉を紡いでいた。声にならない、俺に向けられたであろう言葉。


 それに気付いた時、俺の中で一つの答えが出た。

 

 俺は彼女に見出したんだ。たとえ恐怖に瞳を揺らしたとしても、気丈に振舞うその姿に偶像アイドルと同じものを。何が『ありがとう』だよ。口パクじゃなくて、直接言ってもらわないと割に合わないぞ。

 俺は、散乱したアイテムの中から目的の物を見つけると、それを両手に持ち、大きく息を吸った。

 

「ニナちゃんLOVE YOU! L.O.V.E.N.I.N.A! L.O.V.E.N.I.N.A!」

 

 数時間前、ステージに向かって叫んだ文言を公衆の面前で披露する。大衆にとっては狂気にしか聞こえない愛の告白に、さすがのチャラ男たちも気を取られていた。

 

「おい、こいつどうしたんだよ」

 

「知らねぇよ。たっくんに突き飛ばされて、おかしくなったんじゃねぇの?」

 

「俺のせいかよ! ちっ、人が集まる前にずらかるぞ」

 

 ふん、チャラ男たちも大したことないな。これをおかしいと言ってるようじゃ、アイドルファンは務まらないぞ。

 ……いや、彼らはアイドルファンでもないし、何ならここは路上だ。どう考えたって俺の行動はおかしいし、彼らの反応が正しい。

 

「ぁ……ぁ……」

 

 その証拠に見てみろ。助けられたギャルですら、俺のコールを前に言葉を失っている。チャラ男の前では見せていた笑顔も、今は口角がひくつく程度だ。

 ギャルにドン引きされたことで、俺の中の何かが決壊した。押し止めていた涙が溢れ出し、身を焼き尽くすほどの羞恥心が心を埋める。

 

「無事で良かったです! それではー!」

 

 すぐさま荷物をまとめ、俺は全速力で駆けだした。誰かではなく、自分を助けるために。

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