幼馴染は大切な人

月之影心

幼馴染は大切な人

「帰って来る時は連絡するからまた遊ぼうぜ。」


「うん!れんが帰るの楽しみにしてるね!」


 大学を卒業し、県外に就職する事になった俺は、地元を離れる前日、幼馴染のあんの家へ挨拶をしに行っていた。


 杏とは幼稚園の頃からの付き合いがある。

 小学生の時、杏を虐める悪ガキ共と喧嘩をして怪我をした時、杏は泣きながら傷を消毒してくれた。

 中学生の時、杏が風邪を引いて学校を休んだ時、毎日見舞いに行って杏が治ると同時に俺が風邪で寝込んだ。

 高校生の時、当時好きだった子に告白して撃沈した俺を、杏は優しく慰めてくれた。

 大学生の時、杏がサークルの先輩から告白されて付き合いだしてすぐに別れてしまった時、荒れた杏を宥めた事もあった。


 まるで本当の兄妹(姉弟?)のような、親友のような、そんな付き合いをしていた幼馴染と離れるのは寂しい気もしたが、笑顔で送り出してくれる杏に、一層頑張ろうと思わされていた。



 社会人となって今までとは全く違う環境で、しかも一人暮らしという人生初の経験に相当覚悟を持って挑んだわけだが、その覚悟を遥かに超越する忙しさとメンタルの削られ具合に何度も逃げ出したくなっていた。

 だが、逃げ出したところで他に何か出来るわけでもない事も分かっていたので、何とか一日を乗り切る事に必死になる日々だった。


 そんな激務続きのある休みの日、俺は部屋でスマホを持って寝転んだまま久し振りに杏とLINEでやり取りをしていた。


---


杏:仕事どう?


蓮:何とかやってる。


杏:ちゃんと食べるんだよ?


蓮:近所の大衆食堂が美味くて入り浸り。


杏:野菜とか魚も食べてね。


蓮:おかんかよ。そっちはどう?


杏:私も頑張ってるよ!初任給でパパとママにマグカップ買った!


蓮:えらいなぁ。


---


 毎日のように顔を合わせていた時と大して変わらない会話。

 なのに妙に胸にぐっと来るものがあって、鼻の奥がツンとした痛みに襲われていた。

 相当心が疲れていたんだろうな。


 俺は杏とのやり取りを終えて机の上に置いたスマホを再び手に取り、普段殆ど読むだけになっていたSNSを開いた。


『さっき俺の大切な子と話をした。幼い頃からの知り合いなんだけど俺の事凄く心配してくれて凄く気遣ってくれて明日からの活力になった。』


 フォローしていない人から『いいね』が一つだけ付いた。



 それから俺は、杏とLINEでやり取りしたり通話したりした後、必ずSNSに挙げるようにした。

 楽しかった話や励ましてくれた話、逆に元気付けた話や愚痴を聞いてやった話。

 『杏』という名前は『大切な人』と置き換えて。

 誰から反応があるわけでもない。

 『いいね』が付く事もあれば全く付かない事もあった。

 それでも、俺は杏と話をした後はいつもSNSに書き込んでいった。



 社会人になって初めての年末を迎え、激務の会社も一応年末年始の休みがやってきた。


蓮:明日帰るよ。


杏:やった!どこ行く?


蓮:まずは時間じゃろ?


杏:えへへ。嬉しくてさ。何時頃になる?


蓮:朝自然と目が覚めてから出るから昼前には着くと思う。


杏:おっけ!じゃあ○○駅に12時集合!


蓮:りょーかい。


 LINEの画面を閉じると同時にSNSの画面を開く。


『明日久々の帰省。大切な人に会ってきます!』


 短い文章だけ打ってスマホを置いた。

 寝る前に自分の書き込みを見ると、フォローしていない人からの『いいね』が2つ付いていた。



 何故かはその時は分からなかったけど、興奮からなかなか寝付けなかったにも関わらず、帰省する当日はまだ外がようやく朝の気配を漂わせる頃に目覚めてしまった。

 微妙に残る眠気を熱いシャワーで吹き飛ばし、天気予報を見ながらコーヒーをゆっくりと飲んだ。

 時計はまだ7時を過ぎたところ。

 杏と約束した駅までは3時間弱。

 9時頃出れば十分間に合うと思いつつ、さてあと2時間何をしようかと部屋の中をうろついたりSNSを開いたりしてはみたものの、何もしない2時間は結構長いものだ。


(「電車が混んでるかもしれないしな。)」


 電車は混んでいようと空いていようと到着時間は変わらない……とは電車に乗り込んでから気が付いた事。

 しかも、年末とは言えまだまだ仕事をしている人たちが波のように押し寄せる通勤ラッシュの時間帯に何故わざわざ飛び込んだのか、自分でもわけが分からない。

 スーツを着たサラリーマンにもみくちゃにされながら、結局杏との約束の2時間も前に待ち合わせの駅に着いてしまって時間を持て余す事になった。



杏:とうちゃーく!何処にいる?


 駅の構内にあるカフェで甘ったるいコーヒーを飲んでいると、杏からLINEでメッセージが着信する。


蓮:○○カフェで優雅な時間を楽しんでる。


杏:りょーかーい!すぐ行くね!


 返って来たメッセージに目を通してスマホをポケットに入れると同時だった。


「お待たせっ!」


「おぉっ!?」


 目の前にぴょこんと姿を現した杏。

 ゴールデンウィークも夏休みも帰れず、ようやく9ヶ月振りに会えた杏は、記憶に残っていた杏よりも随分美人になっていた。


「久し振りだねー。」


「だなー。」


「ご飯はまだでしょ?」


「うん。」


「じゃあ先に何か食べに行こうよ。」


「そうだな。」


 ふかふかの椅子から腰を上げて飲み干したカップをゴミ箱に入れて店を出る。

 と、杏が俺の腕に抱き付くようにしてきた。


「歩きにくい。」


「いいじゃん。」


「周りの目もあるだろ。」


「えぇ~?嫌なの?」


 正直、腕に押し付けられる柔らかい膨らみは捨てがたいので嫌じゃない。

 じゃなくて、杏ってこんなに大胆な子だったっけ?という疑問の方が大きかった。

 確かに幼い頃からずっと一緒で、腕を組むくらい今更という感じではあったが、以前なら『いつのまにか』手を繋いでいるという感じだったように思う。

 ここまで意図的且つ積極的に距離を詰める事は無かった気がする。


「別に構わないけど……」


「だったらいいでしょ?」


 若干杏にリードされつつ、駅前のファストフード店で腹を満たし、駅から少し離れた噴水のある公園へと立ち寄った。



 噴水の周囲は年末に向けたデコレーションとライトアップの準備が進んでいた。

 公園内をのんびり歩きながら、小高くなっている展望台のベンチに腰を下ろして遠くの山を眺めた。


「蓮の住んでるのってあっち?」


「うん。山の向こうを越えてずっと行った所だな。」


「私にも行ける?」


「子供じゃないんだから駅の看板さえ読めるなら来れるよ。」


 そんな他愛も無い話をしていた。

 冬にしては割と温かい昼下がりの公園。

 ベンチで並んでいた杏が、俺の肩に頭を乗せてきた。


「ん?どうした?」


「ううん。何でもない。」


 その声が妙に色っぽく聞こえて、少しだけ心臓が早く打ちだした気がした。


「な、何か今日はやけに積極的だな。」


「そうかな?蓮に比べたら大人しいと思うけど。」


「俺に?別に積極的に何かした覚えは無いぞ?」


 杏が肩に頭を乗せたまま、ポーチからスマホを取り出してぽちぽち何かを見だした。


「これ。」


 1分程して杏は探し当てたらしいものを俺に見せてきた。


「うぇっ!?」


 画面は某SNS。

 見覚えのあるアイコン。


『さっき俺の大切な子と話をした。幼い頃からの知り合いなんだけど俺の事凄く心配してくれて凄く気遣ってくれて明日からの活力になった。』


 間違いなく、杏とLINEでやり取りした後に俺が書き込んだ呟き。


「この『大切な子』って私の事?」


「あ……え……」


「私の知らない所でこんな風に言ってくれるのは凄く嬉しい。」


「あー……う、うん……ま、まぁ……」


「こんな風に思ってくれてるなんて知ったら……意識しちゃうじゃん……」


「え……」


 杏が大切である事に違いは無い。

 幼馴染として、親友として、杏は大切な子だ。

 だが、今の今まで杏を異性として意識する事が無かったので、杏が捉えたような意味で『大切な子』と書いたわけでは無かった。

 とは言え、あまりに近くに居たので考えなかっただけで、杏は恋人としてもまさに俺の理想像にぴったりなのだ。

 杏が彼女になってくれるなら、不満など有ろう筈が無い。


「あ、あのさ……杏……」


「ん?」


「俺……杏の事……大切に思ってる……」


 杏はゆっくりと俺の肩から頭を持ち上げ、俺の顔を覗き込んできて、口を開いた。


「ありがと。私も蓮の事は大切に思ってるよ。」


「うん……だからその……俺t「だからこれからも宜しくね!」


 杏の眩しい笑顔が視界を覆う。


「こうしてたまに蓮が帰って来たら遊んでさ。」


「う、うん……」


「その内、結婚式の招待状とか届くんだろうなぁ。」








「え……?」


「どっちが先に結婚するか競争だね!」


「え……っと……」


「あー、その前に相手見付けないとかぁ……へへ。」








 いやいや、今の流れってそうじゃないだろ。

 俺がさっきの雰囲気の中で一世一代の告白をして、杏が目をウルウルさせながらOKする場面じゃないのか?








「えっと……さ……杏……」


「なぁに?」


 ニコニコと楽しそうな顔を向ける杏を見て、俺の全身からふっと力が抜けた。


「いや、何でもない。」


「?」


 杏とは、こういう関係がいいのかもしれない。

 何のわだかまりも無く、何でも打ち明けられて、素の自分を見せられる関係。


「こっちこそ宜しくな。」


 俺は、少しだけ寂しく思いつつ、出来る限りの笑顔を杏に向けた。

 一層輝く杏の笑顔に、俺の寂しさもすぐに薄れてくれるだろう。

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