第8話 勉強会の前に(風花side)

 パチン、と頬を叩く音が部屋に響く。


「よしっ……」


 泡羽風花は、ドレッサーの前で気合いを入れていた。今から、柊一が家にやってくるからである。

 いつもはしているダテ眼鏡も今日は外し、さらにはメイクまで施している。ピンクとブラウンを基調にしたメイクで、いつもとは違い、甘くて女の子らしい顔が鏡には写っていた。あざといとも言える。

 そう――今日は、他の誰にも見られる可能性がないから。

 いつもは自分のことを知っている人がいることを恐れて、わざと地味な格好をしているが、今日は必要ない。

 柊一と密室になるのだから、風花にとって最大限可愛い姿でいたいのである。


「クッキーとお茶もある。服と下着も大丈夫。部屋も綺麗。勉強道具もある。シーツも洗った。いい匂いのやつも置いてる。体も洗った」


 勉強会に向けて必要そうなことを、指を折って数えていく……いや、勉強会というより、柊一と2人きりで過ごす上で必要そうなことを。


 風花は、柊一のことが好きである。

 受験からの帰り道。緊張のせいか靴擦れを起こし駅で休憩していたところ、柊一が絆創膏をくれのだ。

 顔も知らない自分に優しく声をかけてくれ、なおかつ靴を片方脱いでいるだけですぐに気づき、絆創膏を渡してくれた。帰りの電車でもさり気なく席に座らせてくれたりして、風花は感動した。

 しかも、当時柊一はコンタクトをしていた。眼鏡だと壊されてしまうかもしれないから、という理由で中学時代は眼鏡を買わなかったのだ。

 

 風花の目に、柊一はやり手の同級生として映っていた。

 顔も良くて、気遣いができる。

 モテるだろうな、と思っていたら、同級生の中に彼の姿はなかった。落ちたか、もっと上の学校に受かったか……

 落胆しつつも探しているうちに、見つけた。

 眼鏡になって意外にも目立たなくはなっていたが、風花は匂いを覚えていた。柔軟剤と、柊一自身の匂いをである。

 廊下ですれ違ってから、風花は必死になって探し、ついには柊一が生物部に入ろうとしているというところまで突き止めた。

 風花の通っている高校では、絶対に部活に入らなければならない。生物部というのは幽霊部員ばかりで構成された部活で、まともに活動している人はいない。唯一カメ太郎だけ飼っているが、それも顧問が世話をする程度だった。

 

 これはチャンス。

 

 もし風花が生物部に入ったら、柊一と2人きりになれるだろう。そこから、ゆっくりと時間をかけて柊一と仲良くなり、付き合えるように持っていけばいい。幸い、柊一はほとんど女子と関わりがないから、盗られる必要もない……と思いたい。

 

「やっぱり髪は……くくった方がいいかな」


 風花は鏡を見て髪をいじる。

 元アイドルなだけあって、とんでもなく綺麗な顔をしている。けれど、これだけじゃ足りない。

 柊一の前では、1番に可愛い女の子でいたい。

 絶対に彼と付き合いたい。なんなら……


「ずっと一緒に、2人きりで過ごせてしまえばいい」


 現実的には無理だろうが、風花はそのことをずっと考えている。風花自身、自分の中にこんな感情があるだなんて知らなかった。人を好きになったこともなかったし、これからもなんとなく付き合って結婚するものだと思っていた。

 だけど、今はどうだ。

 四六時中柊一のことを考えていて、日々妄想を重ねている。

 告白のシチュエーションや、彼とのデート。


 もしデートできたらこの髪型にしよう、なんて考えていたのに、実際それを前にするとどうしたらいいのか分からない。

 どうにか自分の中で折り合いをつけ、髪を巻くことにした。けれど、それを決めるのに15分も悩んでいる。

 風花はため息をつき、ストレートアイロンに手を伸ばした。

 本当は、もっとゆっくりと距離を詰めるはずだったのだ。

 だけど先週の月曜の朝、アイナの顔を見て確信した。絶対に、柊一のことを好きになり始めている。

 アイナは可愛い。『ラブアート』でずっと見てきたから、知っている。可愛くなるためにとても努力しているし、内面も磨き続けている。

 一方、風花は不器用だ。

 人と話すのもあまり得意ではないし、愛嬌もあまりない。アイドル時代も、『無表情』というので、人気があった。


 だから、風花は焦っている。


 朝も途中までアイナと登校していたし、なんとなく自分といるより楽しそうに見えた。アイナは風花に気をつかって呼んでくれたのだろうし、嬉しかった。嬉しかったけど……

 柊一が、他の女の子と話すのが怖くてしょうがない。

 今日の勉強会も、実はずっと風花の中で計画していたことだった。中間テストでわざと勉強をサボり、全教科赤点スレスレにした。

 そのおかげで、嘘をつかずに柊一を誘うことができた。もちろん、いきなり家に呼ぶつもりはなかったが、今回は仕方ない。


「やっぱりもう1回、シャワー浴びてこようかな」


 できれば、既成事実を作るのもアリ……かもしれない。風花は考える。実際できるかどうかは別として。柊一はそんな人ではないし、何より恥ずかしいし、そうするとあまりいい方向にいかないのも知っている。

 完全に勉強会が目的ではなくなっている風花はもう一度ため息をつき、シャワーを浴びるため脱衣所へと向かった。

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