第49話

「ヒャハハハハハハ、その赤い目を捧げろ」


 もう、カインと呼んでもいいのかわからない悪魔と化したものが、牙を剥き出してこちらに振り向いた瞬間、アメリアは恐怖で身が竦んだ。


「っ……アメ、リアに、触るなっ」

「レオン!」


 事切れたように地面に倒れ動かなくなっていたレオンが、左手でカインの足首を掴む。


「まだ生きているのか、しぶとい人間だ」

 カインはレオンを蹴飛ばすが、懐から小瓶を取り出したレオンは、口でキャップを開けると、瓶の中身をカインの顔に向かってぶちまけた。


「ギャアァアァア!?」


 じゅっと肉が焼ける音と共に、痛むのか顔を押さえ奇声をあげながら、カインがのたうち回る。

 どうやら瓶の中身は聖水だったようだ。


 その隙に、右足を引きずりこちらにやってきたレオンが、懐に隠し持っていたナイフで、アメリアの拘束を解いてくれた。


「レオンッ!」


 アメリアは、生きていてくれてよかったとレオンにしがみつく。

 そんなアメリアを、左腕だけで抱き返したレオンは「今の隙に、ここから逃げろ」と、耳元で囁いた。


「ここから少し離れた場所で、セオドアに待機してもらってる。そこまで、頑張って走るんだ」

「レオンも一緒だよ」

 不安になったアメリアは顔をあげ、ぎゅっとレオンの手を握りしめたが、彼は首を横に振る。


「もう、こんなボロボロの体じゃ走れねーよ……」

 精気をたくさん吸い取られたレオンの右半身は、既にミイラ化しており、美しかった彼の顔も目を逸らしたくなるような有り様だ。


 それでもアメリアは、レオンの手を放さなかった。


「レオンが走れないなら、わたしが担いで連れて行く」

 アメリアは、必死でレオンの腕を引っ張り、一緒に逃げようと訴える。


「そんな細腕で、俺のこと担げるわけないだろ」

 バカだなと言いながら、こんな時なのに、レオンは愛しそうにアメリアを見つめ、優しい笑みを浮かべていた。


 その目はまるで、最後にアメリアの姿を目に焼き付けようとしているようで、アメリアを不安にさせる。


「走れねーけど、アイツを引き留めて、時間稼ぎすることぐらいなら出来る」


「そんなの絶対にだめ!」


「……いい子だから、俺の最後のお願い聞いて、アメリア」

 いくら大好きな人のお願いでも、それは聞いてあげられない。

「レオンと一緒じゃなきゃいやだよ。一人だけ生き残っても、意味がないもの。一緒に行こう!」

「こんな化け物みたいになった俺を連れ帰ったら、それこそ石でも投げつけられるぞ」

 困ったように笑うレオンの顔を、アメリアはそっと引き寄せ、コツンとオデコをくっつける。


「そんな意地悪する人、無視すればいい。あなたの見た目がどんなふうになっても、周りからなにを言われても、わたしはレオンが大好きだから。あなたといれば幸せなんだよ」


「っ……オレも、同じ気持ちだよ」


「じゃあ、二人で生き残ろう。最後まで諦めちゃだめ」


 アメリアは、容姿の変わってしまった彼に、変わらぬ愛を誓うように、躊躇することなく口付けた。


 その瞬間、不思議な力が内側から溢れてくるような感覚がした。


「グアァア、ヨクモ、ヨクモ、コノ僕ノ顔ニ!!」


 のたうち回っていたカインは、爛れた顔を押さえながらヨロヨロと立ち上がる。

 だが聖水で目をやられ、視界がまだ定まらないようだ。


「レオン、顔が……元に……」

「え?」


 みるみるうちにレオンのミイラ化していた顔が、右手が、足が元に戻ってゆく。

 レオンは、そんな自分の体に起きた奇跡を呆然と見ていた。


 そして、棘に刺されたアメリアの身体中の傷も、同じように癒えてゆく。


(この力は……)


「これは……オマエのなにかしたのか?」

 レオンに聞かれ、アメリアは首を横に振って答えた。


「……分からない」


 けれど、これが賢者の瞳の力なのかもしれない。

 想いが交わった瞬間、共鳴するように、自分の内側から力が溢れてきた気がする。


「クッ、視界ガ……ケレド、ワカルゾ! 赤イ目ヲ持ツ娘、オマエノ甘美ナ匂イデナ!」


 カインがこちらを振り返り、ニタっと不気味な笑みを浮かべる。


 だが、先程のようにはいかない。


「ありがとう……アメリア。もう、大丈夫だ」

 強気な笑みを取り戻したレオンは、転がっていた剣を利き手で拾い上げ構えると、その右手の甲にある聖なる刻印が光を放つ。


「ナゼダ……ナゼ、チカラヲトリモドセタ。アア、ソウカ……コレコソ、赤イ瞳ノ……」


 鋭い爪で切裂こうと飛び掛かってきたカインを、レオンは剣で受け流した。


「小癪ナ!! ヨコセ!! ソノ、赤イ目ヲ!!」


 レオンに敵わないと悟った悪魔が、アメリアへ狙いを定め飛びかかってくる。しかし。


「させるか! 悪しきモノに、聖なる裁きを!!」


 そうレオンが唱えた瞬間、彼の持っていた剣に、聖なる力が宿り閃光した。


「グアァアァアアァァッ!?」


 アメリアに伸ばされた魔の手が、その瞳に触れる前に、カインの体は真っ二つに切り裂かれる。


 その体から吹き出してきたのは血飛沫ではなく、漆黒の闇そのものだった。


「滅せよ!」


 その闇が夜の空へ逃げてゆく前に、レオンが刻印のある右手を翳すと、漆黒の闇は断末魔を上げ、レオンの放つ光に飲み込まれるようにして消えたのだった。


(助かった、の……?)


 アメリアは体中の力が抜け、その場にペシャンと座り込む。


「アメリア!」

 それを見たレオンが、慌てた様子で飛んできた。


「どうした? どこか痛むのか?」

「違うの……レオンが無事でよかった」


 改めてレオンを失うことになったかもしれない恐怖が溢れ、アメリアの体は小刻みに震える。


 同じ気持ちなのか、アメリアの頬に触れたレオンの指先も、僅かに震えていた。


「アメリア……無事でよかった」

「うん、守ってくれてありがとう」


 二人は互いの無事を確認し合うように、強く強く抱き締めあったのだった。

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