第5話

 それから数日後の昼休み。

 どこかで静かにお昼を食べようと、人気のない場所を探し学内をさまよっていたアメリアは、廊下の曲がり角で人とぶつかりよろけた。


「す、すみません……」

 互いの前方不注意が原因だが、咄嗟に謝罪の言葉を口にしたアメリアに対し、ぶつかってきた男子生徒は舌打ちをしてきたので、ちょっと怖い。


 こういう人とは関わらないに限ると、落としたサンドイッチを拾ってそそくさと立ち去ろうとしたのだけれど、静かな廊下で男子生徒二人組の会話が、はっきりと聞こえてくる。


「ちっ、イッテー最悪」

「ははっ、災難だったな。てゆうか……あの子どこかで見た覚えが」

「なにおまえ、あんな陰気くさい女にも手だしてんの? さすがプレイボーイ」

「おい、やめてくれよ! あんなのおれの守備範囲じゃないさ。そうじゃなくて……」


 品のない話で盛り上がる男子生徒たちの会話から逃れるため、アメリアは足を早めたのだが。


「思い出した! あの子、一年のレオンの女だよ、たぶん」

「げっ、マジかよ。レオンってよく女子たちに騒がれてる有名人の?」

「絶対そうだって! おれ、前に見たもん。あの子とレオンが二人でいるところ」


 自分だけならまだしも、レオンの名前まで出てきて、思わず振り返ってしまったアメリアは、同じくこちらに振り向いていた男子生徒二人と目があってしまい、ビクンと怯えた。


「へー……聖騎士候補が。それもあんなにモテるのに、もったいない。女の趣味変わってるなー」

「でもさ、よく見ると……意外とかわいいところがあったりして?」


 ゲラゲラと下品な笑みを浮かべ、こちらを品定めするような視線が怖くて、今度こそアメリアはその場から走り去る。


 やっぱり自分といるとレオンまでバカにされてしまう。アメリアは自分のことを言われるより、それが堪らなく嫌だった。


 自分のせいでレオンに恥をかかせたくない。






 その日の夜、アメリアは寮の自室にて洗面所の鏡の前に立ち、そこに映る自分の顔とにらめっこをしていた。


「…………」

 正確には、もっと愛想よくできないものかと笑顔の練習をしていたのだけど、笑おうと意識すればするほど、逆に表情がこわばって上手く笑えない。


「…………」

 目が隠れるように前髪を伸ばし、いつも俯き加減でいるのも、人に陰気な印象を与えてしまうのかもしれないと思った。


 けれどコンプレックスである赤い瞳は、人に見られたくないから、前髪を切って顔を上げる勇気はでない。


 髪色もそうだが、この珍しい色の瞳のせいで、幼少期はさんざんな目に遭ってきたのだ。


(やっぱりわたしがレオンの隣にいて、恥ずかしくない女の子になるなんて、ムリ……)


 頑張ってみようと思ったが、すぐに心は折れた。


 ならばこれ以上レオンに恥をかかせないよう、自分にできることは……二人でいるのを見られないよう、図書室で勉強するのを止めることぐらいしか、思いつかなかった。



◇◇◇



 それからアメリアは、ぱったりと放課後に図書室で勉強するのを止めた。

 持ち出し禁止の書籍は昼休みに読んで、放課後は、借りてきた書籍を自室で読むようにしている。


 それで特に不便に感じることはなかった。

 ただ、それからレオンと顔を合わせることがなくなり、一週間以上が経った頃、このまま会わなくなって、そのうち自分の存在なんて忘れられちゃうのかもしれないと思ったら、急に寂しくなった。


 自分から会える機会を消したのに、なんて身勝手な気持ちだろうと、自己嫌悪を感じながら。






 それからさらに数日経った昼休み。

 いつものように図書室へ向かおうとしたアメリアは、図書室の入口で待ち伏せていたレオンと鉢合わせた。


「よお」

「……どうも」

 なんだかレオンの機嫌が悪そうで、アメリアは視線を泳がせる。


「ちょっとツラ貸せよ」

「えっ、待って……」

 元々レオンは少し口が悪いが、伯爵令息らしからぬ呼び出しのセリフを吐き、有無も言わせてもらえぬまま歩きだしてしまったので、アメリアも仕方なくそれに続いた。


 着いたのは、たまにアメリアが昼食をとっている、人気のない地下室入り口がある廊下だった。


「なんで最近図書室に来ないんだよ」

 足を止め開口一番レオンはそう言う。


 別に毎回会う約束をしていたわけではないから、このままフェイドアウトしても大丈夫かと思っていたが、そういうわけにはいかなかったらしい。


「……自分の部屋のほうがゆっくり勉強できるから」

 アメリアはもっともらしいセリフを、自信なさげに俯きながら答える。その半分は本当だけど、半分は嘘だったから。


「じゃあ、もう放課後に図書室で勉強すんのはやめるのか?」

「うん……」

「ふーん」

 なら、もう滅多に会うこともなくなるな、とそこで会話は終わるかと思った。でも。


「……ならさ、これからたまに一緒に昼飯食わないか?」

「えっ、ダメ!」

 予想外の言葉に驚いて顔を上げ、思わずアメリアは咄嗟に拒否してしまった。


 だって自分と一緒にいたらレオンに恥をかかせてしまうから、図書室に行くのをやめたのに。それじゃあ意味がない。


「なんでダメなんだよ」

 だがレオンの表情は、ますます不満げだ。

「だって……」

 上手く言葉が見つからなくて、黙り込んでしまったアメリアを見て、レオンの眉間のしわが深まる。


「い、一緒にいるところ見られたら恥ずかしいでしょ?」

 レオンが恥ずかしい思いをする。そういう意味でアメリアは言ったつもりだったが。


 何か答えなきゃレオンをもっと苛つかせてしまうと、焦って咄嗟に出た言葉は、ますます彼を不快にさせてしまったようだ。


「なんだよそれ。オレといるとこ見られたら恥ずかしいって? 悪かったな」

「ち、ちがっ」

「違わないだろ。今そう言ったんだから」

「レオン、怒らないで」

「怒ってない!」

 嘘だ、絶対に怒ってる。と思ったけれど火に油を注ぎそうで言えなかった。


「……噂、される。レオン目立つから、わたしたち噂されてるんだよ」

「は、噂?」

 レオンは、まったく気付いていないような反応だった。自分たちが影でなんて言われているのか。


「そんなの、言いたいやつには言わせておけばいいだろ。くだらねー」

「くだらなくないっ、レオンのバカ!!」

「はぁ!?」


 レオンに恥を掻かせないよう、グルグル考えていた自分の気持ちまで、くだらないと一蹴りされたような気分になって、アメリアは悲しくなった。

 レオンにそんなつもりがなかったことぐらい、分かっているのに。


(周りの目を気にしないレオンには、わたしの気持ちなんて分からないんだ)


 それと同時に、周りの視線にいつも怯えている、ちっぽけな自分が情けなく思えて……。


「ど、どうした、アメリア。ごめん、落ち着けって」

 瞳に涙を溜めたアメリアに気が付いて、レオンがうろたえる。


「あ、おい!」

 でもアメリアは、気持ちがぐちゃぐちゃで、これ以上余計なことを言ってレオンとすれ違いたくなくて、その場から走り去ってしまった。




「なんなんだよ……オレといるの好きだって言ってたくせに。結局、本当にそう思ってたのは、オレだけかよ」


 レオンは小さく呟くと、アメリアを追いかけることなく、反対方向へいなくなったのだった。

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