第11話 償い
「帰ってくれ。」
修二さんはドアを閉めようとしたが、女性がそれを手で遮った。
「話したいことがあるの…」
思い詰めた顔で訴えた。
「俺には話すことはない。帰ってくれ。」
修二さんは顔を背けた。
「お願い…最後…だから…」
彼女は涙を浮かべながら、縋り付くような目で訴えた。根負けした修二さんは、大きなため息をついて、ドカッと部屋の真ん中にあぐらをかいて座った。
その正面に控えめに彼女は座った。
もちろん、彼女に俺は見えていない。
由紀子と呼ばれた彼女は、修二さんの奥さんだった。
まっすぐな髪が肩より長く、色白の綺麗な人だった。修二さんよりはかなり若く見えたが、やつれた頬が苦労を物語っている。よく見ると、腕に数カ所アザができているのがわかった。
「本当にごめんなさい。すいませんでした。」
由紀子さんは畳におでこを擦り付けて、謝罪した。しかし、修二さんは彼女から目を背けたままだった。
「謝って済むことじゃないのは、わかってます。私自身が弱かったんだと思います。それについては、何も言い訳はできません。でも、信じて欲しいんです。会社のお金に手をつけていたなんて、本当に知らなかったの。ごめんなさい。会社をダメにする気なんて、そんな事は…」
「横山か…」
すると、由紀子さんは持っていたカバンから、包み紙を出した。
「これを…」
修二さんは包み紙に視線を移した。手に取り開けてみるとお金の束が出てきた。
「これは…」
「あなたの…会社のお金に手をつけるなんて、それだけはしてはいけないと思って、こっそり持ち出して来たの…全部は無理だったんだけど…」
「横山から持ち逃げして来たのか?どうして?」
「あなたが大切にしてきた会社を潰すわけにはいかないわ。私も少なからず一緒に築き上げてきた会社ですから、社員のみんなまで裏切れないわ。」
「…もう遅い。返済期限まで間に合わなくて不渡りを出してしまったからね…」
由紀子さんはグッと涙を堪え、唇を噛んだ。
「ごめんなさい。ごめんなさい。」
土下座をする由紀子さんに目を落とした修二さんは、ハッとして由紀子さんの腕を掴んだ。
「このアザは?ここにも…ここにも…」
「……」
由紀子さんは何も言わず、目を伏せた。
「横山なんだな。」
そう言うと修二さんは大きなため息をついた。
「もう横山のところへは戻るな。」
「戻るつもりはないわ…それに…私はやっぱりあなたのことが…」
「このまま、横山が黙って引き下がるとは思えない。」
彼女の声は修二さんと被り、彼の耳には届かなかった。
「この住所のところへ行きなさい。」
そう言いながら、修二さんは由紀子さんにメモを握らせた。
「私の叔母だ。信用できる人だ。事情は話しておく。しばらくそこで世話になりなさい。」
そう言うとタクシーに由紀子さんを乗せて、見送った。
「さあ、陽介くん!私にはもしかしたらあまり時間が残っていないかもしれない。」
「何をしようとしてるんですか?」
「けじめをつけようと思う…俺も。この世の中に…」
昨日までとはうってかわって、修二さんの目に光が灯った。
「さあ、陽介くん!君も急ぐんだ!」
修二さんは決着をつけるつもりなんだ。
俺には?何ができる?修二さんに憑依できるうちに俺も何かカタチにしなければ…。
結局その日の夕方、学校に忘れ物をした息子の代わりに来たと嘘をついて、誰もいない教室へ行き、萌の机をそっと撫でた。
今は、結局手紙を残すことしかできなかった。こんなことしかできなくて、ごめん。萌。
これで本当にお別れなのかもしれない。
俺は、今日に限ってやけに綺麗なオレンジ色の夕日に包まれた教室で、一人泣いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます