第40話 大江の砂浜

 大江町は日本海側に面する海沿いの町だ。


 古くはバブル期に海水浴場として栄え、海開きの時には周辺地域の住民がこぞってやってきては海水浴を楽しんでいた。


 そんな大江町が衰退したのは、バブル崩壊に伴う経済混乱と、その直後に起こったユーラシア大迷災とその余波である日本大迷災が原因である。


 わずか三か月で当時の総人口の三割が死に絶えた一連の迷宮災害によって日本の経済は激しく混乱。その結果、大江町という田舎町は世間から忘れされることになった。


 と、ここまで語って何が言いたいのかというと──


「いやっほー! 海だー!」


 絶叫して海面へと向かい飛び込んでいくのは薄い色合いをした肌白の美人──枢木くるるぎ飛鳥あすかだ。


 普段はどちらかと言えば物静かで神秘的な雰囲気すら漂わせる彼女が、いまばかりは幼い子供のように大声を上げて海に向かって飛び込んでいく。


 パレオを巻いた白色のビキニは、その胸元が大きく盛り上がっていて、そんなたわわに実った果実を大きく揺らし海の中に潜り込んでははしゃぐ飛鳥。


「あ、待ってください、飛鳥さん! まだ日焼け止めも塗っていないでしょう‼」


 そんな飛鳥の後ろを黒い競泳水着に身を包んだ艶やかな濡れ羽色の髪の女性──天道てんどうつかさが追う。彼女は海へ向かってすいすいと犬かきする飛鳥を捕まえ、海から上がらせると、そのまま砂浜を引きずってパラソルがたてられた方へ。


 もうここまで見ればわかるだろう。


 現在、有素とグノーシスから来た面々は大江町の海水浴場で海水浴を楽しんでいた。



     ◇◇◇



 ──きっかけは、有素と士道がネクロマンチュラとの激闘を終え、大江町に戻ってきたときのことだった。


『ずるいずるいずるい! 士道君がUSAちゃんとおでかけなんて抜け駆けだ~! 士道君だけお楽しみしてたなんて、私は許さない!』


 グノーシスの面々が宿泊する旅館に戻るなり総大声を上げて駄々をこねたのは飛鳥である。


 帰ってくるなり士道を見て、駄々っ子のような声を上げた飛鳥に士道を含めたグノーシスの面々は盛大にあきれ顔となり、一方で飛鳥は地面を寝転がってブンブン腕を振り回す始末。


『……飛鳥さん。そんな人聞きの悪いことを言わないでくれよ。俺は別に彼女へ特別な感情をいだいて、なにかしたなんて事実はない』


 士道のそんな抗議にしかし飛鳥は聞く耳を持たず、そのまま暴れる飛鳥は果てにこんなことを有素含めた他の面々に告げてきた。


『私もUSAちゃんとあそぶぅ~! じゃないと明日の迷宮探索はいかないから‼』


『『『『ええ~』』』』


 駄々っ子のようなというか本当に駄々っ子みたいになってしまった飛鳥にあきれ顔の面々。


 どうするか、という状況で助け舟を出したのは、たまたま旅館に来ていていた大江町観光協会の代表さんである。


 有素とも知り合いで、よく大江町に観光客を呼び込むにはどうしたらいいか、と相談したりもした人のいい男性は、駄々をこねる飛鳥の方へと向かってこんな提案をしてきた。


『で、でしたら、皆様。明日、我が大江町が誇る海に来てみませんか? いまはシーズンから若干外れてますから、貸し切りが可能ですよ』


 と、まあこのような経緯を経て、有素とグノーシスの四人は、大江町の海水浴場にやってきた、というわけである。


「──いやはや、飛鳥さんが騒ぎ出した時はどうなるかと思いましたが、意外と海に来てみるのもよいものですね」


 そんな風に告げるのは眼鏡をかけた男性──道目木どうめき蓮夜れんやだ。


 男性物の水着の上に、パーカーを羽織った彼は、その下に細身な見た目に反して良く鍛えられた筋肉をさらしており、いまは椅子に座って片手にビール瓶を煽っているところだ。


「やはり、こういう場所で飲むお酒は美味い。あ、USAさんをはじめ未成年の方にはジュースを用意していますから好きにお飲みください。費用はこちら持ちですので」


「あ、あはは。いただきます」


 ザ・大人な男性という風なふるまいの蓮夜を横目に有素は愛想笑いを浮かべながら進められるままに瓶に入ったオレンジジュースを取り出しキンキンに冷えたそれを煽る。


 ちなみに有素の水着は、白色を基調としたモノキニタイプのそれだ。

 花の女子高生としてほんの少しの大人っぽさと少女らしい奥ゆかしさを同居させた水着の上から、ウサギの耳がついたパーカーを羽織ってパラソルの下に座っている形である。


 そうしてパラソルの下でちょこんと座る有素だが、そんな彼女がいつまでもゆっくりしていられるわけもなく──静かに、しかし確実に背後へと迫る影があった。


「U・SA・ちゃ・んッッッ!」


 ガバッと勢いよく有素へと飛びつくのは、日焼け止めを塗り終えた飛鳥である。彼女から急に抱き着かれて「うひゃっ」という声を有素はあげる。


「ななな、なんですか、飛鳥さん⁉」


「こんなところで昼間っからビールをカッ喰らうダメ中年の隣にいたらだめだよ~。お姉さんとこっちに来な! いいこと教えてあげるぜー!」


「ちょっ、飛鳥さん。引っ張らないで⁉ っていうか、飛鳥さんの方が酔っていません⁉ なんか言動がおかしいですよ⁉」


「うふふ。良く気付いたな、USAちゃん。そう、私はUSAちゃんという絶世の美少女に酔っている──ぶべらッッッ⁉」


 もはや言動が支離滅裂になっている飛鳥の頭に強烈なチョップを叩き込んで止めたのは司だった。彼女は頭を押さえてうずくまる飛鳥を見下ろしてそれはそれは怖い笑みを浮かべる。


「飛鳥さん? 説教ですか? 拷問ですか?」


 司があまりにも怖かったからだろう。涙目になってプルプルと震えだす飛鳥。


 そのまま説教コースに入っていくのを横目に有素はそそくさとその場から退散。そうして彼女が向かったのは、砂浜と道路の間に面した場所へ建てられた木造建築──海開きの時は、海の家として活用される建物のほうだ。


 いまはシーズンからずれていることと、貸し切りであることから、人気がなく、更衣室代わりに使用しているそこへ逃げ込んで、有素は一息つく。


「ふ~。なんとか逃げれた」


「おーす、大変そうだったな、有素さん」


 と、そんな有素へかけられる声が。驚いて有素が振り向くと、そこには木製の机にだらりと倒れこむ形で座る黒髪の少年が。


 士道だ。


 照明がついていなくて薄暗い海の家の中、そこにあるシーズンの時は観光客が食事を摂るための座席に腰掛けている士道は、片手に持ったスマホをヒラヒラと振って逃げ込んできた有素へと話しかけてくる。


「外から声が聞こえてきていたけど、相変わらず飛鳥さんの可愛いもの好きは常軌を逸しているな。そうじゃなくても海でなかなかテンションが上がっているみたいだし、ああなるとあんまり近づかないほうがいいぞ、有素さん」


「あ、うん。そうだね」


 言いながら有素も士道の前にある席へと座りながらやはり机にうなだれてスマホをいじる士道を見やった。


 他のグノーシスの面々が水着を着こんでいる中、士道だけが唯一平服のままでこんな薄暗い部屋の中ただ一人いる彼へUSAは声をかける。


「えっと、士道君は海へ行かないの?」


「あー。俺、泳げないから。技術的にではなくて体質的に」


 言いながら士道はゴホゴホとせき込む姿を見せた。


 出会った時から体が弱いと言われていた士道だ。おそらくその関係で海の中を泳ぐことができないのだろう。


 それを察しながら押し黙る有素へ、今度は逆に士道の方から呼びかけてくる。


「そういう有素さんこそ、海で泳がないの? シーズンをズレているとは、季節的には海を楽しむのに十分な時期なんだから、貸し切りの今日のうちに楽しむのもいいと思うよ」


「あ、うーん、そうなんだけど……」


 言って微妙そうな表情をする有素。そんな有素の表情に気づいて士道はそこで初めてスマホから視線を外して有素の方へと視線を向けた。


「もしかして、泳げないとか?」


「い、いや違うよっ。泳げます。泳げるから……その、海を見ていると思い出しちゃって」


 士道の問いかけをとっさに否定しつつ、顔を打つ向けてそんな呟きを有素は漏らした。


「思い出すということ……」


「……お母さんのこと。五年ぐらい前にね、病気で亡くなっちゃたんだけど、そのお母さんと毎年このぐらいの時期に海へ来ていたの。ほら、あそこ──」


 言葉を紡ぎながら有素が視線を向けるのは海の家の外側。


 真っ白な砂浜を超え、さらにその先の岬に立つ巨大な建造物だ。


「──あそこにあるごみ焼却所のところにね、大江町に住む人だけが知る、隠れた砂浜があったの。いまはあのごみ焼却所が立って埋め立てられたけど、昔はお母さんやお父さんとよくあそこにいったんだあ」


 まだ家族が一緒に居た頃の記憶を思い出し、懐かしむようにそう呟く有素。


「ふーん、そっか。大事な記憶なんだな」


 ポツリと呟かれた士道の言葉に、有素は一瞬面食らったような表情を士道へと向けてしまったが、しかしすぐに彼の言葉を飲み込んで、こくり、とその小さな頭を縦に振った。


「……はは。うん、そう。大事な記憶なの。だけどお母さんが死んでからはお父さんも町議とかになって忙しくて、もう何年も海にこれてなくて、それで突然ここにきちゃったからいろいろと思い出してね……」


 そこまで告げて、ハタッと有素は我に返り、自分がとんでもなく個人的にことを士道へと話しているのに気づく。


「あっ。な、なんかごめんねっ。私のことをペラペラと」


「……別に聞き役になるぐらいはかまわないけどな。それはさておき」


 士道はそこで姿勢を正す。うなだれていた状態から上体を持ち上げて背筋を伸ばした士道はスマホの画面へと視線を向けながら有素へこんな問いかけをしてきた。


「有素さん。ここら近辺で、ちょうどいい花屋とか知っているか? 具体的にはお墓参りに仕える花とかを調達したいんだが」


「……? そりゃあまあ知っているけど。お墓参りって、いったいどういうこと?」


 怪訝に士道を見やる有素に、士道は、ああ、と頷いて、


「ちょっとここら近辺に知り合いのお墓があるんだよ……いや、あると思うんだけど確証はないんだよな。とりあえずお墓参り用の花でも見繕っておいて、見つからなかったら適当にお供えしてお墓参りにしたことにしておこうかと」


「えっ。そういうのはダメだよ、士道君。その人の名前を教えて。苗字でもわかれば、だいたいの場所がわかると思うから。知り合いだったらきちんとお墓参りしてあげないと」


 大江町の出身者として、だいたいここら近辺に住まう人間の苗字とその人達が入っているお墓についての知識がある有素がそう提案するも、士道が浮かべたのはひどく微妙な表情だ。


「あー、いや。それはいい。というか、有素さんには絶対頼めない」


「??? それはどうして──?」


 問いかける有素に、しかし士道はなんとも言えない表情のまま押し黙り。そうして二人の間になぜか微妙な空気が流れる中──しかし直後にその空気を打ち破る存在が現れた。


「──? なんか、騒がしい?」


 海の家の外。そこから先ほどまで聞こえてきたグノーシスの面々が遊ぶ声とは異なる声が、有素の耳に届く。


 それに気づいて立ち上がった有素と士道。そのまま二人は海の家の建物を出て砂浜の方へ。


 海水浴場に面した道路の方。そこに止める形で黒塗りの公用車が停車しており、そこから出てきたのはスーツ姿の男性だ。


 グノーシスの面々と対面し、なにか言葉を交わしているその男性の姿を見て、有素は目を丸くする。その男性には有素もよく見覚えがあった。なぜならその男性は──


「お父さん? どうしてここに」


 石動源蔵。有素の父であり、現在ではただ一人の家族だ。


 そんな父が海水浴場に現れたことに慌てて有素はそちらへと駆け寄っていく。はたして父も有素の存在に気づき、娘である彼女の方へとそのいかめつらしい視線を向けてきた。


「有素か。いや、グノーシスの方々に挨拶を申し上げようと思って、来た次第だ。楽しんでいるところに割り込んですまないな」


「あ。いや、それはいいんだけど──」


 町議となって以来、ずっと忙しく駆けずり回っていて家でもほとんど顔を合わせない父が現れたことに、娘としてどう対応していいかわからず戸惑う有素。


 一方の父である源蔵もまた何かを言っていいのか戸惑っているようで、親子の間に気まずいぐらい硬い沈黙が訪れる。


 だが、それで悩む必要は有素にも源蔵にもなかった。


 その前に二人へ呼びかける声があったからだ。


「どもども。あなたが有素さんのお父君ですか」


 気まずい空気をぶち壊すほど軽い声音で話しかけてきたのは士道である。


 突然現れて源蔵に気安い態度で話しかける士道の姿に、有素とグノーシスの面々はギョッとした眼差しを士道へ向ける一方源蔵はさすが町議というべきか、その目を細める以上の反応は見せずに、士道の方へ向き直る。


「これはどうも、はじめまして。石動源蔵だ。君は確か黒輝士道君だね。元七星剣の──」


「──ええ。でもいまはしがないアマチュア冒険者ですよ。ああ、それと、一つ訂正を」


 源蔵の言葉を途中で遮り、そう呟いた士道に、源蔵はそこで初めて眉根を寄せるという形で表情の変化を見せる。


 そんな源蔵へ士道が告げたのはこのような言葉だ。


「はじめまして、ではありませんよ。まあ、直接顔を合わせるのはこれが初めてですが、俺とあなたがこうやって言葉を交わすのはこれが最初ではありません」


「……? それはどういう──」


 さすがの源蔵も怪訝な眼差しを向ける中、はたして士道はこう告げてきた。



「お久しぶりですね、さん。名無しの攻撃手が会いに来ましたよ」



 その言葉に源蔵は大きく目を見開く。

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