『彼方 カナタ』

朧塚

はるか彼方。

 僕が彼女に興味を抱いたのは春先の事だったと思う。

 新学期が始まって、新しいクラスになる。


 新しい顔ぶれだ。

 マンモス校でクラスが十近くもあるので、一年の時の面子とはほとんど被っていなかった。


 その中で何処か馴染めなさそうな顔をしていたのがユリカだった。


「なあ。今日、一緒に帰らない?」

 放課後、僕は何となく、彼女にそう話し掛けてみた。

 ユリカは少し恥ずかしそうな顔をしながら頷いた。

 それから、ユリカとはよく帰るようになっていた。

 一年生の頃はどうだったか。

 そもそも、なんでこの高校に入ったのか。

 来年、受験だが将来は何処に行く事を志望しているのか。

 今、入っている部活は楽しいのか。友達とのLINEは楽しいか。親との関係は……。好きな漫画やTV番組、音楽は……。そんな高校生らしい他愛も無い事ばかり話していた。


「リョウヤ君の何か大きな秘密とか聞かせてくれないかな?」

 ユリカはそんな事を無邪気に訊ねる。

「秘密って程でも無いけど…………」

 僕は少し首をひねりながら、昔の事を想い出す。


「僕、幼稚園くらいの頃、交通事故にあったんだよね」

 僕はその時の記憶を思い出す。

 

 そう。幼い頃、僕は交通事故にあった。

 小学生に上がる前の事だったと思う。

 友人とはしゃぎ回っていて、車に轢かれた。

 あの時の死の恐怖は今でも覚えている。


 何とか無事、手術を終えて僕は小学校に通う事になった。

 ただ、大手術だった為に、あの事故以来、僕は自分がすでに生きていなくて、

 もうとっくに死んでいるのに、歩く死人みたいになっているんじゃないかと。

 友達と遊んでいる時も塾に通っている時も、授業中にふと黒板を見ている時も、

 どうしても、その空想に支配される事が多いのだ。

 それが実に十年くらいは続いている。

 ただ、それを友達に言っても、鼻で笑われる。

 僕は、あの日以来、自分が死体として生きているような気がするのだと……。


「なに、それ。じゃあ、今のリョウヤ君はゾンビって事?」

「みたいなものかなあ?」

そんな空想、というか、強迫的な妄想が止まらないのだ。

「うん…………。でも、辛いんだね……?」

「…………うん」

 ユリカはまるで自分の事のように真剣に聞いてくれた。

 もしかすると、事故があった事がある種の大きなトラウマになっているのかもしれない。

 僕は今でも、酷い離人感に襲われて、自分の身体を幽体離脱した時のように上から見下ろしているような感覚に襲われるのだ。


 それから夏になった。

 例に見ない台風が迫ってきた。

 大雨と強風が続いていた。


 学校が休みになったのだが、休みの知らせは先生達の不手際で休校の知らせが遅れて何名か投稿している生徒もいたらしい。ユリカにLINEを送ると。

<あ。やっぱり、学校休みなんだ。一応、向かっていた>

 と返ってきた。

 どうやら、ユリカは先生達の不手際の犠牲者になった一人みたいだった。

 強風で傘が壊れて、ずぶ濡れになりながら登校途中だったらしい。


<普通、休みだろ。ほんと連絡遅れってなんだよ。ユリカの他にも間違えて投稿している生徒いるらしいぜ>

<あははっ。私、おっちょこちょいだね>

<最近、使わないよ、おっちょこちょいなんて。分からないけど死語? でも、どう考えても先生達がドジ踏んでるだろ。ユリカは悪くないでしょ>

<そか。じゃあ、帰らないと。そうだ、今から、リョウヤ君の家に行っていい? 私の家より近いし>

<いいけど。……うーん、親が許したらね>

<じゃあ、行くね>

<まあ。台風が収まるまでいいかな>


 学校の帰り道、僕の家に向かうには、ユリカは山道を通っていかなければならない。

 予感のようなものはあった。

 ラジオで山道に大きな土砂崩れがあったと聞かされた。

 僕はLINEでユリカの安否を確認した。

 今日は、ユリカからLINEが返ってくる事は無かった…………。


 次の日の事だった。

 台風が過ぎ去って、空は晴れていた。

 僕が教室に着くと、ユリカはいた。


「ごめん。リョウヤ、スマホ、壊れちゃったみたいなんだよね」

「なんだよ。心配して損した」

「ごめんごめん、今週中には新しいの親が買ってくれるらしいからさ」


 それから、夏休みに入って、ユリカは頻繁に僕をデートに誘うようになった。

 一緒に、プールに行ったり、遊園地に行ったりした。

 プールで一緒に泳いだ。

「こんな日がいつまでも続くといいね」

 ユリカは笑っていた。

 デートの帰り道、ユリカは積極的に僕の手を握り締めた。

 ユリカの手は、氷のように冷たかった。

 何処となく、ユリカの身体から線香の香りのようなものが漂ってきていた。

 それから、何か生ごみが腐ったような臭いもした。

 ユリカは笑っていた。

 僕はユリカの異変に気付かないようにした。


 夏休みが終わり、学校の行き帰りの山道で女子高生の死体が見つかった。

 土砂崩れにあった場所から異臭がしており、女子高生の腐乱死体が見つかったらしい。

 ユリカだった…………。

 死後、一ヵ月は経過していたらしい。

 僕と一緒にデートをしていたユリカは何者なのだろうか。

 そして、今、僕とLINEをしているユリカは何者だろうか…………。


 8月18日は僕の誕生日だった。

 偶然にも、ユリカとは一日違いで、ユリカの誕生日は8月19日だった。

 19日に、お揃いの指輪を買った。

 二人で、ずっと一緒にいる約束をした。高校を卒業した後も、ずっとずっと…………。


<ねえ。リョウヤの家、今、行っていいかな? そういえば、今日、夜中まで両親は留守なんなんだよね?>

 ユリカはそんな事をLINEで送ってくる。

 僕は少し考える。

 小学生を迎える前から、僕は死人のように暮らしていた。

 だから、ずっと自分が生きていないのではないかという感覚に襲われていた。


 そう。僕はユリカとずっと一緒にいたい。

 僕は家に来ていい、とLINEを返す。

 辺りはすっかり日が暮れていた。

 三十分後、玄関のチャイムが鳴っていた。


 死臭が漂ってくる…………。

 僕は立ち上がり、薬指に指輪をはめると、ユリカを招き入れる事にした…………。


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『彼方 カナタ』 朧塚 @oboroduka

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