第23話 断末魔

「警察ですか?此方、名勝の滝の喫茶店〇〇です。


 昨日から駐車場に一台の車が止まったままなんですが…」


「分かりました…、今から向かいます。」


 通報を受けた警察官は慣れた様子で同僚にこう言った。


「滝で自殺だ!」


「了解、仏さんは浮かんでるのか?」


「いや、それは分からない。」


「消防にレスキューも依頼しておくかな?」


「そうしてくれ…、底に沈んだ仏さんは勘弁して欲しいがな…」


『名勝の滝』は自殺の名所としても有名であった。


 滝の高さは悠に50mはあり、滝壺の深さも30mはある。


 滝から爆声と共に落ちる水量は九州屈指であり、その水流に巻き込まれると水底まで待って行かれてしまう。


 凄まじい速度の潜水により、水圧は倍化し、人体の骨は砕け、眼球は飛び出し、非常に傷んだ死体となる。


 死体に慣れている警察・消防も真面に見ることができない程の様相となる。


 まさに断末魔の叫びの表情、悪魔とはこういう顔かと思いたくなるような…、酷い水死体となる。


 滝への小径にイエローテープが貼られた。


「おいおい、浮かんでないぞ…」


「参った…、覚悟を決めないとな…」


 消防のレスキュー隊員は恐る恐る潜水の準備に掛かった。


 1人がフックの付いたロープを持ち、1人が錘の付いたブルーシートを持ち、潜って行った。


 水深15m辺りの棚にも死体は見当たらなかった。


 レスキュー隊員は最悪の事態を覚悟し、底へと潜って行った。


 滝壺と岩壁の境辺りに白い水流が見てとれる。


 これが爆声と共に高さ50mの頂上から落下して来る何万トンもの水の塊の流れであった。


 レスキュー隊らは、その水流に飲み込まれないよう底へと向かった。


 先頭を潜る隊員が底を指差した。


 示す先には、俯せ状態の人体が見えた。


 隊員らは死体に近寄り、ブルーシートで包もうとした。


 その時、


 僅かな水流の変化により死体が反転した。


「うっ!」


 死体の顔を真面に見た隊員が空気を飲み込んでしまい、一瞬、捥がくように手脚をバタつかせた。


 もう1人の隊員が捥がく隊員に近づいて、マスクの空気圧を調整し、何とか落ち着かせた。


 2人の隊員は一呼吸を置き、互いに目を瞑り、死体にブルーシートを被せ、手探りでロープを巻き、フックを引っ張りながら、急ぐように水面を目指した。


 水面から発射する弾丸のように飛び上がった隊員は、慌てて、マスクを外し、


「酷いぞ!これは、酷いぞ!」と


 滝壺で待機している警察官、検視官に警戒を呼びかけた。


 水死体処理に慣れたレスキュー隊員が初めて動揺した水死体であった。


 警察官達の表情は見る見るうちに険しく曇って行った。


 レスキュー隊員からロープを手渡された警察官らは、ブルーシートのロープが解けないように慎重に引っ張り、ゆっくりと滝壺から引き上げた。


 そして、ブルーシートのロープが解かれ、職務上、最初に水死体を見る羽目になる検視官が震える手でシートを捲った。


「うぐっ!」と検視官が思わず、顔を背けて、嘔吐した。


 周りを囲む警察官らも、慌ててハンカチで口を塞いだ。


「これは酷い…、こんなの初めてだ…」と


 検視官が口を袖で拭きながら、改めて水死体を覗き込んだ。


 悍まし過ぎる様相


 眼球は飛び出し、目は眼窩底のみとなり、顎が砕けていた。


 首の骨は折れて頭は右90度に傾いている。


 滝壺から上がったレスキュー隊員は次に自分らが行う職務を思い出し、嫌を無しに水死体へと近づき、


「水を出します。」と言い、目を瞑り、栄養失調でガスが溜まり膨れたような腹を手押した。


「うわぁ~、何だ!」と腹を押したレスキュー隊員が死体から飛び退いた。


「血だ!血を吐きやがった!」と警察官が叫んだ!


「ゴボゴボ、ゴボッー」と死体の口が真っ赤な水を噴射したのだ。


 顎骨が砕けた死体の口は顔の半分くらいに開口し、ポンプのように血と水を吐き出した。


 噴射が止んだ。


「おい!見ろ!」と警察官がまたも叫んだ!


 開口した口から半分に千切れかかった舌が現れた。


「舌が千切れて失血したのか…」とレスキュー隊員が呟いた。


「違うぞ。見てみろ!」と検視官が舌を触った。


 飛び出た舌の3箇所に歯で噛んだ傷跡が浮かび上がった。


「この人、舌を噛もうとしたのか…」と検視官がこれ以上ない青褪めた表情で呟いた。


「舌を噛む…」


「そうだよ…、簡単に意識が飛ばなかったんだよ…、苦しみ踠いて、踠いて、意識的に舌を噛んだんだよ…


 水圧で出血しないのに…


 3回も噛んで…、いや、何回も噛んだんだ…、なかなか死ねずに何回も…」


 この壮絶な傷ましい水死体を見守る全員が声を失い、生唾を飲み込んだ。


 女は死のうと入水し、男の投げ捨てたネックレスの方、そう、水流の激しい岩壁の方に潜って行った。


 潜って直ぐに、何万トンもの水流に押しつぶされた。


 骨は砕け、眼球は飛び出た。


 女は余りの激痛に意識を失いかけた。


 そう、そのまま絶命すれば良かったのだ…


 女は不幸にも見えた。


 飛び出た眼球が底の光を捉えた。


「ネックレス…」


 女の最期の意識が絶命を超えて蘇った。


 激痛、苦悶と共に…


 女は凄まじい水流により底地に叩きつけられた。


「ネックレス…」


 女は激痛、苦悶の中でもネックレスを探した。


 しかし、想像を絶する苦しみに踠き踠き、耐えかねて舌を噛む…、何回も…、何回も…


 それでも生きていた…


 想像を絶する苦しみの中で暫く生きていたのだ…


「おい、何か握っているぞ!」


「死後硬直で指が解かないぞ!」


「ネックレス…」


「解けた!」


「十字架…」


 悍ましい水死体の掌の上で、濡れた十字架が輝いていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る