第24話 ヒトモドキに、人を否定する権利はあるか?

 結局。宿題なんて欠片もせずに、マリカのタイマンに割り込んで四人でチーム戦とか色々していた。

 私が一番弱かった。友達いねぇから対戦ゲームあんまやらねぇんだわ(特にパーティゲーム)。

 で、飯食って風呂に入って。みんなが寝静まるころに、それでも私はソファに座ったぽけーとしていた。


 幸せの意味。わからない。わかったからどうだってんだ。

 愛する意味も、愛される意味も、何もわからない。私は、人生のうちでそういうものを経験しない人間だと思ってきたから。

 無縁だと思ってきたから。


 子供の頃。ずっと、ずっと、ずっと、ずっと前のこと。お母さんが。今の戸籍上のそれじゃなくて、私のことを多分愛してくれていた……のか、たんこぶだと思っていたのか。命しか残してくれなかった人との記憶。

 帰省で、おばあちゃんに言われたこと。あるいは、尋ねたことがあった。


「お前さんの名前はな、多くの人と巡り会って、それを尊いと思えるようにって祈りがあるんじゃ」


 もう、どこにあるかもわからない実家。生きてるかどうかも知らない血縁。

 そもそも、相手も母が死んだことを知らない。……知らされていないはずがない。そうか、もう死んでるのかもしれない。のか。


「お前さんの名前をな、漢字で書くとこう」

「……緑だ」

「違う。お前さん、もう難しい漢字が読めるんじゃない。これはゆかり。人との巡り合わせは、どうすることもできんもんじゃ」


 今思い出しても、年寄りの説教でしかない。良縁奇縁。巡り合わせ。

 知ったことか。私の名前はゆかり。縁じゃない。平仮名で戸籍として登録されているのだ。漢字を当てはめるなら、紫でも。由香里でも。なんでもいいんだ。本当の意味なんて。知らない。私がどう生きるかなんて、名前一つで決められてたまるか。

 公的文書に記されるものだけが正しい訳じゃない。それは知ってる。

 でも、私は。私の巡り合わせを。尊いなんて思えない。素敵だなんて思わない。


 もし私の名前を私が漢字で書くなら……蟻地獄ゆかりだ。キラキラネーム。否。ボロボロネーム。なんて。他人を引き摺り落とし、私のように不幸にする。

 血縁は死に絶え、家族あの家には異物が混じり、あさひは苦しんだ。


 自分を。他人を。本当の意味で大切にできる日なんてこない。

 見下しているから。自尊心が高いから。そのくせ、自分が嫌いだから。傷つけたくないから。傷つきたくないから。

 友達合宿。私の前に降りてきた、蜘蛛の糸。

 天運。あるいは、慈悲だろうか。

 大事にするってなんだ。執着することか?


 わからない。

 その人を大事にするなら。私なんか、死んだほうがいいんだ。

 その事実に、嫌な心臓の跳ね方をした。


「誰からも、私は……」

「湯冷めするよ、さっさと寝なよ」


 私は、後ろからかかった声に返事をした。


「運転手さん」

「ここのオーナーだ。小間使い扱いするなよ、バカ」


 改めて見ると、この人の目は死んでいる。何があったのだろうか。


「……悪いガキにもプレゼントだ。ほれ、ハーゲン」

「グリーンティーが良いです」

「品切れだ」


 バニラ味。ハーゲンはこれが一番うまいよ。しんぷるいずべすと。

 スプーンで無理やりほじくって、口に入れる。冷たくて、心地のいい甘さが広がる。


「……ま、夜更かししすぎるとお昼にみんなと遊べないよ……いい思い出を作りに来たんだろ?」

「はい。ありがとうございます、運転手さん」


 私の言葉に、失礼なやつと呟きながら。オーナーは戻って行った。何処へ? 彼女の寝室へ。

 アイスを食べ終わった頃に、後ろから物音。

 ……まつりであった。


「まだ起きてたのかよ」


 にがりきった顔。手に持っているのはたばこの箱。……なるほど。


「私は何も見てません。もう寝るし……」

「程々にしろよ、夜更かし」

「お互い様がすぎる。……ん、公園でタバコ吸ってなかったよな」

「補導されたくはないからな」

「なるへそ」


 どうせ、そんなことだろうと思った。もう寝るし、と言いながら。私は立ち上がれなくて。まつりが、となりに座った。


「いいもん食べてるな」

「いさりさんのお姉さんが、くれた」

「あっそ。いさりのこと、いつまでさん付けするつもりだよ」


 そんなことを呟きながら、まつりは煙草に火をつける。臭い。


「最悪が過ぎる」

「カリカリすんなよ」

「カリカリもする」

「これからだろ、合宿は」


 だから、カリカリするのだ。これから、楽しいから。幸せな時間がやってくるから。そして、そんな時間は一瞬だから。

 幸福の味を知っちゃったら、不幸ではいられない。


 私のような人間は根本的に幸せになれない。罪悪感があるから。後ろめたさがあるから。誰に言おうと理解されない、疎外感があるから。

 分かるか? いてもいなくても同じだから。どこに行っても添え物以下。――ホントは、ここにだって三人で来た方がよっぽど楽しめたんじゃないの? 私は、おまけで、まぁ誘ってやるかってお情けで誘われ続けたんだって感情。分かるか? そんなわけないことくらい知ってる。でも、私は自分の価値をマイナスでしか見積もれない。


 だから、人に求められたり。プラスに思われたり。感謝されたり。尊敬されたりすると。しんどくなるんだよ。そんなもんじゃないのに。もっと弱いのに。すごくないのにって。

 まつりにも、きっと、あさひにもわかんないだろ。


「私は、さ」


 震える声で。今さら何に怯えているのか。


「一生、生まれなければよかったって思いながら。生きていくのかな」


 まつりは、煙を吸い込む。煙草の先が、赤くテールランプみたいに光る。


「私みたいな、落第ゴミ人間が、まともな人間の想いに答えないなんてこと、許されていいのかな? 私は、私のことを、殺したいんだ」


 まつりは、煙を吐き出した。白いもくもくが、視界をぼやけさせる。

 これは涙か。


「自分を責めないで生きるのって、難しいよな」


 まつりのことばは、ありきたりだった。


「分かる、とは言いにくいけど。自分が嫌いで、自分を誰よりも自分が否定してるから。分厚い分厚いプライドで、自分の心を隠したくなるっつーか」


 不良じみた見た目は、私にとっては鎧なのかもな。なんて。まつりは笑った。


「でもさ。そうだな……どうしても、死にたいと思うなら。こんな世なんてって思うなら。友達合宿の後。一緒に逃げよう」

「逃げるって、どこまで?」


 まつりは、へらりと笑った。


「行けるところまで行って、それで終わらせよう」


 まつりは――同類だった。まだ、自分を許せなかったらしい。いさりさんにあったこと。自分に力がなかったこと。その後悔を、まだ引きずっているんだ。きっと。

 まつりに、そんなことをしてもらう権利は私にはない。でも、権利も資格もないから。

 おもいやりに、感謝することにした。


「ありがと」

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