インセクトドミネーション~最強魔法使い、虫に支配された世界にやって来る~
SaiKa
第1話 長い旅のエピローグ1
子供の頃の夢は「虫博士」だった。
今の僕からすればイマイチピンと来ない曖昧な夢だ。
それでも、夢への憧れと鼓動の高鳴りは昨日のことのように鮮明だ。
だが、夢など所詮は
抽象的で、曖昧で、現実味の欠片もない。
幼い頃の夢など大人になれば捨てた方が生きやすい。
なにより面倒だ。
周囲と合わせる方がずっと楽で、平凡という鎖に繋がれて生きる代わりに自由を手に入れる。
出る杭なんてものは迷惑だし、個性があるとそれだけで苦労する。
それでも夢を見ていられる奴なんて、運の良い贅沢な奴だけだ。
たとえそれがたった一つの儚いものだったとしても……
でも、もし……
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薄暗い場所であるが、この広い空間を支えるように生えるクリスタルの結晶は見たことが無い者であれば誰もが魅了されてしまうだろう。
道を示すように並べられ、音を出さずに燃える白い炎の
だが、人間の通る道としては不格好で形が整っておらず、広くて大雑把と言わざるおえない。地面にも波がある。微かに見える天井からは水の雫の一つがこぼれ落ち、地面にある水たまりへ落ちる小さな音が静かな洞窟に響き渡る。
聞こえるのは小さな水滴の音、そして僕たちの足音だけだった。
洞窟ということを考慮すれば何もおかしな点はない。ただ、この先にあるエリアと比較するとその違いにギャップを受けるだけだ。
僕らは指し示されるように並べられた
幸運なことに、ここはモンスターが出現しない。けれど、パーティーの五人は既に癖になりつつある陣形を崩すことは無かった。
「あ〜思い出してムカついてきたー。だいたいHPゲージ五本とか舐めてるでしょ? 頭悪すぎ」
そう嘆くのは槍のような錫杖にブロンドの髪をなびかせる少女だ。彼女の名前は『カンナちゃんのやわらか生足で膝枕してもらってる途中に惰眠を貪れる生活を送りたい』という。通称、惰眠ちゃんだ。
もう一度説明しておこう。彼女の名前は『カンナちゃんのやわらか生足で膝枕してもらってる途中に惰眠を貪れる生活を送りたい』という。通称、惰眠ちゃんだ。
その強烈なネーミングからは想像もできない戦闘スタイルと性格の明るさに目にした誰もがツッコミを入れたくなる少女である。
なにより純信仰職であり、パーティーではヒーラーのポジションに収まっているのが面白い。
彼女の装備している衣装は左右で白と黒に分かれ、正面はドス黒い赤色をしているワンピースのようなものを着ており、長いスカートは太ももの途中から分かれ、サイハイソックスに隠れた太ももがチラリと見える。
端的に言ってしまえば、よくあるファンタジー世界のヒーラーのような服装だ。だが、カラーのせいでヒーラーっぽさが減少している。いや、無いと言える。
「それに、ムーブもドラゴンじゃなくて虫レベルのウザさ。セミかよ! なんでドラゴンが死んだふりとかしてんの? やっとの思いであそこまで行ったのに初見殺しブレスで殺られるとか誰も思わんから。さすがにこればっかりは私、許せません」
惰眠ちゃんの表情が少し強張り、ジトっとした目つきになった。
「わかる。よくわかる」
僕――クロヌシが数回頷くと、惰眠ちゃんはトコトコとこちらに近づいた。
「ゴホン、ゴホン。えー、この事件について、専門家のクロヌシ博士はどう思われますか?」
惰眠ちゃんは手に持った錫杖をマイクのようにしてクロヌシの方へと近づけた。
「え~そうですねー。運営の作り込みが浅いのか意図しているのか、前者でしたら悲しいですね」
そう、確かに不自然な点がある。運営が何も考えていないという可能性も存在するが、いつも設定を細かく練っている運営だ。考えて無いなんてことは無いと思いたい。
「セミにクワガタ、カエルにネズミ…死んだふりをする生き物は虫以外にも沢山いるけど、結局どれも食べられる側なんだよね。そう言う点で見ると生態系の頂点にいるドラゴンが死んだふりなんて騙し手を使うのは違和感が凄い。アメゾンレビュー星イチ案件です」
というのも、この相手は、VRMMO(仮想現実大規模多人数同時参加型オンラインゲーム)において、屈指の人気を誇っていた〈レクイエム〉のアップデートで追加ステージされたボスであり、ストーリーの裏ボスとされているドラゴンたちの攻略である。
このステージは対人要素と並ぶ攻略のエンドコンテンツとして追加されたが、リリースされてから2年経った今でも未だに完全攻略されていないというエンドコンテンツに相応しいバカボスであり、誰もが匙を投げたボスでもある。だから、実のところ今のボスが本当に最後のボスなのか、はっきりと確定していない。が、これまでの傾向、アップデート間隔、アップデート時の容量からしてこれが、このボスが最後という説が最も現実的であり、濃厚だ。確定事項と言ってもなんら問題はないだろう。
そして、運営は「これが最後のアップデート」と称していたため、これ以上の追加ステージは望めない。
つまり今苦戦しているボスが正真正銘、〈レクイエム〉最後のボスということになる。
このボスは〈必滅竜帝アダム&創世竜后イヴ〉という二頭のドラゴンの同時討伐だ。それぞれが二本のHPゲージを持っており、三つの形態がある。
一つ目が片方のHPゲージが一本削られた状態。
二つ目が両方のHPゲージが一本ずつ削られた状態。
三つ目が両方のHPゲージが二本ずつ削られた状態。
前回の戦闘ではそれぞれ二本ずつのHPゲージを削りきり、パーティーメンバー全員が勝った思ったが、突然のHPゲージの5本目が出現し、アダム&イヴが復活、その後の戦闘で急に倒れたかと思ったら奇襲ブレスで後衛の惰眠ちゃん、クロヌシの二人がやられ戦線が崩壊、そして流れるように敗北した。
今まで、どんなボスでもHPゲージは二本、あっても三本だったのにいきなり五本という異常な増え方だったため誰もが不意を突かれた。その上、死んだふりだ。惰眠ちゃんが怒るのも無理はない。
「なるほど、なるほど…生態系の頂点にいるドラゴンが死んだふりするってのはおかしいと…」
惰眠ちゃんはコクコクと頷き、再びクロヌシを見つめた。
「って違ーう!!」
口を大きく開き、少し前のめりになっている惰眠ちゃんにクロヌシは怒られ、原因を考えるより先に別の考えが頭を支配する。
(あーだめだ、怒ってるもの可愛いすぎる…)
「ドラゴンの生態の話じゃなくて、最後のボスなのに死んだふりしてこっちにブレス吐いて、その上蘇生に合わせて起き攻めブレスとか…ボスとしてどうなのってことを聞きたかったの!」
惰眠ちゃんは少し早口でクロヌシを真っ直ぐと見る。
「え? ああ、そっち? 僕が信仰職と対人するとき、最速自己蘇生読みの起き攻めは結構やるからねー。けど、これに限っては惰眠ちゃんの方が詳しいでしょ?」
専門家がどうかとか言うからついつい生態的なことを答えてしまったが、彼女の言う専門家とは
僕は魔術系統の〈闇術師〉という信仰職を取得しており、その名の通り闇魔術を得意している。
闇魔術は魔術を扱う〈理解力〉、奇跡を扱う〈信仰〉の両方を必要とするため信仰職に分類されている。そしてクロヌシは対人もそこそこやっていた。
「まぁ、そうなんだけどねー」
「ここに来てわざわざ対人に近い要素まで入れて来たってのは普通のボス攻略じゃないってことを伝えたいんだろうね。流石にやり過ぎな感じはするけど」
そうこれはただの事故ではなかった。明らかにボスはその起き攻めを狙ってやっていた。
基本的に自己蘇生が完了するまではダメージを受けず、モンスターからも認知されない。そして蘇生終了後に発見されるということが普通であり起き攻めを受けることはまずない。
だが例外もある。それはパーティー戦での大規模範囲攻撃や流れ弾に当たるといったケースだ。運悪く蘇生タイミングと噛み合ってしまうと自己蘇生した瞬間に即死するということが
しかし、今のボスは自己蘇生している惰眠ちゃんの復活タイミングを明らかに見計らってブレスを吐いていたのだ。けっして偶然などではない。
「惰眠ちゃん、あの死んだふりモーションってただの演出じゃねーのか?」
パーティーの先頭から質問が飛んでくる。ガントレットを装備したオールバック男、『アビス』だ。
彼は格闘家系統で〈衛生兵〉という職業を取得している。パーティー内に二人いる前衛の一人で、いわゆるゾンビタンクだ。一見強そうには見えない職業構成であるが、これがパーティーと上手く噛み合っている。そしてアビスは対人の大型大会で1位を取ったこともある指折りの実力者だ。
「いや、違うに決まってんでしょう? わざわざ五本目のHPゲージだけ見えない仕様にしてんだから。そこまでフェイントかもって警戒できるのはアンタぐらいでしょうよ」
アビスの質問に返したのはもう一人のアタッカーである『すうぃーつ』だ。彼女は暗殺者系統の特殊職業を取得しており、〈レクイエム〉内に数人しか存在しないLv1000のプレイヤーである。通常時DPSならパーティー内で一位の特殊超火力アタッカーだ。しかし、そのHPが低い――が、回避能力が非常に高く後衛のサポートがさえあれば十二分に前衛ができる。
「まぁ、すうぃーつ、そうアビスを責めてやるな。真に悪いのは、最大にして、最強、最悪の敵でありながら互いに長き時間を共にした
後衛と前衛の間にいる男、『アクション大魔王』がすうぃーつをなだめる。皆からはアクさんという愛称で親しまれている。
彼はパーティーの切り札であり、最強兵器であり、最凶兵器だ。そしてロールプレイガチ勢という多くの二つ名を持ったパーティー仲裁役である。
ロールプレイを極めていることは装備からも読み取れる。今は何気ないジャケット姿というファンタジー世界において異端のような格好をしている人物であるが、戦闘時は派手にカラーリングされたヘルメットとスーツを着用し、まるで子供向けのヒーローのような格好へと変身する。とは言っても名ばかりの変身で能力値は変化せず、見た目だけ変えているのだが。
「あっ。そんなに強く言ったつもりはなかったの。ごめんね」
すうぃーつはパーティー中央にいるアクさんとアビスに向かって両手を合わせてウィンクする。
「良いぜ。気にしてねぇよ」
アビスがそう言うと惰眠ちゃんが明るい声で口を挟む。
「アクさんって細かいところまで気を使ってるよね。一つの大失敗の裏には二十九個の小さい失敗があり、その裏には三百の異常がある。って前にも言ってたし、さすが最年長! ちっちゃい不安要素を刈り取るのが早い!」
惰眠ちゃんはダメなところから良かったところへと皆の意識を誘導する。
「ああ、ハインリッヒの法則だね」
(やっぱ惰眠ちゃんはすごいなー。僕は考えもしてなかった)
「それにしても、アクさんよく
「ふふっ……まぁ老人など、皆そんなものさ」
アビスのなんだかバカっぽい一言を妙にクールに、格好良くアクション大魔王は拾う。
「アクさんが老人ならアビスも爺さん手前じゃないの!」
すうぃーつがニヤつき楽しそうにアビスをいじる。
「いや、違う」
驚くほどに否定が早く、勢いがあった。
「勝手に老人認定すんな、俺はまだ普通に三十だぞ! せめておじさんにしといてくれ……」
少しだけ元気を失ったアビスは、ふと気づいたように下がりつつあった頭を上げた。
「あっ。てゆーか、お前だって一歳しか変わらねーじゃねーか。人のこと言えねーだろ! それに独身じゃねーか!」
アビスもすうぃーつへ攻撃を始め、すうぃーつは突かれたようにビクッとした。
「いや、ちょっーと! それは禁止カードでしょぉ!!」
「はーいそこまでだっ」
とうとうアクさんによる仲裁が入り二人の距離を物理的に離す。
「フフッ…ハハハハハ」
先程までちょっとのことに気を使って気分を害さないように、互いが全力のパフォーマンスを発揮できるようにと全員が全員に気を使って居たのに、それら全て無駄にするようなやり取りがあったことについつい笑いがこぼれてしまう。
パーティーの皆からもクロヌシの笑い声に連れられるように笑う声が聞こえてくる。
(やはり、皆と一緒に遊ぶ時間は楽しい。でも、これが終わったら目標は無くなる。それでも皆は〈レクイエム〉を続けてくれるのだろうか)
最年長のアクション大魔王と一番若いクロヌシ、惰眠ちゃんとの年齢差は親と子供程に離れている。アビスとすうぃーつはちょうどその間だ。
(初めて遊んだときは年の差なんて知りもしなかったし考えもしなかった。年齢が驚くほど離れていることを知った今ではネタにするかも知れない。だが意識はしない。だってパーティーの皆だけが僕にとって唯一の友人と言える存在なんだから。)
それから少し歩くと目的の場所に到着した。
「っと、到着だ」
アビスの声によりパーティー全体へ気合が入り皆が顔を引き締める。
一番最初に行動を起こしたのは、アクさんだ。アクさんは「変身!」と渋い掛け声を上げ、手につけた腕輪を天にかざす。その腕輪は輝きを放ち、アクション大魔王の体を包む。そしてヒーロースーツへの変身を終える。
普段であればロールプレイの一つとして見慣れた光景だ。何も思うところはない。
はじめの頃は見ているこっちが恥ずかしいとすら思った。
だが、今は違う。
皆で精一杯考え、沢山の努力の末に彼に託すこととなった作戦を考えると、今の彼はロールプレイの一環で演じているヒーローでは無く、本当のヒーローのようであり、最高にカッコいい。心からそう思った。
ここからの雰囲気は今までと一変し白と黒で構成されたモダン的な空間が広がっている。さっきまで洞窟を歩いていたとはとても思えない。言ってしまえばゲームであるからこそ許される異常な光景である。
目の前には真っ直ぐに並ぶ影のような階段があり、ピアノの鍵盤にある黒鍵のように強調されている。 その階段の終着点にはとても大きな扉があり、その大きさより与えられる威圧感に気圧されそうになる。階段を一つ上がるにつれてその威圧感はより大きなものとなる。
これほどの威圧感と特別さがある扉は〈レクイエム〉のどのボスにもなかったものだ。
この他にない独特で、奇妙で、只ならぬ空間と、デザインから漂う豪華さと悲壮感が本当にこれが最後のボスなんだと訴えかけてくる。
扉の前に到着したところで惰眠ちゃんが口を開く。
「皆、作戦覚えてる?」
作戦実行前、最後の確認を取るとパーティーの全員が顔を合わせてコクリと頷く。
そして扉の前で横に並び、一斉に扉へと触れる。
ガキーンと甲高い、何かが壊れたようなような音が聞こえ、ゆっくりと扉が動き始めた。
扉には開く音が無く、これが物理的なものでないことがわかる。
開き出した扉の隙間からは光が漏れる。その光は中心にいる惰眠ちゃんの体を最初に照らし、どんどん広がっていく。
扉が十分に開くと、中は昼のように明るく、障害物は何一つ無い。白いタイルで出来たような地面だが眩しくない、そしてどこまでも広く作られ先の見えない別次元のような空間が広がっている。
そこに存在するのはただ二つだけだ。
崩れていく光の鎖に繋がれた二頭のドラゴン。
全身を覆う真っ黒な鱗に青い模様がついたドラゴン『必滅竜帝アダム』と全身を覆う真っ白な鱗に赤い模様が入ったドラゴン『創世竜后イヴ』、その二頭だけであった。
「よし、それじゃあ終わらせに行こうか。この
「おうよ」「そうだね」「おっけぇー」「了解!」
惰眠ちゃんの言葉に裏で打ち合わせたかのように同じタイミングで返事を返し扉の中へと一斉に歩き出した。
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「惰眠ちゃん! まだなの!!? あとちょっとでスキルが切れちゃうぅー!」
そう叫んだのは『創世竜后イヴ』の前衛を担当しているすうぃーつであった。
すうぃーつは〈血の支配者〉という〈神秘〉ステータスの補正が高い特殊職であり、〈出血〉という状態異常特化の特殊アタッカーだ。
〈出血〉は蓄積値が一定に達すると大ダメージを与えることができる。しかも、状態異常の中で最小の蓄積値で発生できるという。かなり強力な状態異常である。その状態異常を超頻度で発生させることができる。その代償にすうぃーつは物理攻撃力が前衛としてはかなり低い部類に入る。
だが、物理攻撃への耐性値が極端に高いイヴへと高いダメージを与え続けられる唯一の前衛と言って良い。
そんな状態異常の回転率により高いDPSを所有しているすうぃーつでさえイヴの削ったHPの維持をするのがやっとだ。
これはイヴが常時発動させている回復の奇跡が原因だ。
この奇跡のせいで数多のパーティーが攻略を断念したのだ。
ドラゴン二頭同時攻略が難しいというと、強力なドラゴン二頭の連続攻撃や、コンビネーションプレイによって一方的に殴られ、攻撃や回復のスキが無いことが難しくなる原因だ――と誰もが思うだろう。しかし、それは半分正解で半分間違いだ。
もちろん二頭それぞれ単体でも脅威的な能力を持っており、ゲーム内での最高難易度なことに間違いは無い。だが、今挙げた原因だけではとても攻略不可能になることはないだろう。このボスの真の恐ろしさは別の場所にある。
それは、脅威の回復力である。
イヴの発動する奇跡により二頭両方にとんでもない回復力が継続的に付与される。術者であるイヴはより強力な回復力を持つ上、HPが多く、耐性値も高いため抜群の防御力がある。
この圧倒的な回復能力を前にすれば並の火力のパーティーではHPを削ることもできない。〈レクイエム〉では職業〈大司教〉を軸とした回復力と耐久力における持久戦で勝つパーティーが主流だ。
というのも高難易度ボスになるほど攻略が安定するのだ。
耐久と聞くとそれだけでマイナスなイメージを持つ人もいるだろうが別に退屈なものではない。耐久といえどパーティーの力とボス対策を上手く組み合わせて、意外にも緊張感のある戦いを繰り広げるからだ。リアルタイムで見ていても面白い。
しかし、今回のボスではそんな戦術は通用しない。
今まで回復を使用してくるボスは一定数存在した。だが、これほど桁違いの回復力を持ったボスは存在しなかった。
そうなると、火力が足りないから耐久の代わりに火力を上げるという考えに至るだろう。しかし、アダムという別の壁が立ちはだかる。
アダムは火力が高く、とにかく攻撃にスキが無い。イヴを倒す為に耐久力を下げれば、アダムの攻撃によって破壊され、アダムを倒そうとするには耐久をしなくては勝てないという馬鹿げた戦いだ。だが、超火力でアダムを瞬殺してから火力の低いイヴを相手にすればいいと考える人もいることだろう。
しかし、その淡い希望も打ち砕かれる。そう、このボスは二頭を同時に倒さなくてはいけないボスなのである。片方が先に倒れると、もう片方が蘇生の奇跡を使って生き返らせるのだ。
それに加えて合計のHPゲージ五本だ。ふざけてる。
不可能な攻略だった。だが、それを可能にし、最後の五本目のHPゲージを削り切ることができる。
惰眠ちゃんの考えた、究極の人間性能頼みで、ゴリ押しのこのパーティにしかできない作戦があれば。
――と言いたいところだが、作戦は今ちょうど崩壊の危機にある。
「ちょっと待って!! 後ちょっとなの! アビス!! もっと攻撃頻度上げて!」
惰眠ちゃんはたった一人でアダムの相手をしているアビスに叫び掛ける。
「やっ…そんな無茶な! 今だってだいぶそっちに回復送ってるだろ!」
アビスがアダムとの戦闘で手一杯な中、苦しそうに返事を返す。
殆どの攻撃を避けながら戦闘を繰り広げている姿から必死で前線を維持、ヘイト管理をしていることが伺えた。
「
惰眠ちゃんはパーティー全体に、事の重大さを伝える。
今アビスが戦闘しているアダムは一人で相手できるような相手ではない。だが、アビスの超人的な戦闘技術と職業〈衛生兵〉が噛み合っているため奇跡的に維持が出来ている。
〈衛生兵〉は攻撃系のスキルを殆ど持っていない代わりに、〈攻撃時回復付与〉というパッシブスキルを持っている。その名の通り、攻撃をすると回復ができる能力だ。攻撃手数が多いガントレットと噛み合っている職業だ。
そしてずっと攻撃をしていると必ず回復が溢れるときがやって来る。その溢れた回復分を惰眠ちゃんが奇跡によって吸収して、MPに変換しているのだ。
「惰眠ちゃん! これを受け取れ!!」
突然の声が聞こえ、発生源の方向を見ると何かが直線で飛んでくる。
イヴ側のサポートをしているアクション大魔王が何かを投げたようだ。
パシッという音を鳴らしてキャッチするとそれは透明な瓶に青い液体が入ったものだった。
「は!?
アクション大魔王から飛んできたのは〈魔力瓶〉という直接MP回復ができる唯一のアイテムである。
「この、テクをこの状況でこれ使うとか! アクさん
惰眠ちゃんは大きな声でアクション大魔王に称賛を送る。
魔力瓶は通常一人につき一個しか持てず、譲渡、売却が出来ないアイテムなのだが、特殊条件下でなら受け渡しが可能になる。
それは容量が最大の状態で半径15M以上離れたところから投げる、というものだ。その距離を超えると、一部アイテムを除き、飛び道具判定に変わる。という仕様を逆手に取った物なのだが、いわゆるバグ技である。
しかし、今ではゲームを盛り上げるために公式が出したテクニック集にも掲載されているものだ。
対人ゲームなどでは、たまたま見つかったバグ技がテクニックとして採用されることは珍しくない。この技もその類である。つまり、バランス崩壊を起こす程のバグではないのだ。
戦闘中の魔力瓶受け渡しは一方方向のみで何故か返すことが出来ない。返すには戦闘を終了させるしか方法は存在せず、戦闘終了後は自動で所有者の元に戻る。そして、回復量は魔力瓶の保有者のMP量に比例しているというのが消されなかった原因である。
つまり、アビスのような魔力ステータスの低い前衛が魔力瓶を渡したところでMPの回復量は極僅かで、無いのと変わらない。
一方でクロヌシのような魔力ステータスの高い職業が魔力瓶を渡してしまえばMP回復の手段が極度に限定されてしまい、戦闘が非常に困難になる。
MPを戦闘で使わないのに魔力ステータスを取っている人はいない、そのため超ニッチな技として使っている人が誰もいない幻の技だ。
それなのにアクション大魔王がこの技を使ったのは、魔力ステータスがパーティー内で最大であるのにも関わらず、今回に限ってはMP回復を必要としないという特殊な状況下にいるためだ。
「ナイス!!」
アクション大魔王のスーパープレイに思わずクロヌシも叫ばずにはいられなかった。
魔力瓶を受け取った惰眠ちゃんは魔力瓶に入った青い液体をグビッと飲み込む。
「よっしゃ! 準備おっけ!」
惰眠ちゃんが錫杖を地面にそっと横に置くと、黄金の魔法陣が発生した。
その中心で惰眠ちゃんはしゃがみ込み目を閉じ、両手を合わせて祈りを捧げる。
横に置かれた錫杖にはすぐに黒いオーラが集まり、明るい色をしていた錫杖が黒く染まる。その風景は神聖な職種としては明らかに異質なものであった。
「
瞬きをすると惰眠ちゃんの右目から黒い涙が頬を伝って地面に落ちる。
地面に落ちた黒い涙を中心として
その有様は白い画用紙にベッタリと絵の具を叩きつけたようであり、周囲が白い分一層際立って見える。
そして、黒い何かは細く、素早く一直線にアダムの方へと伸びていく。
「発動した! アビス、避けて!!」
頬に残った黒い涙を手で擦り落としながら立ち上がる。しかし黄金の魔法陣はその場に残り続ける。
「あいよ!」
惰眠ちゃんの声を聞いたアビスは、急いで飛び退き回避する。
アダムの真下まで来たそれは一気に地面を覆い、真上に存在するアダムに向かって無数の槍を生やして、アダムを貫通させる。
尖った矛先は
地面を覆う黒い何かからは青く美しいケシの花が咲いた。
槍に貫かれたアダムは声にならない叫びを上げるとピタリと動きを止めた。そして激減したHP回復が更に少しずつ減っていることがわかった。これはイヴの奇跡の回復量を、この奇跡についたスリップダメージが僅かに勝っているということだ。
「よっしぁ! ダブルで入ったぁぁ!!」
元気のあるその声からは惰眠ちゃんのテンション上がり具合が伺える。
惰眠ちゃんは元気のある声のまま、新しい指示を出す。
「クロヌシ!! 打って!」
惰眠ちゃんからの指示が出る。素早く的確で、作戦通りの指示である。
「りょーかい!」
クロヌシが短く返事を返すとイヴの方目掛けて魔術を放つ。
「
そうと唱えると前へと突き出した淡い青の歪な杖から黒い魔法陣が発生し、黒い5つの球が同時に姿を現す。
黒い球は不規則に揺れてゆらゆらと、ゆっくりとイヴの方へ動き出す。
この魔法は追尾性能の高い〈光属性〉の魔術である。
光属性という属性は信仰ステータスを取ることで使用できるようになる属性の一つで、魔術系統で取るか、信仰系統で取るかで見た目が一変するちょっと特殊な属性だ。この魔術は弾速こそ遅いが追尾性能、射程距離、火力どれをとっても一級品だ。
「発動した! すうぃーつ! アビス! チェンジしてくれ!」
二人に魔術の発動を伝えると、二人の戦闘場所を互いに交換するように指示をだす。
「
クロヌシはもう一度
(ここからが正念場だ!)
「これでも喰らえぇぇぇ!!」
すうぃーつが前衛から離れるタイミングを見計らってアクション大魔王がイヴの顔の正面へ、閃光弾を投げつける。
キラリと一瞬の輝きを放ち、イヴの行動がほんの数秒鈍る。
たった、数秒だ。だが、今その一秒はとても大きな意味を持つ。
ドン!ドン!ドン!と継続的に大きな爆発音が五回鳴る。
すうぃーつが居なくなり再び始まる回復を阻止するための
そして、アダムと戦闘を行っている惰眠ちゃんと現在移動中のすうぃーつの二人にイヴへ着弾する予定の時間を伝える。
「あと十秒!!」
「十分過ぎるわね!」
すうぃーつはだんだん硬直が解けて動き始めたアダムに向かって一直線で走る。
白い地面を忍者のように走りながら、両手に持った短剣の刃を内側へ向けて自身の両脇腹を斬りつける。
「
これは状態異常〈出血〉の蓄積値を上昇させる手段の一つであり、すうぃーつの職業〈血の支配者〉のスキルだ。
すうぃーつはバブを盛るとものすごい速度でアダムに攻撃を始める。
アダムの腕から始まり、とんでもない速度でアダムの全身を傷つける。ナイフの直接攻撃と赤い斬撃による攻撃で、派手にアダムの血がドバッと吹き出す。
一方でイヴ側ではアビスが到着し、イヴの継続回復阻止のため、唯一使える攻撃魔術を使用する。
アビスの後ろへ引いた 右手には小さな魔法陣が存在し、その上にオレンジ色に輝く光弾のようなものがあった。それは不安定で今にも崩れてしまいそうな危うさを持ったものだった。
手のひらにある光弾を魔法陣ごと握り潰し叫んだ。
「
引いていた右手を勢いよく正面へ突き出して、手のひらから大きなレーザービームのような光をイヴへと放つ。
その光が腹部に直撃したイヴは怯み、アビスへ仕掛ける筈だった攻撃がキャンセルされる。
すうぃーつとアビスがそれぞれの最大火力でアダムとイヴのHPを削ると後ろより誰かに射撃され、「ん?」「あ?」と情けない声を上げて、勢い良く引っ張られる。
犯人はアクション大魔王だ。
彼は次に行われる攻撃に巻き込まれないように二人を救出したのだ。
「アクさんないすぅー!」
すうぃーつが短剣を逆手に持って親指を立てる。
すると、クロヌシが時間差で仕掛けた
「頼んだぞ! 二人とも!」
アクション大魔王は願いごとをするかのように、だが確信しているかのように声をだし、三人で離れたところから二人を見守る。
惰眠ちゃんの手からは、いつの間にか錫杖が無くなっていた。代わりに
クロヌシは体の正面へ杖を持ってきており、それを両手で握る。地面には青紫色に輝く魔法陣が絶えずその姿を変形させる。
一歩、二歩三歩と徐々に惰眠ちゃんはスピードを上昇させていく。速度が上がったところで体を縦にして、槍を持っていない左腕を全方へ伸ばし、右足を左足の前で交差させて大きくステップを刻む。
魔法陣はやがて崩れた文字のようなものへと変化していき、クロヌシの体を伝って徐々に杖の先端へと集まっていく。先端にあつまった文字たちはキューブの形を取って一気に形を小さくして強い青紫色の輝きを放つ。
最後のステップは体の姿勢を大きく下に落とし力一杯に左足で地面蹴る。その衝撃はドシン!と鈍い音を伴い、白い地面にヒビが入る。
「
肩の前後を逆転させる体のひねりから放たれたそれは、次の瞬間それは鋭い角度を持ち、目視できない速度で飛行しバシュン! と音を立てて大気に穴を開ける。そしてその動きによって長い髪で隠れている教会の印を露わにさせる。直後、惰眠ちゃんの後方により大きなヒビが入り、その破壊力の大きさを物語った。
クロヌシは極限まで圧縮されたキューブを杖の先端から切り放し、左足を一歩前へ踏み出し体を縦にする。そして、杖を再びキューブへ勢いよく近づける。杖の前には新しく青い黒い魔法陣が作られて、キューブは砕けた。
「
青紫色の光が前方へ解き放たれる。だが、それは光と言うには暗く、闇のようであった。それは轟音と共に一直線に進んでいく。大気を震わせながら。
二人は意図せず互いに背中を向け合った状態で最大の攻撃を放つことになった。
二頭のドラゴンはそれぞれの攻撃に対して黒い炎と白い炎で対抗する。
しかし…
黒い炎には穴が空き、ドラゴンの頭部ごと消し飛ばし体は変色し、醜く膨れて泥のように弾け飛ぶ。
白い炎は飲み込まれ、ドラゴンすらもそれに飲み込まれた。
惰眠ちゃんは投擲後、「よっし!! クリ、ティカ――」と叫びながら、前傾姿勢になった体のバランスを保つようによろけながら前へ倒れる。
「あぅ……」
前から倒れた惰眠ちゃんはうつ伏せから仰向けになった。
クロヌシはそこへと近寄り声をかけた。
「惰眠ちゃん。ナイス投擲」
クロヌシは倒れた惰眠ちゃんに手を差し伸ばす。
「そっちもナイス」
と、言いながらクロヌシの手を取った。
「ありがとクロヌシ! だーいすき!」
惰眠ちゃんは笑みを浮かべながらそう言った。
(え!? だいすき!?? これって僕がってこと!? いや、まて冷静になれクロヌシいや
「ぱっやクリティカル狙って出せたときの快感ヤバイ、特殊演出もさいこー! クロヌシもそう思わない?」
両手を上げて伸びをする惰眠ちゃんが横目にこちらを眺める。
(ああ、うん。やっぱり恋愛脳は良くないな……本当に……)
クロヌシは勝手に一人で落ち込んでいたが、走って来ているアビス、すうぃーつ、そしてすうぃーつにお姫様抱っこされているアクション大魔王の三人を見て気合を入れ直す。
ヒーロー姿で女性にお姫様抱っこされているという絵面はなんというかかっこ悪い。が、ステータスの関係上仕方ないことだから見慣れている。
そう考えたのもつかの間、HPがゼロになり死亡した筈の二頭のドラゴンだったものが空中に浮き周囲から光を吸収し、やがて強く輝いた。
「眩しっ……」
強い光に一瞬目を反らし、その光が収まると、一面白だった地面のタイルは黒く染まっており、だがタイルの間から差す白い光が暗さを感じさせず、夜の都会のようであった。
ドラゴンの方へ目を向けると、二頭のドラゴンが一頭となっていた。
復活したのだ。イヴがアダムをまとったような、アダムがイヴを象ったようなどちらとも取れる姿を作り、体の形状も変化していた。
Cum Sanctis tuis in æternum,
(曲が変わった)
この曲はモーツアルトのレクイエム 第十四曲コムニオ(聖体拝領唱)という曲だ。
今まで戦闘用の激しいBGMが展開されていたが、この曲は落ち着きと追悼の意に溢れた曲であり、コーラスによる静かな圧力がひしひしと感じられる。
そして、モーツアルトのレクイエムは生涯最後の曲であり、これはその最終曲だ。
このゲーム〈レクイエム〉では幾度となくレクイエムが流され、それら全ては戦闘曲風にアレンジされたものであった。だが、今回のレクイエムは原曲にとても近く、ボスには似合わない曲調と悲壮感が本当に最後のボスであるという思いをより際立たせる。
「いよいよ、五本目のHPゲージ突入…だね」
惰眠ちゃんの横から見える表情は何故か悲しそうに見え、何処か虚しさを感じるものだった。
「うん。ここからが本番だよ! 惰眠ちゃん!」
何処か我を忘れたようにアダムとイヴだったものを見つめる惰眠ちゃんに、クロヌシは明るい声で呼びかける。そしてすぐに返答がやってきた。
「よし! 逃げよう!!」
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