第6話  初めて目の前で見たの巻

 社長室のソファの背もたれに大柄にもたれかかり座っている男は明那が例えた《ゴッドファーザー》はあながち間違ってはいないようである。


 濃い眉毛に眼球は鋭く、重みのある態度に凄みのオーラは従業員一同を萎縮させ、緊張させる。ここら一帯を統治下に置く不動産王、泣く子も黙る獄獄組組長、清水次郎丸時貞しみずじろうまるときさだ親分だ。


 皆は頭を項垂れて震えているのだが、よっ子だけは今の現状を理解していないようで満面の笑みで、次郎丸時貞じろうまるときさだを見つめていた。


「わしの顔に何かついてるか?」


 周りの男たちは慌てて次郎丸時貞の顔を覗き込む、


「なにもついていませんが」


 後部座席から一緒に降り立った男が言った。喧嘩負け知らず清水町きっての剛の者、極獄組舎弟頭、登板とうばん大介だいすけ


「なにもついちゃあいませんが、なにか感じますか」


 運転席から出てきた男がポケットから節目きちりとアイロンがけされた白いハンカチを差し出した。


「いや、大丈夫だ。丈治じょうじ


 次郎丸時貞専属運転手、宮原丈治、前科一般右頬斜め100ミリの傷、次郎丸時貞を襲ってきた輩を阻止した時、負った名誉の損傷、前科は次郎丸時貞と出会う前の私行である。


「そこのお嬢さんに訊いてるんだがな」


 大介はよっ子をみやると全員よっ子に目を向ける。よっ子は自分の事かと自分を指差し再び微笑んだ。


「あのーお父様はどんなお部屋をお探しですか」


「はあ?」


 そこにいる全員が呆気に取られた。


「えっ?さっきお父さんを待たせてはいけないと、息子さんがおっしゃってましたから

ねっ!」


 明那は顔面を右手で覆うと真由子に倒れかかった。


「駄目だわ、あの子何にもわかってない」


「だって天然ですからね。私も人のことは言えないんですけど、しかしこの状態であの人だけが息子さんだと思ってるんですかね?本当にあの子って、相当、天然記念物」


「お父さんてのはわしの事か?誰のお父さんなんだ」


「この方です」


 バスガイドのように『左手の方を見てください』と満面の笑みで手を差し伸べる。


 首を傾げて眉をぽりぽりとかいて、困った表情をみせたのは、凛とした佇まい、知的な顔立ちの元警察官、容疑者逮捕時、半殺の目に合わせ、次郎丸時貞に拾われた強狼、一文字いちもんじ哲也てつや


「物件探しにきたと思ったんですね」


 言葉優しく時々見せる微笑が光る。その光に乙女く女は中山明那、おっさん化した女の心がときめき妖艶ようえんな視線が哲也に向けられた。


「物件探しじゃないんですか?」


「橘さん!」


「はい、なんですか明那先輩」


 と振り返ると見兼ねた明那はよっ子の腕を引っ張って、自分の横に立たすと、


「本当にすみません、世間知らずも甚だしく、申し訳ございません」


 と、よっ子の頭を押さえて深々と頭を下げさせ、自分も下げると真由子も慌てて下げ、社員全員九十度の角度で腰を折った。


「さて、まずは、そこの男衆六人の意向を訊すとするか、あんたたちはどうしたい?寝耳に水で話がわからんか」


「大体の事は予測がついております」


 と言ったのは経理部長、さかき晴彦はるひこだ。


「他の連中はどうなんだ」


「大体の事は昨日、話しをしました」


「知らねえのは、そのお嬢さんだけって言うこっちゃな。ここに佐武はんが居ないということも、ちと問題なんだがな」 


 社長の佐武はこの時、既に山陽新幹線に乗り込み南方へと向かっていた。


「なんだかんだ。金貸しはな、金貸してナンボのもんだからな銭を用立ててやったんだが、トンズラしたみてぇだな。あの馬鹿にも困ったもんだ。おい!金さん、佐武の居場所突きとめろ」


「はい、親分、必ずあのアホ、とっ捕まえますんで」


 よっ子たち3人は昨日、店内業務中のため、事務所内の会話には参加できなかった。社長が夜逃げした事を今知ったばかりである。


「男衆はどうしたい。ここに残るなら、ここにいる奴らと同じになってもらわなくちゃならねえ。覚悟があるなら残って……」


 話の途中で男性社員は慌てて社長室から出て行くものだから女子たちも事務所の方に押し出される形になった。みんなは私物を持って直ちに出て行ってしまった。


 事務員の堂本さつきと秘書の近藤晴美もあっという間に姿を消した。


「清水の親分さん」


 社長室入り口で部屋を見ながら、


「私の息子は警察官でして、貴方様の所で働かせて頂くとなると息子に迷惑をかけてしまいます。申し訳ございません」


 と深々と頭を下げた大川美里。


「おー気にすることわねえ。うちと警察は敵対だからな。まあ、あんたも次の仕事見つかるといいな」


「ありがとうございます。では失礼致します」


 大川美里は何度も頭を下げて荷物をまとめて会社を後にした。


「親父が話されてる途中だのによ!逃げ出すなんてよ!許せねえな」


 皆が急に怒り立つ、なにがなんだかわからない3人はあたふたとしてる間に男衆に囲まれて逃げることができなくなった。

そして再び社長室に引き戻された。


「どいつもこいつも腰抜けですね。親父」


 川越かわごえ一輝いっきが苦虫を潰したような顔で言った。


「まあ、堅気さんに、お前らみたいになれ言うても無理な話だけどな」


「たしかにそうですけど、残ったのはこの三人です」


 登板大介はローテーブルの上の不要な履歴書を荒々しく手に取ると頭上に掲げた。一輝が素早くそれを手に取り、


「おい!やす


 入り口付近に立つ森口もりぐちやすしが、


「ヘイ、兄貴」


 と、腰をかがめて一輝に駆け寄りその履歴書を手に取った。リーゼントヘアーで眉毛が半分しかなくスーツの下は赤色のシャツ、襟を立ててまるでスーツに着られているような風情で、泰の行動は下っ端ですと主張しているようだ。


「これ全部、がががががー!」


「へい!がががががー!しまーす!」


 事務所に出ていくとすぐにーがががががーとシュレッダーに微塵切りされる音がして、よっ子はその音が心までも刻ざんでいくように感じた。『みんな消えてなくなっちゃった』


 テーブルの上に残された3人の履歴書、大介は3人の顔を見ると履歴書をきちんと本人の位置にし次郎丸時貞の前に並べた。


「あっ……順番に並べた」


 よっ子は心の中で呟いたつもりが声となって大介の耳に届いた。大介は下からよっ子をぎろりと睨むがよっ子は気づいていない。


 その細かな所作や行き届いた気配りに、

 「ほーすごい」


 と感心していると大介は「フッ!」と鼻を鳴らし眼差しは少し和らいで、


「おい、そこのヘンテコリン」


 大介のヘンテコリンに皆はよっ子へと視線を向けるが当の本人は一輝に目を向けた。


「なっしてお前、俺を見るんだよ!」


「ヘンテコリンって」


 とさりげなく人差し指を向けるよっ子に対して鋭い眼を見開いて、


「はあ?ヘンテコリンはおめえだろうが!」


 一輝はよっ子の顔に唾気を飛ばす。よっ子はスカートのポケットからハンカチをとり出して一輝の唾気を拭きながら、


「汚いな」と呟く、明那と真由子は頭を抱える。2人のやりとりのその姿を次郎丸時貞はチラリと見だけれど、気にも留めず、


「お前さんはスタイルもよく美人だな」


 履歴書の経歴をサッと見通し貼られている写真を見た。


「私ですか!」


 誰も明那だと言ってないのに前に一本歩み出てポージングをして見せた。その姿をみて次郎丸時貞は苦笑いをして、


「まあ、おめえさんのことだけどよ。自信あるんだな」


「はい!この子たちの中ではダントツかと思ってます」


 男たちは3人をまじまじと見比べて、


「たしかにな」


 それぞれが頷きつぶやく、


「おめえさんは、ある事務所の受付嬢な」


「受付嬢!」


 長いまつ毛が上下して驚く瞳が輝いた。


「受付嬢とは」


「うちの顧問弁護士をしてくださっている先生が今度、弁護士事務所を大きくされるんだ。この後、今後のあんたらの動向を説明してやるから」


 大介は明那の履歴書をずらして、真由子の履歴書を次郎丸時貞の前に滑らせた。


「美人さんだから丁度いいだろな」


 明那は嬉しそうに跳ねた。買い続けているロト6が当たったかのように満面の笑みである。『弁護士事務所の受付嬢、こんなチンケな不動産屋の店員よりもずっと素敵だわ、それに弁護士事務所なのだから!』明那の頭の中は妄想が繰り広げられている。


「そこのでっかい姉ちゃんはわしの娘の店で働けな」


「娘さんのお店?キャバクラですか!」


 男衆は「プスッ」と失笑する。


「おめえみてえな、でっかい女がキャバクラで働きゃあドレスがビリビリに破けちまうだろうが」


 一輝がゲラゲラ笑い出すものだからみんなも笑い出した。


「そんな事、言いますけど!この間、清水町の中央区歩いていたらスカウトされたんですからね」


 と、ど迫力の身体で、ずかずかと一輝に詰め寄ると一輝は身体を退け沿って、


「スカウト、嘘だろ」


「嘘じゃありません!」


「兄貴、兄貴」


「なんだ!泰」


「中央区にはデブ専スナックがあるんすよ」


「ああ、そういうことか、納得!」


 ふざけた言い方をして真由子を上から見下ろし、


「熊のぬいぐるみ着てんのか?風船みたいだな」


 とふくよかな二の腕を指先で突っついた。


「ぷにゅぷにゅじゃあねえか」


 よっ子は頬を膨らませて真由子を触る指先を握りしめた。よっ子と一輝は互いに眼を向いて睨み合った


「セ・ク・ハ・ラ・です!」


 と一輝の耳元で大きな声を張り上げた。キーンと耳障りな甲高い声質は皆の脳天に突き刺さる。顔を天に逸らさせて耳を塞がせた。


「なんつう、声出しやがる」


 次郎丸時貞はこめかみを抑えて俯いた。


「おめえよう!鼓膜が破れるような声出すんじゃあねえ」


「鼓膜?鼓膜、ついているんですか!」


「あったりめえだろが!鼓膜なんぞみんな平等に着いてんだよ!」


「平等に?女の子に向かって!デリカシーにかけてるあなたなんかに!鼓膜はついてません!」


「なんやこのあま!」


「私は尼さんではありません!よっ子です。橘よっ子」


「よっ子?よっ子〜!そんなヘンテコな名前、よく付けたもんだな!それにお前は女なのか?」


「どこからどう見ても女でしょ!どこ見て男だと思うんですか!」


「前も、後ろも同じじゃあねえか、なあ!おまえら!どっちがこいつの背中なんだろな」


 よっ子はぷんぷんな顔して自分の胸を見下ろした。


「お前こっちが前なのか?顔がこっちに向いてるから間違いなくこっちが前だ。だけどよ女にあるものがおめえにはねえのかよ!女の象徴ってなんだ?オッパイだろ!オッパイどこについてるんだろうな」


 一輝より配下の者たちは揃ってよっ子の成長していない胸を見て口々に、


「ちっぱいだな」


「ほんまや!どこにオッパイついてんねん」


「一輝兄貴、こいつ男なんじゃないんすか」


「ほななにか、よっ子は俺たちみたいにならなきゃならねえな。スッゲー!チビだけど。喧嘩できんのか?どこもかしこもチビじゃねえか」


 この強面集団の口々に発する言葉が自分の悪口を言ってることぐらいよっ子にだって理解できる。でもわからない言葉が一つだけあった。


「ちっぱい?ちっぱいってなんですか?」


 世間知らずと言えども、世の中には男達しか知りえない言語もある。すると背後から泰が耳元で囁いた。


「おっぱいが小さい女をちっぱいって言うんだ。まさに、よっ子はちっぱいだろ!」


 よっ子は顔を真っ赤にして「セクハラ!」空の彼方まで突き抜けていくような声を張り上げた。大介は眉を寄せて顰めっ面になり、立ち上がって2人の間に割って入り、


「いい加減にしねえか!静かにしろや!おめえらは会ったばっかで兄妹喧嘩みたいなことしてんじゃあねえ!一輝」


 激しい怒号が響き渡った。鋭い目つきで2人を叱る。


「だって、兄貴、こいつ!」


「よっしゃ!決めた。大介、このよっ子は今日から一輝とコンビだな。よっ子は集金係にしろ」


「わかりました。おい!よっ子、お前は本部勤務だ、わかったな」


「本部って……」


 本部勤務となったよっ子、一輝とコンビで集金係という仕事とは……。


 よっ子は茫然自失で次郎丸時貞をじっと見つめていると、


「根性ありそうなお嬢さんだな」


 次郎丸時貞はにやりと微笑んで履歴書を眺めていた。



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