第八話 隷属史



 話は、建国前に遡る。

 かつて西の大陸にあったシーア帝国で王位継承争いがあった。

 グロスター王子とメルヴィン王子、二人の王子による争いはグロスター王子に軍配が上がり、メルヴィン王子とその支持者達は、国を追われることとなった。

 彼らは当時未開の地であったアズリエルを開拓し、属国として存在していた。


 しかしそんな時代も終わりを迎える。


 限りなく広い土地を開拓し、子孫を徐々に増やし、また奴隷をシーアの敵国、アガルタから輸入することにより、国力はシーア本国を上回っていった。

 最終的に次のジャスティン王の時代に独立戦争が勃発し、結果としてアズリエル側が王権を取り戻した。

 当時のシーア本国の閣僚・王族達が多数アズリエルに移ってきたことで、事実上の遷都が行われた。

 こうしてアズリエルは一大強国として君臨し、シーアは大公をトップに置いた同盟国家として残ることになった。








「その時アガルタから連れてこられた奴隷たちが、非純粋種…つまりは亜人だ」

「……」

「奴隷制が廃止されても、俺たちは結局下に見られっぱなしってわけだよ。肌や体毛の色からして違うわけだしな」

「…なんで奴隷の子孫で、見た目が違うだけで、そんな…」


 レイには理解が出来なかった。

 何故見た目が違うだけで、人を差別できる理由になり得るのか。

 元いた世界でも差別の存在は知っていたが、こうして身近に感じた事は無かった。

 また実際に差別というものを目の当たりにすると、レイにはその理由を理解出来なかった。


 すると、ジャマールはタバコにまた口を付けた。


「仕方ねぇんだよ。奴隷制が無くなっても、モンゴメリー法なんていう隔離政策で、亜人は貧民街に押しやられた。

 そんな貧しい環境で育ったから、大体の奴はヤク中で、暴力的で、まともな教育を受けてねぇ。

 それに何十年前には、とんでもねぇテロリストまでアズリエル国内で出てるんだからな」

「テロリスト?」

「ああ…ジョルジュ・ネルディームって奴が昔いてな、そこそこ優秀な魔法研究者だったんだが、差別待遇にキレて無差別テロをやりまくったのさ。

 なんでも自分の息子と二人で、ひたすら殺しまくったらしいぜ。

 まぁ、俺が生まれる前の話だから、詳しい話はわからねぇけどな」


 ジャマールは、また煙をゆっくりと吐き出した。


「俺の親父もヤクが原因で、俺が5歳の頃には死んじまったよ。

 近所でも俺と同い年の奴が五人は逝っちまった…大体ケンカやらヤクやら強盗が原因だ」


 レイには実感が湧かなかった。

 これまでの人生で、被差別者であったり、本当の貧困出身の人間とは出会った事がなかった。

 ジャマールのこれまでの人生を、レイはうまく想像出来なかった。


「ともかく、その辺の事情があるから、どう足掻いても偏見が付きまとうんだよ。俺もその辺は慣れてるから、心配すんな」


 教官用の灰皿に吸い殻を捨て、ジャマールは歩き出した。


「明日も早いから、さっさと寝るぞ」

「……ジャマール」


 宿舎に戻ろうとする彼に、レイは声をかけた。


「民族単位じゃどうかわからないけど……俺はお前を嫌な奴だとは思わないよ」


 それはレイの正直な気持ちだった。

 考えてみれば、この訓練所に来たとき、最初に話しかけてくれたのは彼だった。

 レイが襲われそうになった時、彼は庇ってくれた事を覚えていた。

 そんな奴を差別できる理由がなかった。

 するとジャマールは苦笑いした。


「ったく…変わってるよな、お前は」

「そうか?」


 致し方の無い事だった。

 あくまでも異世界人であるレイと、貧困の最前線で生きてきた彼とは、どう足掻いても物の見方が違う。


「ま、とにかく寝るぞ」

「ああ…」


 二人は、宿舎に戻っていった。













 それ以降も訓練は続いた。



 徒手空拳での模擬戦闘、射撃訓練、剣やナイフを用いた剣技、戦闘用基礎魔法演習、その他多くの訓練が行われた。

 その中で多くの者が脱落するか、あるいは自ら辞退していった。

 レイはそのチート能力のお陰か、全ての過程でとんでもない結果を叩き出した。

 例えば素手での模擬戦闘では、相手の拳や蹴りが擦りもせず(当たってもまるで痛みを感じない)、攻撃に転じた時のレイの本気のパンチで、相手は顔面骨折の重傷を負った。

 射撃訓練や剣技訓練は、最初の方こそ勝手が全くわからず戸惑いはしたものの、一度要領を掴んでしまえば完全にレイのペースだった。

 狙撃ではほぼ百発百中、剣技ではレイの剣が早すぎて目で追えず、しまいには鍔迫り合いの時に双方の剣自体が耐えきれず、脆いガラス細工かのごとく壊れてしまった。

 魔法の実習で雷撃魔法を使用した際、威力の加減が出来ず、半径10メートル以内を穴だらけにし、教官から鉄拳制裁を食らう羽目になった。


 レイが凄まじいのはチート能力のおかげなので当たり前なのだが、それ以上にジャマールの努力が凄まじかった。

 ほぼ全ての訓練において常にジャマールはレイに次ぐ成績を残していた。

 むしろ剣技や射撃といった実技面に関しては、ジャマールの方がレイより習得が早かったかもしれない。

 それもそのはず、計測の結果ジャマールの生体感応値は150をマークした。

 レイにこそ遠く及ばないものの、普通の成人男性に比べれば二倍近い数字である。



 しかしそんな状況は、周りの人間にとって面白い訳がない。

 そしてある日、事件は起こった。











 レイとジャマールの使っていた二段ベッドのシーツがビリビリに破かれ、さらには真っ黒なペイントで汚されていた。


 二人の訓練用の服も切り裂かれ、その上から塗料で"黒虫"と書かれていた。


 唖然とする二人を見て、クスクスと笑うグループが何組かいた。

 だれがやったのかは大体見当がついた。

 しかしジャマールは溜め息を一つついただけで、そのままシーツを外し始めた。


「ジャマール……」

「いちいち相手にすんな。軍曹に言って代わりを用意してもらおうぜ」


 その言葉をレイは最後まで聞かなかった。

 気付いた時には、ヘラヘラしている集団の前に立っていた。




「…謝れ」

「はぁ? 何言ってやがる」

「ジャマールに謝れって言ってんだ‼︎」




 レイ自身でも信じられないほど大声が出た。

 他人の事でここまで怒りを感じるのは、初めての事だった。


「お前らがやったんだろ! なんで俺らが差別されなきゃいけないんだよ‼︎」

「もしそうだとして、なんで黒虫やら七光りやらにデカい面されなきゃやらねぇんだよ!」

「何だと、この野郎‼︎」


 レイは相手の胸ぐらを両手で掴んだ。

 自分が侮辱されるのにも、仲間が侮辱されるのにも、ひどく腹が立った。

 チート能力を持っている事を自覚してきたせいか、日に日に怒りや喜びをストレートに表現できるようになったレイだからこそ、ここまで怒る事が出来た。

 思い切り殴ろうと、拳を振り上げた瞬間ーーーーーー






「何事だ‼︎」







 怒声が鳴り響いた。

 気がつくと、リー軍曹が扉の前に立っていた。

 その場にいる全員が横一列に並び、姿勢を正した。


「なんの騒ぎだ、デズモンド!」

「こいつらが自分とジャマールの軍服とシーツを汚したのであります、上官殿!」


 軍曹はゴロツキ連中の方を見据えた。


「奴の言ったことは本当か!」

「いいえ、上官殿‼︎ 自分たちは何も知らないであります!」


 白々しい嘘を、とレイとジャマールは思った。

 こう言ったことをする連中は、大体の場合は陰湿であり臆病だ。自分より地位があったり力があったりする人間には、必ず嘘をついて逃げたり誤魔化したりする。そのことをレイは前の世界での経験から痛いほどわかっていた。

 するとリー軍曹は部屋の真ん中に立ち、全員を見渡せるようにした。そしていつもとは違う、静かな口調で言った。



「貴様らは、肌や毛の色で人間の優劣が決まると思ってるのか?」



 軍曹は周囲をぐるりと見渡した。



「とんでもない思い違いだ。

 戦場では常に死体が転がってる…ありとあらゆる奴らが死に、そして生き延びる。

 そこに肌の色・単純な体の部位の細かな違い・そしてイデオロギーすら全く関係ない、単純に力の強いやつだけが生き延びる究極のゼロサムゲームだ。

 差別主義者は確実に殺される、何故ならそういう奴らは確実に相手の力量を見誤る。

 敵に対してタカをくくっている奴は分かっていない、奴らは悪知恵も使う、強い意志も持つ、殺し屋達だ。」



 今までに見たことのない表情、そして瞳の色だった。

 彼は間違いなく過酷極まりない戦場を経験し、敵味方共に多くの生き死にを目撃してきた。

 その事を否が応でもわからせるような、深みと重みを全員が感じた。



「揉め事は全員連帯責任だ、腕立て100回を命ずる! 汚れた服とシーツは後で支給する‼︎」




「「「「「はい、上官殿!!!」」」」」




 全員がその場に手をつき、腕立て伏せを行なった。


「「「「「1、2、3、4、5…」」」」」


 全員が渋い顔をする中、レイとジャマールは平気だった。

 元から身体能力の高い二人は、他の人間に比べて負担が少ない。

 ひょっとしたら軍曹が二人をかばってくれたのかもしれないが、結局それは分からずじまいだった。




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