第七話 非人種
集められたグラウンドではただひたすらに筋力トレーニングが行われた。
無限に続くとも思える腕立て伏せ、腹筋、背筋…全員が呻きながらメニューをこなした。
「ここで躓くような奴は腰抜けだ! 徹底的にしごくぞ!」
「もっと深く胸を下ろせ、このひょろ長野郎!」
「楽してんじゃねえ、玉無し!」
苛烈なトレーニングに加え、絶え間ない指導官からの罵声。
ゼイゼイと喘ぐ声に加え、何処からかすすり泣くような声まで聞こえるほどだ。
レイの中にも基本知識として、これが民間人を兵士に変える最初のステップであることは知っていた。
此処で耐えられないものは絶対に戦場でも耐えられない、だからこそ限界以上の物を全員に叩き込む。
それらに対してレイはというと。
(凄ぇ…そんなにキツくない!)
もちろん汗はかくし、筋肉に疲労は溜まりつつある。
だが正直無限に動かせるような実感もあり、実際ほぼ無限に筋肉を動かせた。
それでもリー軍曹は全員を平等になじる。それも精神的鍛錬の一環だからだ。
そしてそれはレイに対しても例外ではない。
「おい、まるで応えてませんってツラだな! やせ我慢は得意な方か?」
おそらく軍曹はレイが必死に平静を装っていると思っているのだろう。
だがしかし、レイは正直にこう答えた。
「いいえ、上官殿! まるで刺激が足りないであります‼︎」
これには軍曹含め、その場にいた指導官全員が目を見開いた。
それもそのはず、大の男ですら容易く音を上げる新兵訓練トレーニングだ。
それを涼しい顔をしているだけでなく強がりまで言える奴など、長い教官生活の中でも恐らく初めてであろう。
実際のところ、レイのチートな生体感応値に裏打ちされた筋持久力やパワーで容易く乗り切っているのだが、そんなことは軍曹達にとって知る由もなかった。
「面白い…腕立て100回だ!」
「はい、上官殿!」
すぐさまレイは腕立ての形を追った。
すると軍曹は、おもむろにレイの背中に跨った。
「ぐっ…」
「おい、どうした! さっさとやれ‼︎」
その場にいた全員が、レイが崩れ落ちる姿を予想しただろう。
だが現実は違った。
「1、2、3、4…‼︎」
「うおっ!」
全く意に介さず、レイはペースを落とさず腕立て伏せを続ける。
そのせいで軍曹はバランスを崩し、その場に転げ落ちてしまった。
その滑稽な場面に、他の上官が微妙に笑ってしまっていた。
軍曹は顔を紅潮させて、叫んだ。
「バカ野郎、俺に気を使って腕立てしやがれ!」
軍曹がレイの尻に思いっきり蹴りを食らわせた。
レイは痛くも痒くもなかったのだが、これ以上のトラブルは御免被ると考え、微妙に痛そうな顔を繕った。
(これはこれでキツイ…)
一日のトレーニングが全て終わり、就寝時間までの少しの自由時間。
全員が読書をしたり、娯楽番組的な物を投影魔法で見たり、お互いに会話したりと、思い思いの時間を過ごしていた。
そして、その何割かはレイの方を時折横目で見ては、ヒソヒソと周りの人間と話していた。
(まあ、そりゃそうなるよな…)
よくよく考えれば、当たり前の話だった。
殴られても平気、極限のトレーニングにも応えず。
誰がどう見たって気味が悪いに決まっている。
無条件に尊敬されるのは、ライトノベルの中だけの話だ。
「お前、すげーなぁ。あんだけシゴかれて平気そうじゃねーか」
ただジャマールだけは例外のようだった。
恐らくこれは彼の人を差別せず、無闇に悪意を向けることの無い人間性も影響しているのだろう。
それにプラスして、彼とレイの関係性が良好な事も一因であった。
現在ヒソヒソと話し合っているような奴らとは、今日衝突した奴らが多かった。
「え? あ、うん…」
「人間離れしてるよな。亜人でもないんだろ?」
「一応、純粋な人間だけど…」
「お前と一緒だったら、死なずに済みそうだな!」
「…ああ、そうだな」
ジャマールが白い歯を見せて笑った。
つられてレイも笑い出した。
思い返してみれば、レイにとってはジャマールが初めて親しくなった異世界の人間であった。
それがレイにとっては、たまらなく嬉しかった。
「とにかくルールは無用だ! とにかく相手を先制攻撃でブチのめすことだけ考えろ‼︎」
(おいおい、入所早々リアルファイトかよ…!)
その翌日、早々にレイたちは互いにペアを作り、実戦演習をこなす羽目になった。
教官達曰く、闘争本能がなければ根本的に戦場で生き残ることは不可能であり、それを育むための訓練がこれである、との事らしい。
回復魔法を使える救護班は待機中とのことなので、殺しさえしなければ魔法を使っても何をしてもOKと通達はされている。
しかし殴り合いの経験すらろくにないレイにとって、この状況はもはや異次元のレベルであった。
「デズモンド、さっさとかかって来い‼︎」
「え、あ…その…」
体育の授業でぼっちの人間が、ペア組みであぶれて先生と組まされる。
よくある光景ではあるが、それを軍事演習でやる羽目になるとはレイには想像もつかなかった。
リー教官は鋭い眼光でこちらを睨みつけ、今にもこちらに襲い掛からんとしている。
「来ないなら、こちらから行くぞ!」
そう宣言すると、教官はレイの方へと飛びかかって来た。
掌には術式がすでに展開されており、礼を叩き潰す気は満々の様だ。
「え、あ、ちょっ…ええい、くそっ!」
止むを得ず、レイは軽めの衝撃魔法を展開した。
「おぅぶぇっ‼︎」
その瞬間、教官は間抜けな声を上げながら吹き飛んだ。
あまりにも強すぎる威力で、並大抵の人間では宙を舞うほどの様である。
地面に転がった教官は、鼻血を出しながら気絶していた。
「えええ…」
レイはもはや呆然とするしかなかった。
「よぉ、どうした? かかって来いよ」
「ぐ…こ、この黒虫がぁ!」
横を見ると、いつかの因縁をつけてきた輩を相手に、ジャマールが拳で圧倒している所だった。
ジャマールの両手両脚には術式が展開されており、どうやら魔法で強化された肉体で戦っているらしい。
典型的な武闘家タイプの人間である、とレイは感じた。
「オラァ!」
「ぐふっ…!」
ジャマールのボディブローが、チンピラの体をくの字にへし折り、そのままダウンさせた。
それは完璧に勝負が決まった瞬間である。
レイは思わず、ジャマールに向かってサムズアップした。
ジャマールもそれに応え、親指を上げて見せた。
そんな経験も、レイにとっては人生初の出来事であった。
真夜中、レイはふと目覚めた。
トイレに行きたくなり、ベッドから降りた。
今夜は満月らしく、月明かりが窓から差し込んでいた。
用を足した後、宿舎に戻ろうとすると、廊下の窓から誰かの姿が見えた。
「ジャマール?」
窓を開けて、話しかけてみた。
振り向いた顔を見ると、口から煙を吹いていた。
どうやら煙草を吸っているらしい。
「よぉ、トイレか?」
「まあな。そっちはタバコか?」
「おう、建物の中じゃ吸えねえからな」
ジャマールは紫煙を薫せた。
「…なぁ、聞いていいか?」
「なんだよ?」
「ジャマールは"亜人"ってやつなのか?」
「そう、見りゃわかるだろ」
亜人。ファンタジー作品ではよく見かける、人間によく似た種族のことだ。
彼の言うことは正しいが、違う。
レイは異世界人であることをジャマールは知らない。
「…俺、実は凄い僻地の出身でさ、常識には全く疎いんだ」
「マジかよ? どんな所で生まれ育ったんだよ」
平和な場所の出身である。
少なくとも戦争とは無縁だった。
「…どの辺が亜人なんだ? 普通の人間にしか見えないけど…」
「肌が黒いし、よく見れば体の毛が獣っぽい剛毛だろ?
亜人にはよくいるタイプだよ。いわゆる”非人種”ってやつだ」
確かによく目を凝らせば、ジャマールの前腕に生えている毛は微妙に栗色がかっており、尚且つ太かった。
そして非人種という言葉は、町のチンピラからも発せられた言葉だ。
「それ、悪口だろ?」
「まあな」
「なんでまた、そんな悪口を…」
今ひとつ納得できなかった。
ただ肌や毛の色が違うだけで、そこまで人を侮蔑できるという感覚を、レイは理解できなかった。
「お前、マジで何にも知らないのか? 仕方ねーな…教えてやるよ」
かくしてレイは、この世界の深層を知ることとなった。
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