昼夜行動

影山ろここ

プロローグ

 小学生の頃、二年ほど合唱部に入っていたことがある。きっかけは顧問の音楽教員による何気ない勧誘だった。ある日の授業終わり、教室へ一目散に散っていく男子児童の群れから万里ばんりを呼び止め、まだ青年の面影を残す音楽教員はこういったのだ。


「少年期に美しい高音を出せる子は、大人になるときれいな低音を出せるようになる。合唱はきみの良さを活かせると思うんだ。将来のことも考えて、入部してみないか?」


 他人に美しいなんて褒められたことがなかったので、万里は舞い上がるように喜び、入部した。いまにして思えば、チョロい誘い文句に乗ってしまったものだ。

 入部に到った経緯を話したとき、クラスメートのタクミが口を尖らせていった。

「なんだよ、お前と遊べなくなるじゃん」


 万里とタクミはともにコンピュータゲーム機を所持していなかったため、近くの森にアジトをつくってキャンプ生活を送ったり、盛り場に出て年上の男子生徒を襲う「中学生狩り」で暇を潰し、カツアゲした金を遊興費にあてていた。


 そうしたろくでもない遊びの首謀者はタクミであり、万里は他に親しい男子がいないため、普通なら彼の意向には逆らえないが、女子にモテたくて入部するとでっち上げたところ「確かにモテてぇよな。おれもセックスがしてぇし」といって引き下がった。


 適当に見える言い訳だが、それなりに意味もあった。入部したての五年生のとき、合唱部にいる男子は万里だけだった。タクミはそれを理由に彼の入部動機を信じたが、実際のところ自分以外が全員女子という環境は気が安まらず、週五日のハードな練習だけでもしんどいのに心労は絶えなかった。その大変さは少年野球チームに所属するのと同じで、日が落ちるまで続く活動は万里から遊ぶ時間を奪った。


 おれはいったい何のために合唱をやるのだろう。軽い気持ちで入部したことに気づいた彼は、家路につきながら自問自答した。理由はやはり顧問から「美しい声」といわれたことだった。いまとは異なり、この頃の万里には他に抜きん出た取り柄は何もなく、腕力ではタクミに敵わなかったし、学力は平均的、美貌ではクラスのかわいい女子に劣っていた。そうした劣等感を彼は、合唱部の活動で晴らそうとした。


 しばらくして夏の合宿がはじまった。黒崎と仲良くなったのはその頃だったと思う。万里が目標に定めたのは、四十人ほどいる部員の半分が選ばれる大会選抜に入ること。顧問が口にした魅力が本物なら、いずれ美しさを存分に発揮し、だれもが認める歌い手になれるだろうと彼は考えた。その可能性にいち早く気づき、彼を評価したのが黒崎だった。


 大半の男子がそうであるように、万里は女子になめられることを嫌って、自宅で筋トレをおこなうなど、隠れた努力で競争相手を抜き去ろうとした。黒崎はそうした女子のトップに君臨する児童だったが、それをひけらかすこともなく、だれとでも対等に付き合うことで知られていた。

「意外に粘るじゃん、あんた。もっと早くに辞めると思ってたよ」


 持参したペットボトルに口をつけ、休憩中だった万里に黒崎はさりげなく近づいた。声をかけられたことは一度ではなかったが、親しげな会話を交わした覚えはなく、黒崎が自分ごときの頑張りを讃える理由を訝しんだ。答えはのちに明らかとなる。彼女は万里に歌い手としての可能性を見いだしたばかりか、部活動を通じて知った負けん気の強さに感心し、好意を寄せるようになったのだ。


 合宿は市の小中学校が利用する研修施設でおこなわれたが、たった三日間でこれまでより多くの女子と距離を縮めた。男女構わず同じ部屋で寝泊まりしたおかげもあったが、入部以来ろくに話をしたこともない女子たち、とりわけ選抜常連メンバーとの橋渡しを黒崎がしてくれたことが大きい。


 この合宿でようやく部に溶け込めたと思えたし、技術的なコツを掴んだことで夏休みが終わる頃には飛躍的成長を遂げた。次の大会は九月にあったが、最終的な参加メンバーに万里は選ばれ、黒崎や彼女と仲の良い女子はそれを自分のことのように喜んでくれた。

 大会まであと二週間を切ったとき、顧問に呼ばれた。音楽準備室に入るとなぜか黒崎も一緒にいた。

「当日の制服なんだけど、お前は紺色の半ズボンなんて持ってないよな?」


 顧問の問いかけに万里は「持ってません」と答えた。顧問は腕組みをして、隣にいる黒崎を見た。黒崎は万里に視線をむけ、予想だにしなかったことをいった。

「わたし、制服二つ持ってるからそれ着なよ。全員スカート穿いているほうが全体の見栄えも良いし」


 この提案に万里はなぜか反論せず、素直に受け入れた。そしてその日の部活終わりに黒崎の家にお邪魔した。そこで用意された制服は紺色の吊り紐つきのスカートと丸襟のシャツ、臙脂のリボンだった。試しに着替えた万里を、黒崎と彼女の母親は褒めちぎった。「めちゃくちゃ似合ってるじゃん」といわれ、万里は照れ臭く感じつつも、このときはじめて女装した自分に高揚した。鏡に映った自分はそれほどかわいく、スカートは何ともいえない涼しさをもたらし、大会に出るのがよりいっそう楽しみになった。


「タクミはさ、うちらにあんたのこと飾りだっていってたよ。たぶん女顔だからでしょ。人をもの扱いするようなやつと付き合うの、わたしは反対だな」

 大会を無事に終え、合唱部は銀賞をとった。その興奮覚めやらぬ翌日の放課後、黒崎は音楽室にむかう万里にタクミの話題を振った。

「きっとタクミは気づいてたんだよ、あんたが女装したらかわいいってことに。嫌な話だけど、女子の間では有名だよ。『あいつに穴があったら良かったのに』って言いふらしてるの。男を好きになること自体は否定しないけど、結局エロいことしか考えてないの。あんたがタクミと違うことは察しがつく。いい加減、縁を切ったほうが良いって」


 黒崎がそこまで大胆な忠告をした理由は、合唱部に入って以来、疎遠になっていたタクミが、万里のことを頻繁に誘うようになったからだ。それ以前も、彼を合唱部に囲い込む女子たちに恨み言を吐き、フラストレーションを溜めていることが外野からも伝わっていた。万里はタクミの不満が見逃せないものであることに不安を抱き、蓄積した思いをなぜ直接ぶつけてこないのか疑問に思った。


 その週の土曜日、久しぶりにタクミの誘いに乗った万里は、駅前の商店街にくり出し、ゲームセンターに入り浸った。明らかに年上の連中を脅して金を奪い、二人で格闘ゲームの対戦で遊び、玩具のパチンコ台で隣り合った。


 そこで万里は探りを入れた。いまさらだが、自分が合唱部に入ったことに不快な思いをしているのではないかと。もしそうだとしたら、謝罪するつもりでいた。答えは意外なものだった。

「中学生狩りをやってたろ、あれをレベルアップさせてんだ。それにはまっちまって、お前を巻き込むのもためらいがあってさ。でも一人で遊ぶのはつまんなくてよ。興味あるか?」


 逆に質問されて万里は戸惑った。タクミの目が恐ろしく真剣で、なんと返しても良い結果にならない気がしたからだ。

 万里が口ごもっていると、タクミは唇に人差し指を当てた。

「絶対内緒だぞ。最近おれは中学生の女を付け回してるの。でも楽しいぞ、あいつら体だけは大人だから、自分がエロい目で見られることを知ってやんの。おかげでちょっと尾行したぐらいで死ぬほどびびるの。こっちはガキだってんのにな」


 タクミは小学生にしては背がかなり高いため、尾行なんて真似をすれば間違いなく大人に見えるだろうと万里は思った。

「よし、お前も混ぜてやる。来週のどこかで合唱部休め。その日の放課後に中学生狩りしようぜ。今度は女子が獲物だ」


 万里が上の空で聞いていると、タクミは一方的に約束をとりつけた。思いがけない提案を断ろうと思えばできたはずだ。しかし万里は、頭の中身がまとまらないうちに頷いてしまった。

「タクミと一緒にいるところ見たって子がいるんだけど、それほんと?」


 週明けの教室から渡り廊下まで連れだし、黒崎は万里を質問攻めにした。縁を切れとまでいった相手とつるんだことで逆鱗に触れたようだ。普通の男子なら粘着質な女に辟易し、ろくすっぽ話を聞かなかったに違いない。けれど万里は最近黒崎の世話になっているし、そういった人間が高める熱量に理解があった。いまの彼女は、万里の行動が他人事に見えないのだろう。自分だったら同じ真似は決してしないが。

「じつはさ、黙ってたけどわたしも困ってるの。先月タクミに告白されて、当たり前に断ったんだけど、まだお互いのことを知らないだけだから、もう少し時間をくれってその一点張り。正直いって、何だか怖くなってるんだよね。タクミっていつも目が笑ってないじゃん? あいつ頭おかしいよ」


 黒崎は万里を心配し、自分も陰で被害に遭っていることを告白したように見えたが、万里はタクミに同じような感情を抱いたことが過去に数回あった。

「あんたに迷惑かけるのは本意じゃないけど、タクミとは腐れ縁でしょ。もう一度はっきり交際断るから、その場に同席してくれない? 一人だと何されるかわからないけど、友人の前なら自制すると思うの」


 大会が終わったあとくらいから、黒崎のタクミに対する当たりはきつかったが、何はともあれその理由が明示され、万里は安心した。彼はだれかに嫌われてショックを受けるより、嫌われた理由を知って安心するタイプだった。



 翌週、体調不良を理由に部活を休んだ万里は、タクミと約束した時間に彼の家を訪ねた。

「おう、お前がその気になってくれて嬉しいぜ。これから森に行くぞ。通学路になってるから女子中学生が良い感じに通る」


 軽薄な調子でにやけるタクミを尻目に、万里にも目論みがあった。一度承諾した以上、誘いを断ることはできなかったが、黒崎の件は無視できない。よって黒崎がタクミを突き放す前に彼女の意志を代弁し、事態を穏便に着地させようと考えていたのだ。


 しかしリュックを背負って現れたタクミと一緒に森へむかう途中、黒崎は絶対に折れないと伝えたとき、タクミは不敵に笑って意に介さなかった。

「あの女は自分で自分のことわかってねぇんだ。黒崎はクラスでおっぱいのサイズが断トツだけど、胸の大きな女は性欲が強いってこないだ万引きした雑誌に書いてあった。ぐいぐい押してからちょっと引くだけで気持ちが揺らぐってこともな。お前はまだお子様だからそのへんの情報を知らねぇんだよ」


 軽く説教を垂れるタクミは、森に到着した途端、リュックを下ろして何かを取り出した。

「ほれ、カッコいいべ?」

 彼が差し出したのは、刃渡りが十センチ近くもあるジャックナイフだった。その道具の使い途を万里は思いつかない。目的を聞くとタクミは「こいつで女子中学生を脅すんだよ。女は襲えばセックスできるし」と嬉しげにいい、「お前も手伝えば、チンポ入れさせてやんよ」と断言した。


 大変なことになった、と万里は狼狽した。女子中学生を襲うタクミの狙いが強姦であることを知り、そんな犯罪に関われないとごく常識的に考えたからだ。


 けれどこの場から逃走すると、面倒になる。タクミは秘密を暴露されることを恐れて自分のことをナイフで刺すかもしれない。身の安全を第一に考えるなら、タクミに付き合うふりをし、それとなく妨害をくわえるのが最善の策だ。


 ジャックナイフは二本あり、そのうち一本はタクミが持ち、大木の陰に隠れて地面にしゃがみ込んだ。万里はもう一本のナイフを握り、女子中学生を脅迫する役につかされた。いっけん衝動的な計画を企てたように見えるタクミだが、裏では綿密な作戦を練っていたらしく、二人連れの女子には目もくれず、単独で帰路につく相手を標的にすると小声で教えた。


 三十分近く待機していたが、絶好の機会はなかなか訪れなかった。タクミはリュックからたばこを取り出し、口にくわえたままライターで火をつけた。

「従兄に貰ったんだ。イライラしたときに吸うとすっきりすんの」


 盛大に煙を吐く友人を見て、万里の心は揺らいだ。自分が合唱部にかまけている間、信じがたい速度でタクミは堕落していたようだ。もう少し悪のみちに踏み込めば、警察沙汰にすらなるだろう。


 処理しきないほどの感情を持て余したとき、待望の獲物が二人のそばを通りすがった。ここぞとばかりに躍動したタクミは女子中学生とおぼしき獲物の進路を塞ぎ、ナイフを水平に構えた。

「おい、動くな。いうとおりにしねぇとぶっ刺すぞ」


 チンピラ同然の文句ではあったが、ナイフを構えた体勢でいわれると鳥肌が立つほど迫力があった。女子中学生は目を見開いて凍りついたが、反対側から万里がナイフを見せびらかすと、タクミの指示に反して通学路から逃走する。そうして森の奥にむかった女子中学生をタクミと万里が囲い込む。徐々に距離を詰め、逃げ場を奪い、まだ子どもの声でタクミがいった。

「お前さ、名前なんていうの?」


 ジャックナイフを腹部にむけられた女子中学生は、殺されると思ったのか、震え声で「ミカ」と答えた。名前を聞くことで人間性が増す。万里は自分がいま、生身の人間を襲っていることにいまさらながら衝撃を受けた。タクミはむしろ、その生々しさを求めて彼女に名前を聞いたのかもしれない。万里はタクミの願望をくじけさせることに意識を切り替えようとしたが、熱に浮かされた頭がぼうっとして集中力が奪われてしまう。


 ちなみにいうと、女子中学生はなかなか美人だった。いや、よく見るとかなりきれいだった。冬場でマフラーをしていたから顔がよくわからなかったのだ。マフラーがずり落ちたことで容姿がはっきりと見えた。

「よーし、ミカ。これから命令すんぞ。そこに寝ろ。股を開け」


 タクミのナイフはいまにもミカという女子中学生を襲おうとしている。彼女は足に力が入らず、生まれたての動物みたいだったが、タクミの放つ熱気を殺意と理解したのか、ゆっくりと腰を下ろし、枯れ葉の上に横たわった。


 それでも自分から股を開くような真似はしない。屈辱なのだろうか。それとも怖いのだろうか。これから何が起こるかを連想させるから、無意識に拒んでいるのだろうか。


 タクミはナイフを片手にミカを押し倒し、コートを脱がせ、ブレザーの胸もはだけさせた。そしてシャツをナイフで斬り裂き、丸出しになったブラジャーを押し上げ、ほどよく膨らんだ胸を露出させる。


「顔のわりにおっぱい小せぇな。がっかりだぜ」


 そのひと言はミカの劣等感を刺激したのだろうか。彼女は手で顔を覆い、タクミは手の甲をナイフで突いた。

「顔を隠すんじゃねぇ。せっかく美人をゲットしたんだ、楽しませてくれよ、ミカちゃんよ」


 万里はこの暴行を見過ごして良いとは思っていなかったが、いざ強姦がはじまろうとすると違う考えにとらわれた。彼はセックスを見たことがない。親がしている姿も見たことがないし、その存在を学校の授業で教わっただけだ。とはいえ本当は、その先に興味があったのだ。疾しい感情を心の隅に押し隠していただけで。

「うへぇ、女の脚ってこんなすべすべなんだ。気持ち良いぜ、マジで」


 興奮するとおしゃべりになるタクミは、ミカの股ぐらに自分の腰を押し込み、脚を開かせていた。万里はこのときはじめて自分がセックスをしたがっていることに気づき、タクミを邪魔して犯罪を未然に防ごうとするという道徳心がすっ飛んでしまった。


 こうなると万里もタクミの仲間だ。ミカはそれを知ってか知らずか、顔を手で覆って泣き出してしまった。

「顔隠すなっつってんだろ。ぶっ殺すぞ、お前」


 その脅し文句はたんなる脅しではなく、タクミはナイフを脚に刺してミカにいうことを聞かせた。手をどけた彼女は足を大きく開き、横暴な男児の体を受け入れようとする。万里はふと、タクミはこれがはじめてのセックスではないのではないか、と思った。それくらい、彼の動きはスムーズだった。自分が童貞だから思うのかもしれないが、はじめての性体験はとてつもない緊張を強いられるという印象があった。しかしタクミはそんなものと無縁で、ミカの下着を滑らかな動作で脱がし、自分のズボンを下ろしてペニスを取り出した。しかもタクミは行為に没頭することもなく、後ろに立つ万里に声をかける余裕すらあったようだ。

「これが初体験だけど、意外に緊張しねぇもんだな。みっちりイメトレしてきた甲斐があったぜ」


 後ろを振り返り、万里に話しかける。万里はイメトレごときで緊張がほぐれるという実感がなかったため、タクミの言葉がうまく頭に残らなかった。しかし彼が知らないだけで、あらゆる物事に緊張しない人間がこの世には存在する。自分もその一人であることを万里はまだ知らない。

「よーし、濡れてきたぞ。ミカは顔に似合わず淫乱な。最初の女がスケベなやつで良かったぜ。やっぱりセックスは一緒に楽しみたいもんな。一人で盛り上がってもなんか虚しいもんな」


 これから強姦するというのに、タクミは普通のセックスをするかのようにいった。万里の角度からは見えにくいが、勃起したペニスを手に持ち、ミカの下腹部にあてがっている。経験のない男児には未知の経験だろうが、セックスは面倒くさい。相手の肉体にナイフを突き立てるのとはわけが違う。あえて同じイメージで語れば、木の板にネジをはめ込む作業が近い。手がぶれるとうまくいかないし、器用さがないと苛立ちを覚える。


 ところがタクミは、普段の粗暴さから想像もつかないほど落ち着き払っていて、相手の性器がペニスを受け入れるまで修行僧のように座位を保っていた。対する万里は、先ほどまでの興奮が消えたことに困惑した。タクミによるペニスの出し入れがはじまっても、自分の呼吸音が聞こえてくるほど静かだった。


 なぜ興奮が消えたのか。万里はそれを正常な反応とは思わなかった。目の前でセックスがくり広げられているにもかかわらず、彼のペニスは微動だにしないからだ。

 その証拠に万里は、タクミが下品な声を出し、快楽を貪っている横でまったく違う考えにとらわれていた。それはいささか観念的といっても良く、普通の小学生が抱く思考ではない。


 万里が思い出したのは、自分がはじめて猥褻物を目にしたときの気持ちだ。それはタクミの兄から貰ったというエロ本だったが、そこに映る女性たちはなぜか判で押したように受け身な格好でベッドに横たわるか、異性の圧を感じて気恥ずかしい表情をしていた。


 それを見た万里は、どうして対等にはなれないのだろうと思った。女のほうが背は低いものの彼が知る女性、同級生の女子は特別な格差のない世界を生きている。力は男のほうが強いかもしれないが、高い歌声は女のほうが得意だ。何より彼の親しくしている黒崎は、セックスになった途端、相手を上目遣いで見る人間には思えない。


 こうした感情を頭で捏ねくり回し、万里は一つの結論に到った。それは彼の常識と相反するものだった。自分はひょっとしたら、女としてセックスをしたがっているのではないか。どういう理屈か不明だが、男として生きているかぎり、女は受け身になる。まだ子どもだからわからないだけで、それが大人の守るルールなのだろう。だとしたら自分が女になることで、愛する女と対等にむきあえるのではないか。その考えはあまりに画期的で、万里はうわずった声を洩らしてしまった。黒崎のスカートを穿いたときに感じた高揚がふたたび彼を襲った。


「おい、ちょっと交代しようぜ」

 意識を戻すと、ペニスをむき出しにしたタクミが立ち上がり、ポケットからたばこを取り出していた。心構えはある程度できていたが、やはりタクミは自分にもセックスの機会を与えるつもりだったのだ。しかし違和感を言葉にしていった結果、万里は普通のセックスができないと感じていた。女になって女と対等に交わりたい。その証拠に彼のペニスは依然として屹立を起こさず、揺るぎない位置を下着のなかに占めている。


 物事を頭で考えるくせがあるため、万里はおのれの置かれた状況にひどく困惑したが、それは性体験のなさが原因と考え、思い描いたセックスのあり方を愚直に表現してみようと思った。タクミが称賛したとおり、ミカという女子中学生は美人で、その美しさは強姦されたあとでも維持されていた。ちょっとくらい泣いたり、恐怖に震えたりした程度では美というものは簡単に損なわれないらしい。


 万里はズボンを下ろさず、ミカの前に膝立ちで座り、彼女の体を引き起こした。顔を近づけると彼女は涙と鼻水で汚れていたが、その汚れを万里は自分の舌できれいに舐めとった。それがどんな意味を持つのかわからなかったが、心の赴くままに動こうと決めた。万里はミカを抱きしめ、体をひとつにした。ミカは小刻みに痙攣していたが、相手に熱を伝えればその震えが止まると信じたかのような行為だった。


 タクミの気まぐれで強姦された人間は言葉にしきれないほど不幸な存在だろう。自分が受けとめてやれば、たとえわずかでも心の痛みを減らしてやれるのではないか。万里は急にミカが愛おしく感じられ、相手の瞳をじっと覗き込んだ。


 一方的な気持ちを目で伝えると、ミカは「彼氏にもされたことないのに……」と鼻詰まりの声でいった。どう聞いても泣き言のたぐいに聞こえたが、万里は突然腹が立った。憤慨したといっても良い。なぜ頭に血がのぼったのか、彼は理解できない。


 だが次にどんな行動をとれば良いかは、体が教えてくれた。ミカのシャツの襟を掴み取り、万里は彼女の顔面を殴りつけた。つい数秒前まで感じていたミカへの憐れみは吹き飛び、振り上げたこぶしを二度、三度と叩きつけた。ちょうど鼻の中心を殴ったため、鼻血が出てきた。しかし万里の殴打はとまらなかった。

「なにやってんだ、顔は殴んなよ、顔は」


 猛烈な勢いで襟首を掴まれ、万里はひっくり返った。タクミが介入し、暴力は勢いを失った。だがそういうふうに見えただけで、万里の憤怒はその程度で消えなかった。むかう相手が変わっただけだ。万里は立ち上がり、タクミの頬を殴った。狙い澄ました一撃で、プロのボクサーなら楽々避けただろうが、タクミは俊敏性に弱みがあったらしい。


 しかしタクミと万里の格差は、力の有無にあった。高校生並みに背の高いタクミは、軽快なパンチをくり出す万里を抱え込み、みぞおちに膝蹴りを入れた。それは彼にかつて経験したことのないほどの痛みを与え、呼吸がしばらく止まり、吐瀉物を吐きながら地面に突っ伏した。


 女子中学生を襲って強姦するという単純な遊びのなか、いろいろな行為と感情が交錯した。万里は男として何か問題を抱えていると感じ、彼氏の存在をほのめかされたことでミカをぼこぼこにし、腕づくでとめたタクミに歯が立たなかった。


 総じていえば、万里は屈辱を覚え、同時に無力さを知った。黒崎は女装した彼を褒めてくれたが、女としての美より男としての強さがこそが必要不可欠だった。万里が完成するまでもう少しだけ時間がかかる。それまでは現時点でのスペックや関係性がすべてだ。万里は断念させられないと悟った。黒崎にむけられたタクミの執念深い好意を。


 タクミは元より万里より上だと認識しているだろうし、その立場を逆転できないことはいま知った。黒崎はタクミのものになるだろう。腕ずくでセックスする手段を手に入れたタクミは、どんなに断っても力づくで黒崎をものにするだろう。


 強さに跳ね返され、達観した万里にできることはないように見えた。しかし彼は、八方塞がりになっても選択肢がまだあると信じられるタイプの人間だ。


 たばこを一服したタクミがふたたびミカに覆い被さり、右手でペニスをしごきはじめた。その背中はがら空きだった。無力さは諦めを説くが、屈辱は反撃を求めた。過去を断ち切るには暴力的な切断が要る。タクミの格下であり続けた過去を断ち切るには。


 珍しくそのことを言葉でなく直感で理解した万里は、地面に転がるこぶし大の石を拾い上げ、タクミの後頭部に振り下ろそうとする。どうせ相手は強姦魔だ。万が一殺したところで正義を主張できる。ミカを助けようとしてやった。あとで大人に問い詰められたらそう答えてやれば良いのだ。

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