人虫境界曼荼羅
蒼天 隼輝
昼の出来事
うだるような暑さが、旅先の空気をとにかく粘度の高いものに変えている。不快が募る中見る害虫というものは、格好のうっぷん晴らしの対象だ。反射熱で弱っているのか、道の上で
不服だが、死んだ事を確認するために
どちらにせよ、不幸だったことには違いない―――――
「おやおや、潰されてしまったのですね。血を吸っていないならなおの事、払うだけでよろしかったでしょうに」
急に話しかけられ、柄にもなく肩が跳ねた。振り返れば、この猛暑日の中
それはともかく。この後は
「……はあ。すみません、なんも考えてなかったです。俺も刺されるのヤだったんで。次から気を付けます」
「
「ふーん……そうっすか」
ああ、やっぱり面倒な類だ。話しかけてくる時点でそうだと思ったが、これだから俺は信仰というものをあまり好きになれない。そもそも蚊は害虫で、言ったところで此方の道理を理解してくれる訳がない。害をなす虫を潰すことに、本来倫理など何らないはずなのだ。
生きている物を殺したくないという思いやりを個人が持つのは勝手だが、他者にも同じ思考を求めがちになるのは何なんだろうな。嫌な顔が表に出ていたかどうかはわからないが、俺にかまわず僧侶は俺の後ろへすり抜けていく。笠のせいで、僧侶の表情は見えない。たまたま見かけた俺にご高説を披露することができたドヤ顔を、見たいかと言われればまた別の話だが。
横をすり抜ける直前。僧侶が再び俺に話しかけた。
「ああ、受け取りづらい言い方をして申し訳ございません。この一言だけを心にとどめていただければ幸いです。
―――――貴方と先ほど貴方が潰した蚊、そう違いはありませんよ」
やけにねっとりとした最後の言葉に、相槌の言葉すらすっぽ抜けた。何だこいつは。俺には大した学はないとはいえ、仏教ってそんなものだったか?こいつは本当にまっとうな僧侶なのか?
混乱というより恐怖を覚えた俺を、既に歩き出している僧侶は既に気に留めていないようだった。振り返れば、手をすり合わせ、僧侶は何かをブツブツ唱えている。
「……れるなあ、……まれるなあ」
肝心の言葉はあまり聞き取れなかったが、これ以上近くにいない方がいいのはわかる。狂人から離れたい一心で、俺は来た道を足早に引き返した。
**********
何とも言えないもやもやを引きずりながら、俺は三角コーンを元の位置に戻し始めた。
旅の目的など最初から特になく、この夏は遠方に出かけたという事実だけを作りに来たに等しい。さすがに話のネタは欲しかったので、俺は観光地紹介の動画やサイトを見漁り、人が少なそうな場所を選んで
そして今日は、「秘境にそびえるパワースポット、謎の塚を拝め!」なる動画での紹介場所がたまたま宿から近かったから来ただけだった。塚自体は、なんだったか……虫の供養の目的だったような?いざ行ってみたら三角コーンで道がふさがれて立ち入り禁止となっていたが、その後ろには開けた太い未舗装の道があるだけで、特に危険な感じはしなかった。
仮に危なかったら引き返して、遠目から見てすぐ帰ればいいだろう。そんな気持ちで三角コーンを脇によけて道を進んだはいいものの、雑草が高く生い茂っている事もあって肝心の虫塚とやらが見つからない。代わりに見たのはあの坊さんただ一人だ。近くに寺でもあるならわかるが、なぜわざわざあんな所にいたのかもわからない。
目当てのものも見つからず、人を避けたつもりがよくわからない相手に変な絡まれ方をした。……今回の穴場を巡る旅で、一番外れだったのではないか。
三角コーンが来る前と同じ位置に来ている事を確認して、道に付いた引きずった跡を靴で適当に消しておく。他には誰も見ていないから、俺が勝手に覗いたこともそう簡単にバレはしないだろう。とにかく時間を無駄にした虚しさと共に、俺は宿へ続く大通りに戻っていった。
その夜、猛暑の中歩いた疲れと合わさって、俺はやけに早く眠りに落ちたのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます