Gate:Emethゲートエメス -IMMORT×AL×CHEMISTイモウト・アルケミスト-

鯨鮫工房

【前編】IMMORT×AL×CHEMISTイモウト ト アルケミスト

 月の濃い夜だった。


 闇に飲まれていた輪郭が白い光のもやに噴かれて掘り起こされ、地面に敷き詰められた黒い石くれの粒まではっきりと見える。

 俺はこんな夜が嫌いだ。苦手な犬共が元気になるし、何より


「待て、黒錬金術師!」

「こんな辺鄙な街中で逃げ切れるなどと思わぬことだ!」

「無駄に抵抗すれば痛い目を見るぞ! 我々王国騎士団をなめるなよ!」


 背後から高低様々な怒鳴り声が聞こえる。

 靴の底が床を叩く音、

 身に付けているのであろう金属がぎゃりじゃりと擦れ鳴り、

 続いて空気に直接何かを当てて震わせるような怪音が響く。


 瞬間、俺の右頬を何かが掠めて通り過ぎ、前方で真っ赤な火の玉が炸裂した。


「うわっちち!?」


 ――しまった。


「聞こえたぞ! この先だ。追え!」


 俺は石畳の階段を慎重かつできるだけ大股で駆け上り、周囲にびっしりと立ち並ぶ住居の隙間にさっと身を滑り込ませる。

 その先にあった月明かりの届かぬ空間で俺は羽織っていた真っ黒な外套にくるまり、周囲の闇へ溶け込む努力をした。

 跳ね上がる心拍音と脳内の血流が耳にうるさく、体外に漏れてはいまいかと不安になる。


 先程まで俺が走っていた場所には既に軍服を着た大人たちが到着し、次々と階段を駆け上がっていく。


「ちっ……また消えやがった!」

「港に居た監視員からの報告では逃走に一切の錬金術を用いなかったという話だ。大した実力の術師ではない。くまなく探すぞ」

「どれ、を広げてみるか」


 追手の一人がそう呟くと、縮こまって石の如く硬直していた俺の身体が風に当てられたようにびくっと震えた。


「ふ、見つけたぞ。そこの路地で反応があった。逃がすな!」


 外套で周辺の情報を遮断していた俺には何が起こったのか分からない。

 だが、此処に隠れていても無駄だというのは直感的に悟った。


「や……ばい!」


 急いで身体を起こし、路地の奥へ駆けていく傍らで俺は体内に意識を集中させる。


「こんな時くらい役に立ってくれよ……あんのバカ師匠!」


 足だ。足に体内を巡る力を溜め、爪先から一気に錬り出すつもりで跳躍する。

 ばこんっ、と背下で石畳の割れる音がし、俺の身体は月光に満ちた夜の空へと浮かび上がっていた。

 追手の声はもう聞こえない。

 それに代わって無数の火球が俺を撃ち落とさんと闇を切り裂き、体の横を掠めていく。


「うっひょえーっ! 燃える燃える!」


 放物線を描く俺の身体は次第に落下していくと、家屋の屋根へどすんっと着地して勢いのままに前へと走る。

 幸いなことに、もう軍服姿はどこにも見当たらなかった。


 代わりに俺の傍に現れたのは真っ白な姿をした美少女だ。

 ふわりと、俺の肉体から飛び出したように。


「おにい、やったじゃン」


 少女は俺のように手足をばたばたと動かさずとも、簡単に俺と並走していた。

 浮遊して足も動かさない移動法を“走”と呼ぶのは些かしっくりこないものがあるが。


「おにい、これからどうするン?」

「予定通りだ。このまま王都まで突っ走る。そのために島を出てきたんだからな」

「楽しみだね、ドキドキワクワクの学園生活……!」

「そして、お前との誰にも邪魔されない新生活だ。ハロウィ」

「すち……おにいっ……!」

「俺もだぜ、妹よ……!」


 俺たちは小声で親愛を交わすと、そのまま静まり返った街の外へと駆け出していった。


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 Gate1

 IMMORT×AL×CHEMISTイモウト ト アルケミスト

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 ストラドブルク島からフェリーの直通便が出ている東の港町クリフランドからバスを乗り継いで一時間と十五分。

 車窓に流れる街並みの変化が王都サンダルシアの到来を俺たちに知らせていた。

 俺は今真っ黒な外套を脱ぎ、背嚢に収めてスカジャンのヤンキーファッションという極めて一般的な服装に落ち着いている。

 どうやらこの街では黒い服を着ると軍人に追いかけられるらしかったからだ。


「お葬式の時とかどうすんだろね、おにい」

「逆にアロハシャツとか着るのかもしれん。明るい気持ちになれるし」

「悲しみを陽気で隠して穏やかに旅立ってもらうってことなンか……」

「外国には俺たちの知らない文化がいっぱいあんだなぁ」


 無駄口を叩いているうちに、バスは目的の場所で俺たちを降ろす。

 俺たちは眼前に白く巨大な大橋を見渡していた。


「でかい……何だこりゃ……河までバカでかいぞ!」

「おにい、あれ見て! 鳥ッ、鳥いる!」

「鳥までデケぇ〜……」


 クソデカいインコみたいな鳥を眺めながら、俺たちは大橋の歩道へと歩き出した。

 入り口にあった記銘によればエルナショナル大橋というらしい。

 歩道の床には訪問者に向けて橋の持つ歴史が写真付きのパネルとして等間隔で設置されており、雄大な景色と歴史ツアーとの間で首が忙しかった。


「第二次錬金大戦……先の戦でこの橋は王都防衛戦の要所として使われたんだってよ」

「下にある河をずーっと上流に登っていくと軍の本部施設があるンだって。これは要注意だよ、おにい」

「軍人にはなるべく会いたくないからな……昨夜の件もあって指名手配なんてされてるかもしれねえし」

「ほよよ……こわわだねぇ……」


 早朝ということもあってか人の姿はほとんど見当たらない。精々橋の前にある公園で散歩している人を見かけたぐらいだ。

 俺たちにとってその点は安心であった。

 なにせ、俺たちは本来この場所へ入り込む権利など持っていないのだから。


 長い橋を渡り終えると、その先に大きなバスターミナルが見えてくる。

 橋の下に目をやればフェリー乗り場も設置されており、公共交通機関の溜まり場だと見て取れた。


「さっき乗ってきたバスだとこの駅には止まらないんだな……いずれバスの路線もきちんと把握しないと」


 勉強もほどほどに俺たちはターミナルを通り過ぎ、人目を気にしながら先を急いだ。

 半ば物陰から物陰へと隠れるように。慎重にはいくらなってもなり過ぎる事は無い。


 そう思っていた矢先、ハロウィが不意に目を輝かせて駆け出していった。


「おい、ハロウィ!」


 俺も仕方なく遮蔽にしていたターミナルの壁を飛び出し彼女の後を追う。

 その先にあったのは――成程、納得の光景であった。


 透き通った人口の池。青々とした芝生と色とりどりの花に囲まれてオアシスにも錯覚するそれは大小様々な鳥たちを迎え入れており、生命に満ちて何とも言えない美しさを孕んでいる。


「すごいな、おにい……! ストラドブルク島のもっさい街並みとはやっぱり大違いだ!」

「ああ。俺たちは遂に来たんだな。城下サンダルシアに」

「あたしたちの住ンでたダンウィッチなんて真っ黒な鳥しか居ない田舎町だったもンね。あと全体的に色のトーンが一段階低いンだよな……」

「さしずめリア充と非リアってところか」

「ハッ……あたしたちは非リアだった……?」

「言うなッ……気付くなッ……!」

「ふへ、人間は愚か」


 庭園の傍には通路が敷かれており、反対側には高いネットで四方を囲まれたコート状の施設も見られた。

 植物で彩られたアーチが連なって影を落とす通路の先にはエスカレーターが備え付けてあり、訪問者を待ち構えている。


「あれ、おにい、これ動いてないよ」

「ほんとだ。来るのが早過ぎたか? ま、階段だと思って登ればいいだろ」


 そう言って足をかけようとした瞬間、突然エスカレーターが起動音を発して階上へと流れだす。


「うおわわあっ!?」


 俺は思わず二の足を踏み、姿勢を保つべく手を宙でばたつかせた。

 その様子を見て妹は「キャッキャッ」と笑っている。お気楽なヤツめ。


「せ、センサーが付いてたのか……流石にびくっとしたぜ」


 まあ、びっくりした一番の原因は監視されてるんじゃないかと思ったことなんだが。

 俺たちはエスカレーターに足をかけ、ゆっくりと先へ上がり始めた。

 エスカレーターは昇りと下り合わせて計六本も並べられており、普段の交通量がいかに多いかを物語っている。

 それもそのはず。此処はこの国で最も多くの人間が集まる場所なのだから。


 俺たちは遂にやって来たのだ。

 この国の中心にして錬金術の聖地――ミスカトニック大学に。


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 Gate:Emethゲートエメス

 -IMMORT ALCHEMISTイモウト・アルケミスト-

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 エスカレーターを上った先にあったのは購買所だった。先ず真っ先に飛び込んでくるのは歯科医院とレンタルサイクルショップで、店に囲まれたスペースの中心から上に伸びる階段を進めば屋根のない空の下へと出る。

 周囲には食堂と思しき建物や喫食スペースが広がっていたが、まだ人は居ないようだった。

 ウッドデッキ状にデザインされた野外喫食用のテーブルや椅子の間に配置された植え込みからは南国風の樹木が伸びており、こんな時間帯でなければさぞかし賑やかな活気を感じられることだろう。


 だが、今はそんなことに想いを馳せている場合ではない。

 俺は浮つく心を抑え、周囲に気を張りながら奥へと歩き出す。聳え立つ壁に開いたトンネル状の施設を潜っていくと、壁面には文具や菓子の並ぶ売店、そして服の並んだショーウインドウが目の端に映る。

 全てが興味を引く景色に後ろ髪を引かれながら光の下へと出ると、その先に俺たちの求めた光景はあった。


「お、おにい……!」

「ああ、これが……」


 それは、トンネルの先に聳えるには余りにも不釣り会いな。

 街中に堂々と聳え立つ巨大な古城。

 かつてこの国の王たる者がその身を置いた国家の中心。


 旧サンダルシア城――今の名をミスカトニック大学という。


「俺たちの新しい家だ」


 俺は達成感で思わず笑みを溢していた。

 だが、今の俺たちには幸せな感情に浸っている時間などない。

 俺たちには、本来此処に立ち入る権利などありはしないのだから。


「よし、ハロウィ。先ずは寮を探すぞ。当面の潜伏場所を確保するんだ」

「了解でち!」


 俺たちは校舎の前にあった大広場で三メートルはある巨大なガラスパネルに収められた校内地図を発見し、学生寮の位置を探して二人で隅々を見渡していく。


「おにい……これ、寮いくつかあるみたい」

「全部で三個か。ここから一番近いのはトリスメギストス寮だな」

「ここ、他の二つより小さくない? 部屋が空いてないかもよ」

「大丈夫だ。兄貴に任しとけ」


 少し不安げなハロウィをよそに俺は自信たっぷりにトリスメギストス寮へと向かう。

 寮へと向かう道中には大きな図書館があった。

 俺の島にあったものとは違って一棟のビルが丸ごと図書館になっているようで、少なくとも八階建てはあるだろう。

 大学校舎に続いてこの学園で二番目に高い建築物だそうで、どれほどの蔵書があるのかは想像もつかない。

 図書館の傍には三角柱状の変わったデザインをした学舎が立っており、ガラス張りになって透ける内部には僅かに人影が見て取れる。

 俺たちはその建物からなるべく死角になるよう物陰を伝って移動し、奥へと進んだ道沿いにある寮へと辿り着いた。


 現在の時刻は早朝の4時。

 学生はまだ寝ている頃合いだろう。


「ハロウィ、俺から離れるなよ」


 俺たちはこれから寮へ侵入する。

 ここで大切なのは、どうやってそのセキュリティを突破するかだ。


「おにい、受付には人が居ないみたい。扉のセキュリティさえ解除できれば中に入れるよ」

「よし……頼むぜハロウィ」


 俺が頼むと、彼女はドアノブも掴まずに硝子の扉へ頭から突っ込んだ。

 しかして音も無く、破壊も無く、無論警報も無く。幽霊の如くするりとすり抜ける。

 そのまま内側から鍵を開けてもらい、俺たちは難無く寮の内部へと潜り込んだ。


「にしても、本当に部屋が空いてるの? 玄関のポスト見たら全部に表札が付けてあるンだけど」

「大丈夫だよ。二階の一号室、名前は何になってる?」

「うーンとね、『デルドン・ホール』だってさ」

「そいつは空き室って意味だよ。さ、行くぞ」

「ンえ!? どーゆ―ことだよ、おにい〜!」

「この寮みたいに古い建物にはな、シルキィって妖精が宿るのさ」


 不思議そうな顔をする妹に俺は指を立てて説明してやる。


「シルキィってのはな、古い屋敷に住み着く美少女の妖精なんだ。家事を手伝ういい妖精なんだが、怒らせると逆に不幸が降りかかるって迷信があってな。こういう歴史ある建物ではゲン担ぎとして一番下の角部屋にわざと空き部屋を用意しとくんだよ。シルキィの住む部屋としてな」

「ふうン……おにいは物知りだな! じゃあさっきのデルドン・ホールっていうのは?」

「一番最初のシルキィが仕えてた主人の名前だ。それを目印にしとくんだよ。此処は貴方の部屋ですよーってな」


 妹は、意味深に沈黙する。


「おにい、その理屈だとさ」

「んー?」

「あたしたちがその部屋荒したらバチボコに祟られるンじゃない?」

「何言ってんだ、妖精なんてホントにいる訳ねえだろ。こういう古くからの権威ってのは伝統とかを大事にするんだよ。外聞の為にな」


 尻ごみするハロウィを後ろに俺は躊躇なく201号室の扉を開ける。

 予想通り人は居なかった。その部屋は少し埃っぽくて、奥の窓から差し込む光が何もない室内を照らしている。

 一先ず、俺たちは当面の拠点を手に入れたのだった。

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