③-3

 困ったことになった。毎年恒例のお盆の家族旅行を、中止させる理由が思い付かない。

「盆に県外へ出られると困る。儂の目が追いつかないうえ気界が乱れて霊的なものがうじゃうじゃ湧いてくるからね。体調が悪いとかで誤魔化せないのかい?」

「それだと、私の家族は参加中止になると思うんですけど、おじいちゃんおばあちゃんとかおじさん一家はそのまま旅行行っちゃうと思うんです。去年から予約してる旅館だし。おじいちゃんたちは県外へ出ても大丈夫なんでしょうか?」

「ふむ……流石に親戚関係は安全だと言ってやりたいが……まあ心配なら、みこまを付かせるかね」

「えっ? みこまちゃん?」

 午前の仕事を終えて神社の敷地内にある孝二郎の実家でお昼を呼ばれた後、天里と茶を飲みながら相談している。七月下旬の終業式も無事に終え夏休みに入り、毎日部活やアルバイトに励んだり友達と遊んだり……自分でも拍子抜けするくらい平穏な日々を送っていた。心配していた魂力の影響もダイダラ坊の加護で抑えられており、最近は気持ちも随分前向きになっている。

 安津見野へ出掛けてダイダラ坊にまみえたその日、天里に魂の状態を確認してもらった。ダイダラ坊の力で身体全体が水の膜に覆われて、魂力が漏れ出さないようになっているそうだった。春枝のお守りと神々の加護のおかげで相当安全な状態だと言える。……ただ、魂の形はどうにもならなかったのか、歪なままの姿で脈動していた。

「お前さんの姿に化けてもらって同行させよう。みこまなら能力も高いし連携も取りやすいから適任だと思うが、どうだね」

「そんなことができるんだ……みこまちゃん凄いですね。あの、みこまちゃんの都合がいいなら、そうしてもらえるとありがたいです」

「聞いてみよう。お前さんはそうだね……家族の旅行中はここに泊まれるよう頼もうか。このだだっ広い家なら客間も使い放題だろう」

「えっ」

 思ってもみなかった提案を受けて少々困惑したが、すぐに期待で胸を膨らませた。他人の家にお泊りなんてわくわくするし、それに、孝二郎の家ということは彦一の家でもあり、謎の多い彦一の私生活の一部を知ることができるかも、なんてことを考える。しかし次の瞬間にはハッとして、

(遊びに行くんじゃないんだから……私ってほんと呑気だ)

 浮ついた気持ちにブレーキを掛けるように自分の置かれた状況を思い返して自らの無思慮を反省する。どうにも最近何も起こらないためか、平和ボケしている自覚がある。

 五月の襲撃事件には山猿以外に首謀者がいる可能性が高い。しかも霊符れいふ呪具じゅぐといった類の、主に陰陽術士が扱う道具が用いられた可能性もある。陰陽術士というのは悪鬼や怨霊の祓いを専門としている上級官職の一つで、京を中心に独自の組織を構成している俊傑の集団だ。その正統な秘術が無許可で使用された可能性があるとしたら陰陽術士本山も動かざるを得ず、現在関係各所で霊符等の取り扱いが公式に認可されている古道具屋などを調査している。しかし、現段階では疑わしい取引の痕跡は見つかっていない。

 人間が関わっているかもしれないと思ったら、やっぱり家族旅行なんて心配だった。でもみこまが付いてくれるなら心強い。気がかりだったことが一つ解決しそうでほっと胸を撫で下ろした。

 お盆の話がまとまりつつある中、天里が思い出したように話題を変えた。

「ああそういえば、お前さんの挨拶回りの件だがね、神高地とも接触を図ったが、あそこは禁足地だからさすがに拝謁の許可は下りなかったよ。儂でも迂闊に覗くと彼らの怒りに触れかねん場所だからね。まったく……古くからの格式の高い神々は気難しい」

 茶を啜りながら顔に渋面を浮かべて最後の方は独り言みたいに呟く。神々は変わり者や取っ付きにくい者が多いと以前天里は言っていたが、彼女自身は近寄り難く見えるだけで実際は情の深い性質であることを潔乃はもう知っていた。

「だがなんとか協力は取り付けたよ。有事の際は我々に手を貸してくれるそうだ」

「……」

「どうしたね?」

「あっいえ! あの……協力してくれる神様がどんどん増えていって、すごいなって……」

「別にすごかないが……お前さんも味方は多い方が安心するだろう?」

「はい。いつもありがとうございます、天里さん」

 礼を言うと天里はそれが自分の義務だからというようなすました態度を取ったが、普段の彼女を見ていると義務というより望んでやっているのではないかという印象を受ける。この土地を、この土地に住む人々のことを、確かに慈悲深い目で見守っているように思うのだ。

 潔乃に関しても大袈裟と感じるくらい手厚く保護してくれている。自分は何も返せないのに。何かできることはないのか天里や彦一に尋ねてみても「危険だから何もしなくていい」と諭されるだけだ。その度に自分の無力さを痛感し、ずっと歯がゆい思いを抱いていた。

 ただ、最近は徐々に物の怪の気配を躱すのが上手くなってきたように思う。人混みで目を凝らすと時折黒い靄が人間を物色しているのを目撃することがあるが、そんな時は徹底的に無視している。そうすると相手も引き下がるので危険なことも起こらないし日常生活と大して変わらないと思えるようになった。気持ちに余裕ができ始めている証拠だ。恐怖心は怪異を引き寄せるという。お前たちなんて怖くないぞと、自分を奮い立たせていた。

 同時に、この世界の見方が変わったことに不思議な感動を覚えていた。黒い靄が漂っていたり夕陽が作り出す影が突然不自然な形に歪んだり、今まで見えていなかっただけで本当は当たり前のように怪異は存在していたのだ。講社の者たちにとってはこれが日常だったのだ。せっかく知ることができたのに、本当に自分ができることは何もないのだろうか。

 午後の仕事が始まる前に奥社の参道を軽く散歩する。基本的には中社にある社務所で受付の仕事をしているのだが、時間があると奥社の檜林に空気を吸いに行っていた。参道の静かな雰囲気が好きだ。八月に入ったというのにここはいつも涼やかな空気で満ちていて、息をすると身体から余計なものが出ていくような気がして心地よい。

 休憩が終わって中社に戻る。日陰は涼しいのに、そこから出ると標高が高いためか強い日差しが容赦なく降り注いでくる。季節は着実に真夏を進んでいる。


「わたしに任せてください! 潔乃ちゃんは安心してここに残ってくれていいですよ!」

「余計な仕事頼んじゃってごめんね。お盆なんて家族と過ごしたかったでしょ?」

「いいえ大丈夫です! 毎年お盆は特別警戒で外に出てますから!」

 ふふんと得意気に胸を反らしているみこまとは対照的に潔乃は不安そうな表情を浮かべていた。天里もみこまは優秀だと褒めていたし頼もしいと思う気持ちはあるのだが、実際入れ替わり当日になると心配になってきて何度もみこまの意志を確認してしまう。自分よりもずっと子供なのに……危ない目に合うかもしれないことを任せていいのだろうか。

 午後の三時過ぎ。アルバイトの時間が終わって孝二郎宅の客間で休憩しつつ最終的な打ち合わせをしている。潔乃とみこまと、この日はジーナも訪ねて来ていて、三人で雑談を交えながら入れ替わりの準備をしていた。そろそろ出発の時間が迫るという時、開いた襖から長身の影が伸びてきた。

「おっ、みこままだいるじゃねえか。これから変わんの?」

「うわっ! 孝二郎帰ってたんですか?」

「そりゃ盆だからな。伊澄ちゃん久しぶりー」

 長身の身体を折り曲げて、みこまを後ろから覗き込むような姿勢で孝二郎が声を掛けてきた。潔乃にも手をひらひらさせながら笑顔を向けてくる。孝二郎は仕事の関係でしばらく東京に滞在しており、多忙なのかこちらには一泊だけしてすぐに戻ってしまう予定らしい。孝二郎は円窟神社の仕事のみならず、二十代から三十代の青年神職を中心に組織されている団体、全国神道青年会の地方代表を務めていたり、専門誌の編集の仕事などをしているため木蘇にいないことも多い。それに加えてジムに通ったり、彦一の高校入学前は一緒に川釣りに出掛けたりしていたそうなので一体いつ休んでいるのか不思議に思う。孝二郎の時間の使い方は謎だ。

「旅行とか羨ましいねえ。祭りの準備もサボれるし。俺もついて行こっかな」

「もうっ、遊びに行くわけじゃないんですよ! これはちゃんとしたお仕事です!」

「せっかくだから楽しんでくりゃいいじゃん。あ、でも旅先でやらかすなよ? お前食い意地張ってるから」

 そう言うと孝二郎はみこまをからかうような笑みを浮かべた。それから彼女の頭を二、三度軽く撫でて「まあ頑張れよ」と付け加える。みこまがもの言いたげな目で孝二郎の顔を睨む中、彼は「それじゃあまた宴会で」と言って部屋から去っていってしまった。孝二郎の足音が遠ざかって聞こえなくなった頃、みこまが潔乃とジーナの方へ振り返って不満そうな声を漏らした。

「うー……孝二郎はいつまでもわたしのこと子供だと思って! わたしは十九歳の立派なレディです!」

「ええっ⁉」

 みこまの衝撃的な発言に思わず素っ頓狂な声を上げてしまい口を開けたまま愕然とする。仲が良さそうで微笑ましいななんて気楽なことを考えていた頭に動揺が走る。みこまちゃんって年上だったの⁉

「十九歳⁉」

「そうですよ! ……あれ? 自己紹介の時に言いませんでしたか?」

 大きな目をぱちぱちとさせて見上げてくるみこまから視線を逸らして初めて会った時の事を思い出そうとする。小さくて可愛い女の子が可愛い声でなにかを喋っていたことしか覚えていない。他人の話を全然聞いていなかった罪悪感で冷や汗をかいた。

「そ、そうだったかも……? で、でも、それじゃあなんで子供の姿でいるの?」

「う……実は大人の女の人に化けるのが苦手で……わたしの得意分野は道具なんです! あ、でも潔乃ちゃんにはきちんと化けられますよっ」

 自分の能力を疑われると思ったのか、みこまが焦って釈明する。みこまのことは信頼しているので疑うことはないが、それよりも間接的に子供だと言われたことでちょっと落ち込んだ。いや実際子供なんだけど。でも体はもう大人と言って差支えはない、はずなような、気が……

(大人っぽいってよく言われるんだけどな……)

 潔乃が秘かにへこんでいるとそれまで黙っていたジーナが口を開いた。

「孝二郎も茶化さないで素直に見送ってやりゃあいいのにね」

「わたしをからかって遊んでるんですよ。初めて会ったのが子狸の時だったから、それからずっと子供扱いで……」

「アイツも百戦錬磨みたいな顔して案外鈍いところあるよねえ。こんなに近くで十年以上も思ってくれてる子がいるってのにさ」

「わあー! ジーナ! 違う! 違いますから!」

 みこまが手を伸ばしながらぴょんぴょんと飛び跳ねてジーナの口を塞ごうとするが、当然届かないので傍から見ると遊んでいるようにしか見えない。潔乃は、顔を真っ赤にして全力で否定しているみこまの様子を見て違わないんだろうなあと思ったと当時に、胸につかえていたものがあっさりと取れたような感覚がしていた。相手が孝二郎というのも驚きだけれど、そもそも、物の怪と人間の間でもそういう気持ちは成立する、のか。じゃあ例えば、人間と神様の場合でも……

「も、もうそろそろわたし行かなくちゃですから! 今化けますね!」

 ジーナとのやり取りを誤魔化すようにみこまは場を急かして、胸の前で両手の指を複雑な形に組んだ。変化の印だろうか。少しの間目を閉じて息を整えたかと思うと、突然くるりとその場で後ろへ宙返りした。前に向き直った時にはもう潔乃の姿に変わっていて、いつ変化したのか全く目で追えなかった。潔乃が感動して拍手をすると、みこまは誇らしげに身体を反らせて腰に手を当てた。本当に自分にそっくりだ。でも鏡で見る自分とは何かが違っており照れくさいような形容しがたい気持ちになる。私ってこんなにお尻大きかったかなあ。

「それでは行ってきます! また明後日会いましょう!」

 潔乃の姿をしたみこまが元気よく手を振って出発した。潔乃は旅の無事を祈りながら、彼女を玄関で見送った。


 円窟神社では毎年八月下旬に例祭が行われる。神社の氏子や地区の住民総出で準備を行う規模の大きな祭りだ。豊穣の神の御神輿を中社まで渡御する神事が目玉の行事で、これを見に多くの人々が集まる。五穀豊穣、無病息災、先祖の霊の鎮魂。八月の例祭には多くの祈りが込められているが特に重要視されるのが山の神への信仰だ。山岳地帯の厳しい気候風土を持つ木蘇では米の代わりに木年貢が課され、これを納めることで米が支給されてきたという歴史がある。そのため木蘇の人々は伝統的に山を、木々を大事にする。

「おー、潔乃ちゃん仕事終わったかやあ? 暑いからこっち来て休んでき。そこの美人さんも。瓜の粕漬けもあるで、ほら」

 外へ出ると祭り飾りの準備をしていた町内会のお年寄りたちから声を掛けられた。今は休憩中のようだ。木陰で水分補給などをしながら思い思いの時間を過ごしている。

 アルバイトをするようになってから地元の人たちと仲良くなった。子供が少なくほとんどお年寄りだが、潔乃の仕事が終わると時折菓子やまんじゅうをくれて労ってくれる。潔乃はこの土地の素朴な人々のことが好きだった。働き者で、四季に沿って豊かに生きているという感じがする。

 ジーナと共に町内会のご老人たちと談笑していたところ、提灯や吹き流し、そよぎといった飾りを準備していた彦一が戻ってきた姿が見えた。ジーナが手を振って彼を呼ぶ。

「ちょうどいいところに戻ってきたね! これから潔乃をうちへ招待するんだけどアンタも来るだろう? 昨日の夜中に受信機が鳴ってさ、今日旦那が見回り行ってんだけどたぶん猪だからあげるってさ」

「分かった」

 心なしか被せ気味に返事をした彦一に少しの違和感を抱く。こんなにも出掛けることに乗り気な彦一は初めて見た気がする。猪という単語に反応したように見えたが、それが目当てなのだろうか。

 町内会の面々と別れジーナの軽トラックに乗って移動する。荷台で適当に座っている彦一の姿を警察に見られたら即捕まるのではないかと、助手席の潔乃は移動中ずっと気を揉んでいた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る