②-3

 翌週の一週間はなんだか慌ただしい日が続いた。孝二郎の提案で堂々と円窟神社に出入りできるよう六月からアルバイトをすることになったのだ。基本的に校則でアルバイトは禁止されているが、特別な事情があり、かつ保護者の同意が得られれば学校から許可が貰える。孝二郎は理由を〝進路の選択肢を広げるために〟とかなんとか言ってでっち上げて驚いたことにたった一週間で学校と親を説得してしまった(実際に学校に赴いたのでモデルのような容姿の若い男の来訪に女子生徒はざわついていたし後から質問攻めにあった)。しかも担任教師を連れて家まで挨拶しに来て例の説得力のある顔と口調で親を説き伏せていて、孝二郎の手際の良さに目を丸くしてしまった。本当になんというか他人の懐に入るのが上手い。とはいえ学校に話が通るのが早過ぎるので、今思えば仁奈が職員室で円窟神社の話を聞いたのも事前に根回しをしていたからだったのだろうという気がしていた。


「バイトとか急じゃん。なんで円窟神社?」

 孝二郎が学校に来た日の放課後、仁奈が興味津々といった感じでこちらの顔を覗き込んできた。席に座ったままの潔乃の前に立ち塞がり話すまで解放しないといった様子だ。放課後になった途端これだし何故か別のクラスの美夜子まで話を聞きに来ていた。

「ええっと……この間仁奈ちゃんから神社のこと聞いて、八柳君と話してみたら人手が足りないって言うから、それで、かな」

 我ながら誤魔化すのが下手で冷や汗をかく。用意しておいた理由を話すだけなのに妙に声が上擦ってしまった。こんな時美夜子だったらもっと上手く躱せるだろうなと思うと自分がちょっと情けない。

 すると仁奈が口元に手を当てながら「怪しい……」と呟いて、

「八柳君ねえ……なるほど……ああいうおっかないタイプがいいわけね……どーりで……」と、意味深な笑みを目に含ませた。

「ちょっと! 違うよ! 全然そんなんじゃないから!」

「うそー! なにその反応めずらし! マジでそういう感じ⁉」

「私も付き合い長いのに初めて見たなそんな表情。よし仁奈ちゃん、詳しく聞こう」

「美夜子ちゃんまで……!」

 顔に熱が集中するのが分かって余計に変な感じになる。八柳君に聞こえてたらどうしようと焦って彼の席の方へちらりと視線をやったが、彦一は黙々と帰り支度をしていた。潔乃はほっと胸を撫で下ろして一度咳をし、この場を収めるように堂々と口を開いた。

「前からバイト興味あったの! 十七になったし、やってみようと思って。それだけだから!」

「えっなに伊澄バイトすんの?」

 頭の上から聞きなれた声が降ってきた。振り返ると同じ陸上部二年の柴颯真しばそうまがきょとんとした面持ちでそこに立っていた。ちなみに颯真も違うクラスだがこの場にいるのが当たり前のように自然と輪に入ってくる。結構みんな躊躇せず他のクラスに入り浸るなあ。

「あれっ? 柴君どうしたの?」

「伝言があってさ。来週の配車の件で確認したいことあるから先職員室寄ってくれって、先生が。二年は俺と伊澄に声かかった。で、なに? なんのバイト?」

 颯真は要件を述べた後にここからが本題と言わんばかりに身を乗り出した。まるで新しい玩具を与えられた子供のように無邪気に目を輝かせている。颯真も加わって包囲網が敷かれてしまった。この話はもう終わりにしたかったのに。

「別に普通のとこだよ。早く職員室いこ」

「なんか機嫌悪くね? まあいっか。俺カバンとってくるからちょっと待ってて!」

 予想外にあっさり引き返してくれて少し拍子抜けしたが話を切り上げるには良いタイミングだ。これ以上詮索されないように急いでいる風を装って潔乃が身支度をしていると、教室から出ていく颯真を眺めていた仁奈が先程までの弾んだ声とは違ってトーンを落として、

「……私さー、一年の頃、潔乃は柴君と付き合ってるんだと思ってたんだよねえ」ほとんど独り言みたいにぼんやりと呟いた。

「てか周りもそう思ってんじゃないかな」

「……それたまに言われるけどなんでだろう。部活と中学が一緒ってだけなのに」

「やっぱ目立つからじゃない? 人気者同士っていうか」

「柴君はそうだけど……私は違うよ」

「仁奈ちゃんやめよ。潔乃ちゃんその話嫌がるから」

 美夜子に制止されて慌てた仁奈は叱られた子犬のように身を竦ませ「あっごめん!」と謝った。

「ううん、いいよ」

 潔乃も返答に困っていることを態度に出し過ぎたと思いパッと表情を明るくする。この手の話題は対応が難しい。人の話を聞くのは楽しいが自分が中心になると途端に居心地が悪くなる。……どうしてか必ずと言っていいほど柴君の名前が上がるから。

 柴颯真は中学の頃から男女問わず人気があり学年でも目を引く存在だ。誰に対しても明るく親切で、運動神経も良いので陸上部ではエースとして中心的な役割を担っている。加えて端正な顔立ちで身長も十分ある、とくれば女子は放っておかず、他校の生徒から告白されたなんて話を聞いたのも一度や二度ではない。反面自分はそこそこ背が高いだけでこれといった特徴はなく、人気なんて全くないと思う。男の子から告白されたこともないし。

 そういう訳で存在感が全然違うし当人同士は仲の良い友達といった感じなのに周りが面白がって囃し立てるので恋愛の話をされるのは苦手だった。そんな噂を立てられると颯真に申し訳ないうえ気まずくなってやりにくい。部活でほとんど毎日顔を合わせるというのに。

「じゃあ私行くね。また来週」

 アルバイトのことも颯真のこともこれ以上突っ込まれたくなくて、卑怯だと感じつつも逃げるように潔乃は教室を飛び出した。


 今週から彦一と登下校を共にすることになって家からバス停までの徒歩約十分の距離を一緒に歩いている。ご近所の美夜子にそんな様子を見られたら絶対に誤解されるが、帰りは同じ時間にならないし朝は部活の自主練があって潔乃の方が先に登校するため目撃される心配は無さそうだ。仮に見られたとしても……美夜子なら口が堅いから大事にはならないだろうと思う。

「孝二郎さん凄いね。まさか学校にまで来るなんて。明日は家にも挨拶しに来てくれるって。フットワークが軽くてびっくりしちゃった」

「こういうのはあいつの得意分野だ。他人を巻き込むのが上手い」

 金曜日の帰り道。通い慣れた道を最近話すようになった同級生と二人で歩くというまだ慣れないシチュエーション。ゆったりとした歩調なのに潔乃よりも少し速いくらいの速度で歩く相手に微妙な歩幅の違いを感じる。

 バスを降りて住宅街を川沿いに真っ直ぐ進むと最初の大きな曲がり角に潔乃の家が見えてくる。彦一はそこから二区画先の築三十年は経っていそうなこじんまりとしたアパートに部屋を借りて住んでいて、必要な時にいつでも対応できるよう待機しているという話だった。

(ここまでしてもらって申し訳ないなあ……)

 帰り道に他愛もないことを喋っていて分かったことだが、彦一はまともな食生活を送っていない。食べなくても死にはしないと言っていつもコンビニで適当なものを買って済ませるそうだ(料理はするのかと聞いたら至極簡潔な「しない」との回答を得た)。木蘇の家に住んでいたら春枝さんの作った美味しい料理を食べられるのに……毎日適当な食事なんて食べることが大好きな自分だったら死活問題だ。今度差し入れでも持っていこうかとも思うが気恥ずかしくて提案できないでいる。

 登下校の短い間だが、他にも色々と言葉を交わして普段の彦一のことを多少は知ることができた。得意な科目とか、それを踏まえて来週の中間考査の話とか、いつも読んでいる本の内容とか。少しずつ距離が縮まっているような気がして嬉しかった。せっかく話すようになったのだから仲良くなりたいと思うのは、たぶん間違った心情ではない、と思いたい。

 そんなことを考えている内に自宅に辿り着いた。今日も一日何事もなく終えられそうだと気を緩めていると、しかし別れの挨拶をしようとしたところで不意に彦一が口を開いた。

「……伊澄さん、夜ちゃんと眠れてる? 少し顔色が悪い気がする」

 眉をひそめてこちらの様子を窺う目に心配そうな影が差している。今日は少し会話に対する反応が鈍いような気がしていたがもしかしたらずっとこのことを気に掛けていてくれたせいかもしれない。

 一瞬誤魔化そうかとも考えたが、彦一には正直に話すべきだと思い直して、

「……実はちょっと……夜が怖くて。昼間は元気なんだけどね」

 はははと、潔乃は力なく笑った。

 見通しの利かない夜の深い闇をこんなにも恐ろしく感じるのは久しぶりだった。家の中は安全だと分かっているのに微かな物音にも敏感に反応してしまうし窓や壁から獣の腕がにゅっと伸びてくる想像をして意味もなく恐怖心を増長させてしまっている。かと言って両親の寝室で寝るわけにも、隣の部屋で寝ている弟の布団に潜り込む訳にもいかなくて(思春期の弟にそんなことをしたら一生口を利いてくれなくなる可能性がある)、春枝からもらったお守りと大事にしているぬいぐるみを抱き締めて震える日が続いている。

「……そっか」

 彦一は伏し目がちに少しの間考え込んで、

「睡眠導入用の香がある。天里なら持ってるはずだ。相談してみよう」

 提案した後に続けて「少し頭に触れてもいい?」と尋ねた。

 意図が分からないながらもそれでも頷いて少し頭を傾けた。そこへ彦一がほんの少し髪の毛に触れる程度に右手を乗せる。するとじわじわと彦一の手から熱が伝わってきてやがて全身を包み込んだ。ポカポカとしていて心地良い。黄金背から加護を授かった時のような優しい温もりに安らぎを感じる。

「俺は黄金背みたいに能力を別け与えられないけど、少しでも力になれれば」

 右手を戻した彦一の身体が揺らいで見える。もうこの場で眠りこけそうだ。潔乃は脱力しそうになる手足に力を戻してぼやけた意識を振り払うよう二、三度首を横に振った。

「ありがとう。今日はよく眠れる気がする」

「そうだといい。明日には香を用意するよう頼んでおくよ」

 それじゃあと言って再び歩き出そうとする彦一に潔乃は慌てて声を掛けた。

「本当にありがとう。じゃあ、またね。……彦一君」

 孝二郎に言われてからずっと悩んでいたことを思い切って口にする。変に思われただろうか。やっぱり許可を取ってから呼ぶべきだったかもしれない。

 どぎまぎしながら彦一の反応を待っていると彼は特に気にした風もなく「うん。また明日」と答えたが、それから妙な間が空いた後に、

「……俺も潔乃さんって呼んだ方がいい?」

 極めて淡泊な口調の中に少しの戸惑いを感じる。別にそこを合わせてくれなくても良かったので予想外の返答に気が抜けてしまった。

「それは……遠慮しとこうかな……?」

「分かった」

 恐らく彦一なりに友好を示そうとしているのだろう。態度は分かり辛いが無理してこちらに寄せようとする姿勢とあとちょっと天然なところが面白くて思わず口元を緩めた。自分も名前で呼ばなきゃいけないと思ったのだろうか。それで焦ったのだとすればなんというか、失礼だけど、可愛い。

 さよならを言って今度こそ遠ざかる彦一の背中を、潔乃は笑顔で見送った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る