天国の中の地獄

カレーねずみ

第1話 1/50000000

いつもの日曜日だったら、このままゴロゴロしてネットを見て過ごすのだろうが、この日は違った。

衆議院選挙の投票日だったのだ。

今年で35歳になる俺は、今まで選挙というものに行ったことはない。

理由は特にないが、強いて言えば、投票に行く理由がないというのが一番の理由だった。

そんな俺が、今回の選挙に興味を持ったのには理由がある。

とある政党が目に留まったからだ。


全ての人に平等を!蒼生党!!


蒼生党なんてついこの間までは聞いたことがなかった政党だった。

もっとも政治に興味のない俺は、既存政党のことも良く知らないのだが。


投票所は近所の中学校の体育館だった。

俺より10歳くらいは若そうな受付に投票用紙をもらい、華奢な作りの投票用のブースで候補者の名前を書いた。

俺が書いた名前は、『青田正彦』。

蒼生党の幹事長をしている人物らしい。

と言っても、幹事長という役職がどれだけ偉いのかはよくわかっていない。

ネットでは与党の幹事長の発言が炎上しているから、そこそこ偉いポジションなのかもしれない。

だが、蒼生党に投票することだけは決めていたから、迷わずにこの名前を書いたのだ。


小選挙区の候補者の名前を書いた後は、比例代表の投票だ。

初めて投票に来た俺は、小選挙区の候補者の名前を投票箱に入れた後、そのまま帰ろうとしてしまったが、「比例の投票もあります」と注意を受けてしまった。

注意をしてくれた人に軽く会釈をして、投票用紙をもらい、今後はその用紙に『蒼生党』と書いた。

そして、同じように投票箱に用紙を入れて、俺の投票は完了した。

時間にすれば10分に満たないくらい短い時間だった。


投票の帰り、俺はコンビニに寄って、酎ハイとポテトチップスを買った。

夜の選挙特番を見ながら飲もうと考えたからだ。

大学生になってからテレビを見なくなった俺だったが、この時はどういうわけかテレビの選挙特番を見ようという気になった。

昔、祖父の家で選挙特番を見たことがあって、その時は騒音のようにしか感じなかったが、選挙の当事者となったことで気が変わったのかもしれない。


「与党の過半数割れは確実です」

チャンネルを選挙特番に変えたばかりの俺の目に飛び込んできたのは、アナウンサーの硬い表情だった。

「出口調査の結果、与党の過半数割れは確実となっています」

そのアナウンサーは念を押すようにもう一度言った。

番組に出演している評論家は、どうコメントすればわからないといった表情だ。

「三田さん、この状況をどうご覧になりましたか?」

「はい、えーっ、蒼生党?これは、そうせいとうでいいんですかね?」

「えっ?あっ…」

「いや、読み方です。そ・う・せ・い・と・う。ですよね」

「はい、そうせいとうです」

番組のグダグダしたやりとりとをあざ笑うかのように、蒼生党の候補者の当確のテロップは次々に流れていった。


当確:青田正彦


番組が始まって20分もしないうちに、俺が投票した候補者の当確のテロップが流れた。

俺はなんだか誇らしい気持ちになったと同時に、万馬券を当てたような興奮を覚えた。


「えーっ、まだ選挙は続いていますから、最後までしっかりと見届けたいと思います」

与党である自明党総裁の菅田総理は、記者の質問に青ざめた顔で答えた。

「総理、今後の進退について一言!」

「総理、この結果の責任は?」

「蒼生党について一言!」

五月雨のように浴びせられる記者の質問に無言を決め込んだ菅田総理は、渋い表情のまま棒立ちになっていた。

背後にある候補者の名前が書かれたボードには、当確を示す赤い花が疎らに貼り付けられていた。


中継先の自明党本部からスタジオにカメラが切り替わった。

さっきよりも少しは落ち着きを取り戻した雰囲気のアナウンサーは、再び評論家に意見を求めた。

「三田さん、今後の政界はどのようになっていくのでしょう?」

「はい、自明党は与党ではなくなって、別の政党が与党になるのでしょうね」

「ええ、今の段階で蒼生党が単独で4割近くの議席に届いていますが…」

「ですから、蒼生党がですね、与党になるかもしれないということですね」

評論家の三田は全く要領を得ない返答を繰り返した。

三田の冴えない顔が少しアップになって映った後、蒼生党本部に党首の蒼井匠が到着したという情報が流れた。


「蒼井さん、この結果を受けて、どうですか?」

「はい、我々の予想以上のご支持をいただいており、大変ありがたい反面、責任も感じております」

「今現在、単独で4割の議席を取っていますが、もし単独で与党になった場合、公約に掲げられているベーシックインカム(BI)は実現しますか?」

「まだ、選挙は終わっていませんし、単独で過半数を取れるかもわかりません。ですが、公約の実現に向けてやっていくことに変わりはありません」

このようなやりとりの間にも、蒼生党の候補者の当確が次々に決まっていった。

すでに465の議席中、190議席を蒼生党が奪っていた。


「蒼生党ですが、小選挙区では130議席、比例で60議席が決まっています。単独の過半数に迫る勢いです」

アナウンサーは語気を強めた。

「三田さん、これは単独過半数も見えてきましたね。接戦の選挙区もありますが、全体的に蒼生党が優勢のようです」

「はぁ、そうですね」

「ええ、もし与党になれば、目玉の公約に掲げていたBIがどうなっていくのか気になりますよね」

「はい、国民全員に月5万円を支給するという公約でしたね」

三田は何とか言葉を振り絞っているようだった。

「そうです。現実的ではないという専門家もいますが、三田さんはどうですか?」

「ええ、現実的ではないですよね。財源とか…、いろいろと課題がありますね」


蒼生党に投票しておいて、こういうことを考えるのは矛盾しているかもしれないが、俺はBIなんて荒唐無稽な政策だと思っていた。

ただ、俺みたいな政治に無関心な層の気を引くための政策なのだろう、それくらいの軽い気持ちで考えていた。

以前、蒼生党のホームページを見たことがあるが、最初は月5万円、段階的に支給額を増やしていって、月11万まで上げていくということが書かれてあった。

5万あれば、ガチャが100回くらいまわせるかもしれないし、11万あれば、200回くらいかな…。

そんなバカな妄想をしていたくらいだ。

俺と同じくらいバカなことを考えていた有権者がどれくらいいるのかはわからない。

だが、俺と同じように軽いノリで投票したのだろう。


「さて、開票はずいぶんと進んでいて、終盤に差し掛かっていますが、蒼生党の勢いは止まりません」

番組が始まってから3時間近くが経っていて、アナウンサーはどこか吹っ切れたような感じになっていた。

「さて、蒼生党の党首の蒼井代表と繋がったようです。三田さん、蒼井代表に聞きたいことはありますか?」

「…」

三田は黙ったままだったが、アナウンサーは進行を続けた。

「蒼井さん、すごいですね。単独過半数に届きそうですよ」

「ありがとうございます」

「もし、与党になることができたら、BIを実現しますか?」

「はい、公約の実現に全力を傾けます」

「そうですか、BIは非現実的だという意見もありますが、どうでしょうか?」

「そんなことはありません。この国には約5000万の有権者の方がいます。その1票1票が我々の力になり、これだけの議席をいただくことができました。我々蒼生党は絶対に諦めません」


蒼井代表とのやりとりの後、また、自明党の本部の様子が映し出された。

死んだ魚のような菅田総理の目を見て、俺はテレビを消した。

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